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【第3面】 (6)

 平原を抜けると、街が見えた。

 高い建物はなく、文明が長い下り坂を下って自然に最終点に着いたような、つつましやかな街だった。家の煙突らしき穴から、焼き芋のような香ばしいにおいの煙がたなびいていた。家の戸口や路地には、まばらだが、HSハイ・ショウブが着ているのと同じ幽玄な服を着たひとびとも行き来していた。森や山や川もあり、調和した景色を作っていた。

 私達は一箇所に立ち寄ることはしないで、HSハイ・ショウブの案内を聞きながら巡った。ひととおり観光するにも、『箱庭』は想像を絶して広いから、いくら時間があっても不可能と言われた。しかし、どんなに歩いても足は水平エスカレーターに乗ったように疲れず、ふだんよりもずっと早く歩けた。

 私は、来たこともなかったのに、『箱庭』を歩くことを心地良く思った。

『箱庭』は、どこに行っても、懐かしさと、どこまでも甘い気怠さ、そして静けさに満ちていた。

 たまに聞こえる生演奏。弦をはじく音。遠くの蝉の音。葉陰を漂う笛の音。

 車、電車、テレビ、広告、街宣、そういう耳障りな音の塊は、この世界にはなかった。

 都会もあったし、そこには人も密集していたが、そういうものさえ心地良い音と空気を作り出していた。『箱庭』という静謐なデータの一部だった。

「そういえば、あなたの大学も、ここにはあるのですよ」

 と言われ、HSについていくと、まぎれもない私の通う大学があった。

 HSハイ・ショウブは缶に「オレンジジュース」と書かれている飲み物を、自販機で二つ買った。空いていた階段教室に私を案内した。

「どうぞ」

「……ありがとう」

 私は缶を受け取り、飲んだ。いかにも「オレンジジュースと書かれたオレンジジュース」の味がした。やたらに冷えていた。

「どうですか、『箱庭』は?」

「いったい、ここは、どういう場所なの?」

「一部を見ただけですが、ここには色々なものが満遍なく存在することがお解り頂けたでしょう?」

 HSハイ・ショウブは問い返した。

「何となく推測されていると思いますが、ここは何でも揃っている世界です。また、揃えることが可能です。ゲームの中でも豊かな区画なのです。データの純度が高く、かつ、バリエーションに富みます。あなたの言葉で言うと、『断片』のみによって構成されたフィールド――それが『箱庭』なのです」

「え……っ」

 二つの意味で、驚いた。一つは純粋に『箱庭』の性質に。もう一つは、HSが私の用語を知っていたことである。この女性は、どういう……。

「……分かりませんか?」

 私と同じタイミングでジュースの缶をあおり、HSハイ・ショウブは答えた。

「私は、『箱庭』にいらっしゃったあなたが理性的な説明を求めたため、その潜在的な願望が作り出した説明者なのです。ここでは何でも叶うと申し上げたでしょう? 私という存在が、まさにそのしるしです」

 私は驚きでジュースを倒してしまった。

 HSハイ・ショウブは変わらない笑顔で私を眺めた。

 この女が他人に思えなかった理由が理解できた。

 私は既に『箱庭』の効能を経験していたのだ。

 

 しかし、どういう仕組みで願望が叶うのだろうか。

 ……いや、今はどうでもいい。ユイを復活させてほしい。私の望みはそのことだけだ。

 だが、私が願いを口にしようとした時、教室に誰かが入ってきた。

 見知らぬ女だった。何度見ても顔を忘れそうな地味な女だった。女は教室の最後列に座った。

「彼女は【ノハラキエコ】という何の変哲もない一般女性です。彼女を見ていて下さい」

 HSハイ・ショウブが言う。女は、私達が近くに居るのに、反応しない。私達の会話は聞こえていないようだ。

 やがてメガネをかけた背広姿の教授が入って来た。その姿に私はヒヤリと背筋が寒くなる。

 教授の姿は、少しだけ、薄いのである。二割ぐらい密度が低いのだ。背景が見えるほど透けてはいないが、教授の立ち姿は、薄いミルクを溶かし込んだように濁っていた。彼のほうでも、私たちに気付いた様子はなく、授業を開始した。同時に、まわりの椅子にも、むくむくと学生達の像が発生した。ホログラフのような薄い学生像。教授と同じである。

「この授業風景は、あの子の『断片』なのです。大学全体もあの子が作り出したものです。名前は何て言いましたかね。古い名前なので忘れられているようです」

 HSハイ・ショウブは解説する。

「あの子は何か特別な人?」

「昔、このゲームのプレイヤーだったのですよ」

「え!?」

「……いえ、正確には、『あの子』ではありませんが。ちょっとスキップしながら眺めましょう。『箱庭』でのあの子の生活をご覧下さい」

 HSハイ・ショウブは懐から、ぬぼっとした物体を出した。のっぺりした灰色で、バナナのような形をしている。大きくて野暮ったいそれは、通信機のようだ。

「もしもし。時間を適度に早くしてくれます? 目的ですか? 見学者に『群体』の生活を見せたいので。ええ」

 HSハイ・ショウブは誰かと喋り、通信機をしまった。

「相手は誰?」

「管制センターが存在していまして。『箱庭』の全般を管理するわけです。あ、授業が終わったようです」

 本当だ。講義は終わり、女は出て行った。

 女は、学校近くの広場でラクロスサークルの練習に参加し、アパートに帰ってシャワーを浴び、客の入りが悪い小さい弁当チェーンにアルバイトに行った。弁当屋の男の店員と仲がいい。こいつは恋仲だな。

 という「女の一日」を、私達は丸ごと見学した。だが、体感では2~3分の感じだった。明らかに時間が早まっていて、私達は時空間の外から、自動追尾のように女を観察した。管制センターとやらの仕業なのだろう。

 HSハイ・ショウブが通信機を手に言った。

「センター。次の日にしてください。以降、時間を加速度的に早めて展開」

 私達は「次の日」に移動した。

 再び、同じ講義室。同じ席に座っている女がいた。そして、同じ授業が始まった――。ぼんやりとした不吉な予想が湧き上がる。予想は、当たった。

 講義。サークル。バイト。/ 講義。サークル。バイト。/ 講義。サークル。バイト。/ 講義。サークル。バイト。/ ………………。

 この子は同じ一日をループしていた。

 来る日も来る日も、同じ順序で、同じ事をした。同じ会話、同じ癖、同じ食事。どの一日も同じだから、日にちを数える意味はなかった。「一日」だけが彼女にはあった。

「学校に思い入れのある子でした。ラクロスも好きでした。高校の時は全国大会にも出たようです。しかし大学でラ体育会に入るまでではなく、サークルのぬるま湯で和気あいあいというわけです。下世話な話ですが、彼女がゲームを始めたのは、弁当屋の先輩男子と親しくなりたかったからです。『反映』を利用すれば現実の望みを叶えることは簡単です。しかし、彼女はゲームで順位を上げる機会もなく、敵プレイヤーに瞬殺されました。現実世界の時間で二十年も前の話です」

 HSハイ・ショウブが教えてくれた。

 なぜ私が生まれる以前のことを、この人は知っているのか。

 HSハイ・ショウブは答えた。

「『箱庭』では『断片』が共有されるのです。現実世界での時間の観念は意味を持ちません。『断片』であれば、全部共有されます。ここは巨大な、『断片』の集合体。考えられないほど広いのです。いま私達が見たのは【ノハラキエコ】の『断片』だけです。それだけでもかなり広かったでしょう。『箱庭』にはゲームで散った数え切れないプレイヤーの『断片』が溢れ返っています。ゲームが連綿と続いていることを物語る場所が、ここなのです。他のプレイヤーの『断片』も見ますか。それとも、やめますか」

「もういいわ。人の生活を覗き見るのは悪趣味だわ。それに……吐き気がするわ」

 私は、この場所を覆っている、懐かしいアルバムを見るような空気の正体が分かった気がした。

箱庭ここ』は全体が『断片』でできているのだ。自分と他者の『断片』によって構成された巨大なフィールド。雄大でさえある『箱庭』の広がりは、おそらく気の遠い昔から、ゲームが延々と続いてきたことを示していた。そしてこれからも続くのだ。そのスケール感の無慈悲さ。気分が悪くなる。

「……あれ、でもまって。【ノハラキエコ】は殺されたのよね? ゲームオーバーになったんでしょ?」

 ふと、妙だと思った。

「それなら、私達が見た【ノハラキエコ】は何? 死んだはずでしょ? どうして、ここに居るの?」

「……」

 HSハイ・ショウブは沈黙した。

「ねえ、どうかした?」

「――あ、ええ、はい。いまお答えしますね」

 HSは微笑をもって振り向く。スマートな所作と返答。今まで通りの彼女だった。

「つまり、ゲームオーバーになっても死なないのです。ゲームの中には、裁定者インストラクターも知らない隠れた救済措置があるのです。それが『箱庭』でして、つまり、ゲームオーバーになったプレイヤーは復活し、『断片』と一緒にここに集められるのです。ただし、ゲームで得たステータスは、当然ながらリセットされます。また、『箱庭』から出ることはできませんし、ゲームにリトライすることもできません。ですから【ノハラキエコ】には腕輪がなかったはずです」

「えっ、そんな措置があるの!?」

 コクリ。HSはうなずく。

「ハイ。復活したプレイヤー達は『箱庭』で永遠に安楽に暮らせます」

 私は、ピエロの化粧をした素人みたいな、間の抜けた顔だった。

 今まで、ゲームオーバーになったら消滅だと、トンと信じ込んでいたのだ。ゲーム内に隠された別のルールがあった。もちろん、ヒジリからも言われなかった。ヒジリは知らなかったのだ。『箱庭』に来た私が、初めて知ることができた。

 全身が脱力した。私を『ゲーム』に駆り立てる大きな燃料タンクが一つ消失した気分。この燃料が燃えているのは、あまり快いものではなかったが、とはいえ永遠に消滅しないとなると、別の倦怠感が忍び寄るのを感じた。

「でも、それはそれで、拷問みたいなものよね……? 永遠にここから出られないんでしょ?」

「しかし、あなたもご存知のように、ここの広さは無限も同然ですよ? 何にも増して、『箱庭』の住人は、永遠に彼女達の『断片』に囲まれます。彼女達じしんが、最も幸福だと思うもの、それだけに囲まれて永遠に出ることはないのです。幸福なものの中に永遠に在ること、それは永遠の幸福を意味します」

「言ってる事は分かるわ。あなたの言うことは理屈では正しい。……でも【ノハラキエコ】は、あれで楽しいの? 無限ループの『一日』を送っているだけに見えるけれど」

「あなたは【ノハラキエコ】ではないからですよ。私たちは、『断片』に囲まれた彼女の生活を、外から見たからです。彼女的には、あれほど幸福なことはないのです」

「そうなのかしら……」

「ゲームオーバーになって、ここにいらっしゃれば、私が正しいのだと実感できましょう。ですが、ゲームオーバー後の話は、あなたには余計な雑談では? あなたはまだゲームを継続中ですからね。……それより、見学も済みましたし、せっかくボーナスゲームに来ているのです。『箱庭』に何か願うことはありませんか? 望みが叶う機会を利用しないのは損というものです。管制センターに頼んであげますが?」

 HSハイ・ショウブは話題を転換した。そうだ。私には願いがあった。ユイを生き返らせることだ。でも、まてよ……。ゲームオーバーになったプレイヤーが『箱庭』に来るのなら、ユイは『箱庭』に居る。復活して、ここに居るはずだ。

「ゲームオーバーになったユイという子に会いたいの。ここに来ているはずだわ」

 自分の声が大きくなるのを感じた。そうだ。きっとそうに違いない。

「わかりました。でも、それだけですか? ほかに願いはないのですか? いくつでも叶えることが可能です」

 気前がいい。よすぎるほどだ。普通なら怪しむに充分だ。

 私はHSの目を凝視し、確認する。

「一つ訊くけど、願いが叶った代わりにゲームオーバーになる、なんて罠は無いわよね?」

「ございません。それどころか、無制限に叶えることもできますよ」

 HSは餅のように柔和な表情を一層ふにゃりと崩す。

 私は、同じ顔の案内人に気を許しているフシがあった。

 ボーナスゲームならではの気前の良さなのだと考えることにした。

「……わかったわ。あなたを信用する。けど、今は願いはないわ。今、思い付くのは、そのユイって子に会いたいだけ」

 と言ってから、私は閃いた。

 深い所から出てきた願い。もしもそれができるなら……。

『ゲーム』をクリアできるのならば。

「言い忘れました。叶わないことが、ただ一つあります。それは、魔王を倒すことです。……『箱庭』はあくまでもゲームの内部の一つの区画ですので、ゲームをクリアすることは無理なのです、残念ですね」

 HSは説明書の「使用上の注意」を読むように言った。残念そうではない。

 やはり、そう上手く運ぶわけもないか。

 だが予想内である。ちょっとだけ期待しただけだ。

 私は迷いなく頭を切りかえた。

「じゃあ、とりあえず、ユイに会わせてもらうことはできる?」

「承りました。管制センターに連絡を取ります。少々お待ち下さい」

 HSは丁寧にお辞儀をして、向こうに歩いて行った。

 少し離れた場所で、通信機を使って、しばらく話していた。

 やがて戻って来て、告げた。

「ユイさんの居場所が分かりました。案内します」

「どこなの?」

 鼓動が高鳴った。私は勢い込んで訊ねた。

「ここから〝10区画〟ほど……。そう遠くはありません。しかし、歩いて行くのは時間がかかるので、電車を使います。私と一緒に参りましょう」

 私はHSについて行った。

 すぐに都会らしき街に入った。そこには真新しい橋上駅舎があり、スマートな形の白い列車がホームに止まっていた。HSの言う通りだ。ここには何でもあるのだ。

 列車の客室は広いブースで、向かい合って悠々と座れた。列車はすみやかに発車し、走っている気もしないほど静粛だ。――大きな窓には様々な景色が飛び込み、過ぎて行った。――欧州の古城の風景。――アラビアンナイトのような壮麗な宮廷。――一転してドバイのように高層タワーが林立する景色。どの街も、完成されてはいたが、人間の気配は伝わってこなかった。歩いている人間は勿論、車さえほとんど皆無。完成というより、まったりとした退廃を、強く感じさせた。

 ふとブースから出てみると、ほかのブースはがらあきだった。客は一人も居なかった。私は、自分の席に戻った。小さいテーブルでは、発車の時に乗務員が提供してくれた弁当とお茶が、つつましい湯気を立てていた。

「……来てからずっと思っていたけど、『箱庭』(ここ)は不気味なくらい人が居ないわね」

「『箱庭』(ここ)の住民は、家から出ないのですよ。不自由がありませんからね。あなたのようにアクティブな行動をするのは、最初のうちだけです。インフラ、住居、娯楽に快楽、必需品に嗜好品。魅力的な異性、子供や孫、家庭生活、あるいは冒険や探検、映画のような人生。何でもありますし、望み放題ですからね。だから、ここに来た人々は、何もしなくなるのです。結局飽きてしまいますからね。どれほど野心的な人でも、欲望が何でも叶ってしまいますと、いつかは必ず飽きます。野望の火は消え、堕落し、豚同然になります。いえ、豚以下。造糞器と言えましょう。自分の家や部屋に籠もり、考えることも止め、心の黄昏に覆われるのです」

 HSはニコリを笑って辛辣な事をいう。自戒半分で思うが、私と同じ顔のキャラクターだけある。

 だが、HSが言うことは、もっともである気がした。

 願いが叶い続ける世界。現実で暮らす限りは、想像するにも遠すぎる。ここが、実際に、そうなのだ。願いが叶い続けることに飽きるのを止められないのは、自然な帰結の気がした。現実世界製の心身は、理想世界の永遠の空気には耐えられない。……私も、仮にここで暮らし続ければ、「造糞機」の末路だろうか?

「でも、【ノハラヨウコ】みたいに、ずうっと動き回る人間も居るのよね?」

「……ええ。……それは、まだ飽きていないという事かと」

 HSは車窓を眺め、熱い茶をごくりと飲んだ。私もつられて、茶を飲む。味気ない風味のお茶だ。

「ふうん。ところでさ。なんで『箱庭』では何でも叶うの? どういう仕組み?」

「『箱庭』は自分だけでなく他人の『断片』が多くある所です。『断片』の多様性に富んでいるわけです。プレイヤーのフィールド作成能力と、多様な『断片』が結合することによって、願いが具象化する仕組みです」

 なるほど。それはたしかに、この『ゲーム』ならではのボーナスだ。

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