【第2面(裏面)】 (11)
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「こ「こ「こ「ここここここここ
ここここここここここここここ
画面がバグっている。
唐突なスクリーン。ヒジリの映像が、消えては現れる。
ヒジリは何事か喋っているが、バグり具合がひどい。
ヒジリの映像は、同じ目の出るスロットのように何度も循環し、ようやく安定した。私は、ノートのように小さかった一枚のスクリーンが、世界全体へと広がったような拡大感を覚えた。平面の映画を見ているのではなく、「どこかの世界に居る」感覚が回復した。
今度は、どこだ?
私は、ああそうだ。思い出したくないが、ログアウトに走ったのだった。ログアウトは成功したのか? 失敗して変に移動したのか? ここはまだ『ゲーム』の中なのか?
「ここで会ったのも何かの縁。『ゲーム』の調子はどう?」
私は、ベンチに座っていた。大学のキャンパスのようだ。
ヒジリは私に日傘をさしてくれた。
既視感があった。
ここは確か、男性と会った直後の昼休みの場面。うるさいクラスの女子達が去り、ヒジリが残ったところだ。……それじゃあ、私は、現実に戻ったのか。ログアウトは、成功――。
いや、ちがう。
この場面は『詐欺師』のステージであったと判っている。だから、現実ではない。ヒジリも『詐欺師』が造った贋物であるはずだ。
「…………だいじょうぶ?」
ヒジリは怪訝そうに訊いた。
贋物と思う一方、本物だとも感じた。
『詐欺師』のステージからは一度出たはずなのだ。ユイの■■■のおかげで出た。『詐欺師』の呪縛は解消している。
その後、魔王と邂逅した。
……ユイ。
とにかく、ここは本当の現実世界だと感じた。腕輪も嵌められていない。周囲を見るが、カウンターも無い。『詐欺師』が隠しているとも考えられるが、時系列的に『詐欺師』のステージとは思いにくい。それに今は、『詐欺師』の衝撃なんて呑み尽くす記憶が、私に刻まれていた。魔王の一幕。だからおそらく、ここは現実だった。
とすると、現実と『ゲーム』が癒着してきていると言えた。現実が『詐欺師』のステージの筋書きをなぞる形で展開している。現実と『ゲーム』が渾然となり、境目が不明確になりつつある。
『ゲーム』の進捗状況はきわめて悪い。
その状況が反映されたのが、この有様だろう。
だけど、現実と『ゲーム』が干渉し合うなんて……そんな事態が起こっていいものか?
どうやったら、そんな事態が可能なのだろう?
だが今のところ、実際に存在する景色を認め、私の推断によって行動するほかなかった。
そして、『ゲーム』に決着をつけなければ、両方の世界はますます昏迷を深めそうだ。
「あたしも、ちょっと隣、いいかしら。日射しが強いから、ちょっと疲れてね」
ヒジリは、スイカ一個分くらいの間隔をあけ、ベンチに座ってきた。
『詐欺師』のステージの時からは、筋書きが変わっている。多元世界的に枝分かれしたのか。
「ねえ、ヒジリ。あなたって誰? あなた、幻じゃないわよね? ……造り物じゃ、ないよね?」
口を衝いて質問が出た。私の不安が思わず漏れたのだった。
「ちょっと前に、この場所で、あなたによく似た幻と話したものだから」
ヒジリは目をパチクリさせた。
だが、やがて、理解した様子で頷く。
「……ははあ。なんだか、いろいろと、ややこしいことになっているみたいだね」
「そのとおりよ。その時は、この場所自体が、『詐欺師』の造った幻だったの」
「あたしは幻じゃないわよ。あなたを『ゲーム』に勧誘した裁定者だわ。『ゲーム』に使役され、人間を『ゲーム』に導く役。今はあなたのベットになっている身。これが模範解答よね。もっとも、あたしが幻でないか、自分で証明するのは無理」
ヒジリは肩をすくめた。その皮肉な動作、なぜか安心する。
「君が『ゲーム』でどんなセカイを見てるのか知らないけど、あたしにとっては、最初からこの現実だけがあるわ。おそらく、これからもね。――これも模範的な解答じゃないかしら」
ヒジリは軽く手を掲げ、首を傾げた。その可愛らしい動作を見ただけでも、この世界を実在だと信じていい気がした。
「『ゲーム』をクリアすりゃいいのよ。そしたら何もかも済む話」
確かに、その通りだ。クリアは『ゲーム』が起こすノイズを消し去る。裁定者らしいヒジリの総括的なセリフだった。
「魔王に、会ったわ」
「え、うそ。見たんだ。どんなヤツだった?」
ヒジリが関心を寄せた。
「……怖かった」
私は、そう答えた。
答えるのが、痛かった。
「『現実』よりも嫌なくらいの……。いえ、『現実』と区別できなかった。そのくらい脅威的で、怖かったと思う」
脅威は、終わっていない。「現実」と癒合してしまった『ゲーム』。私は今も、その空間に居るのだ。
ユイを置き去りにした。
魔王の、あんな近くで、ユイはどんなに寂しいだろう。寂しかっただろう。
「現実」化した『ゲーム』の壁に当たって、私は負け、引き返して来た。
萎縮と絶望感が肌を締め上げる。『ゲーム』をクリアできる見込みは無い……。ヒジリだって助けられない……。
「オイオイ、弱気を出しちゃ困るなぁ。君はあたしの命運を左右するんだからさ」
と軽く励まし、ヒジリはベンチを立った。
「あたし行くわね。これから新人の勧誘があるからね。さよなら」
なにげなく言ったであろう終わりの四文字。
歩き始めたヒジリは、私を見なかった。
ヒジリの後ろ姿を見て、私は泣いてしまった。最後の姿かもしれないと思った。
この日は夜までコンピュータ室に居て、提出日が過ぎている「地球環境学」のレポートを書いた。中身の薄いレポートを書くのに三時間半もかかった。
学校は落ち着かなかった。居心地がいいわけがない。もともと現実は肌に合わない。
だが、私は、『ゲーム』を恐怖して現実に逃げ帰った。
『ゲーム』は、現実以上に、私をびくびくさせるものになった。つまりは、どこに居ようが私には休息はなかった。
教官室は講義棟の最上階にある。私はレポートを出しに行った。
夜の講義棟はイヤに静かだ。黄ばんだ白壁。裸電球が点々と吊り下がる天井。湿り気のある空気。錆が浮いた空調。「現実」の塊だった。
教官は退室していた。入り口の「課題提出箱」にレポートを突っ込んだ。
教官室の前の窓から、遠くの夜景が見えた。
現実の都心の夜景。光の明るさは、闇を思わせた。
ユイはたぶん、魔王に殺された。
世界から居なくなった。
私はまた、ひとりぼっちになった。
「ゲーム」でどれくらいユイに助けられていたか、私は感じた。
現実に戻って来て、ひとりぼっちであることを知って、ようやく今更、感じた。
プレイ中は、足手まといだなんて、ユイのことを思った。鼻水やフケみたいに、捨ててもくっついてくる奴だと思った。何回も「いらねー」と思った。せいぜい、なぐさみだった。
今は、なぐさみでも、やっぱり居たほうが良かったと思った。
たとえ、ユイが十円ぐらいの価値だったとしても、うまい棒一本の満足は、なかなか大したものだ。
いや、本当のところ、うまい棒よりも価値はあった。私はユイに、たくさんお世話になった。なりすぎたくらいだった。
仲間になってくれなければ?
攻略本を持っていなければ?
持っていた情報が無ければ?
そして、プレイ中に励ましてくれなければ?
底抜けの楽天思考で気分を変えてくれなかったら、私はとっくにゲームオーバーしていてもおかしくなかった。
しかし私は、ユイから貰ったものはチリ紙か空気のように扱った。
反対に、ユイの気に入らない点を一つ見つけては、巨岩のように拡大した。
悪趣味な性向だった。「現実病」の症状の一つだ。
そう。私は「現実病」だ――特別に呪われた人間なのだ!
たぶん、私を構ってくれるのは、馬鹿で間抜けなユイぐらいだったろう。
そして、間抜けのユイの面倒を見てやれるのも、病人の私ぐらいだった。
異常人の親和性。惨めな境遇同士での憐れみ。低順位同士の連帯。
ユイはすばらしい仲間だった。傷ついたら慰めてくれ、心細い時に傍に居てくれ、心萎えている時に伴走者になってくれた。
私はユイを、省みなかった。
そのことを申し訳ないと思う瞬間は、何度かあった。だけど、そんな瞬間の存在が、今までユイがしてくれた行為と釣り合うなんて到底思えなかった。わたしは自分の精神的ダメージを吸収する、体のいい緩衝材として、また、心萎えた時に鼓舞してくれる催眠術師のようにユイを利用して、あくまでもゲームクリアを考えた。自分中心に考え、行動し、ユイにもたれかかり、利用した。
それでもユイは許してくれた。
ユイはこのゲームには合わなすぎる。
現実でもゲームでもユイは同じ生き方を貫いているのだろう。どちらの世界でも、ユイは変わらないはずだ。
すなわち、与えられる世界のままに、そして、おのれの……優しさの命じるままに。
「慰めてくれる誰かがいてほしい」というときに、ユイはいてくれた。慰めてくれるのは、ユイじゃなくてもよかった。誰でもよかった。単に私は一人では自分を慰めるのに味気なすぎるから他人に傍にいてほしかっただけだった。できればきれいな他人がよかった。ユイじゃなくてもいいのに、ユイはいてくれた。いつもいてくれた。
ユイは、きれいだった。
「ゲーム」は終わってはいないが、事実上は終わっている。これ以上続けても、どうせ魔王には勝てない。ゲームオーバーは必然。これが結末だったのだ。
夜景を目に映しながら、しっとりと絶望に沈んだ。ユイが死んだ今だからか、絶望は、心地よかった。
世界への絶望を、摂理と感じることは、私にとっては唯一の慰藉だった。
悲しい現実世界に「悲しいよね……」と頷く事は、私を慰める。「現実」を忘れさせる。それは、「現実」に同調し、「現実」の一部となるからだ。現実世界の底に積もった甘く苦い泥に閉じ込められる気分。どうにもそれは心地良かった。私は、虫の封じられた琥珀を見るように、私を安らかに眺める。
だが、この安らぎも、所詮は鬱という症状の一効果にすぎない。
鬱の甕の中に湛えられているものは、後ろ暗い肯定感である。そして、私はずっと以前に語ったと思うが、鬱とは現実世界の常備品にすぎない。現実世界というお化け屋敷に出現する一個のはりぼてである。
絶望している私は、現実世界に遊ばれている、ただそれだけだ。
慰藉の甘味が帳消しにしてくれるほど、「現実」は軽薄ではない。
『ゲーム』は終わってはいなかったが、事実上は終わっていた。これ以上プレイしても、どのみち魔王には負ける。その予感だけが、なぜか心を占めた。
これが結末だったのだ。そう思えてならない。
私は今、冷静さを欠いているだろう。だが、葬式の直後に明るい顔をしてサークルに行くようなノリは、よほど怪物的人間でなければ無理である。私はいちいち揺らされる。それが「現実」というものだった。
誰かの気配に気付き、私は顔を上げた。
光線の反射の具合で、薄い汚い緑色をして、ガラスに映った自分。もう一個の影が、その横に表れた。振り向くと、メガネをかけたその女子学生は、整った立ち姿から会釈をした。「あのう、『地球環境学』のレポートは、ここでよろしいでしょうか」と訊いてきた。同じレポートを出しに来た学生のようだった。「そこの箱に入れるのよ」と教えると、またていねいにお辞儀した。私は再び窓を向き、景色を眺めていた。
コトリ、女子学生がレポートを箱に落とす音がし、彼女の靴音が遠くなり、また静けさが戻った。私は、現実世界の自分の部屋に帰ろうと思った。
電車に乗って、一人暮らしのアパートに向かった。




