【電子書籍配信記念】蛇足:マリアンヌ・ベルモンド視点
本日より、Amazonをはじめ各電子書籍ストアにて配信が始まりました!
それを記念して、書籍限定キャラ・マリアンヌ視点の番外編をお届けします。
マリアンヌは書籍に登場するキャラクターですが、未読の方でもお楽しみいただけます。
マリーとは、犬猿の仲のようでいてなんだかんだ仲が良さげな先輩です。
※書籍を読了済みの方へ:時系列は第二章「3」のあたりです。
人間観察は、貴族令嬢の嗜みだ。
私も例に漏れず、誰がどの令嬢と親しくて、誰が誰に色目を使っていて、あの令嬢の今日のドレスは昨年の使い回しで——そういうことは、自然と頭に入ってくる。
見て、値踏みして、距離を測る。
それが伯爵令嬢である私、マリアンヌ・ベルモンドの処世術だ。
だからあの女のことも、私はよく知っている。
本当は知りたくもないのに、嫌でも目に入ってくるのだから仕方がない。
——マリー・モンゴメリー男爵令嬢。
朝は書類を片手に朝食を詰め込み、昼は食事が終わるなり書類を取り出して、放課後もどこかしらで書類を広げている。
学生の身分で何をそんなにと不思議に思うほど、四六時中何かしらの書類と睨めっこをしている女だ。
食い意地が張っていて、女生徒から菓子を差し入れられると、それはもう幸せそうにため息をつきながら頬張っている。
淑女にあるまじき食べっぷりで、殿下の婚約者だという自覚は絶望的に足りていないらしい。
そんな浮世離れしたあの女は、なぜか——妙なところで目ざとい。
誰かが髪型をほんの少し変えたり、新しい髪飾りをつけたりすると、すぐに気が付く。
そしてそれを、当たり前のような顔をして、さらりと褒めるのだ。「その前髪の長さ、いいですね。貴女の目の大きさが際立って見えます」「その色、よく似合ってます。貴女の髪の色がよく映えますね」などと。
言われた令嬢はたいてい頬を赤らめて、気付けば菓子を持ってくるようになる。
そうやってあの女は、いつの間にか女生徒たちに餌付けをされているのだ。
つい先日も、こんなことがあった。
私が昼食後に友人らと廊下を歩いていた時のことだ。
少し離れた場所で、一人の令嬢がみっともなく床にしゃがみ込んでいた。
どうやら、落としてしまった画材を、慌ててかき集めているらしい。
通りすがる生徒は誰も足を止めず、少し遠巻きに通り過ぎていくだけだった。
それも当然だ。落としたものを拾うのは使用人の仕事で、自分でそれをするのは抵抗がある。
そこへ通りかかったのが、あの女だった。
マリーは何も言わず、当然のようにしゃがみ込むと、散らばった絵の具を一緒に拾い集め始めた。
そして最後の一本を手渡しながら、ふと、何気ない調子でこう言ったのだ。
「最近庭園でよく絵を描いていますよね。私貴女の描く花の絵、好きです」
令嬢の肩が、びくりと跳ねた。
まさかある意味有名人である彼女に見られていたとは、思いもよらなかったのだろう。
令嬢はしばらく口をぱくぱくとさせた後、みるみるうちに頬を赤く染めて、消え入りそうな声で「……ありがとう、ございます」とだけ答えた。
そして数日後、その令嬢がマリーにマドレーヌを差し入れているのを、私は見た。
まったく、意味が分からない。
無作法な田舎者が、生まれた時から特別な存在だった令嬢たちに、なぜああも簡単に受け入れられるのか。
私はそれを遠くから、苦々しい気持ちで眺めていた。
——なのに、である。
そのマリー・モンゴメリーの目ざとさが、ある朝、廊下で私自身に向けられた。
あの時私の胸に湧き上がったなんともいえない感情を、私は多分一生忘れることができない。
◇◇◇
「おはようございます、マリアンヌ先輩。今日は随分ゆっくり歩いていますね」
「ご機嫌よう。だからこれがいつもの私の歩き方だって、何度言えば分かるのよ貴女はっ!」
いつもこれだ。
この女と顔をあわせるたびに、私は自分でも呆れるほど声を張り上げてしまう。
放っておけばいいのに、目に入ると勝手に口が動く。
売り言葉に買い言葉。それが私たちの、忌々しくも慣れ切った作法だった。
今朝も、いつも通りの言葉の応酬。
そこまでは、いい。
問題はその後だ。
その日は珍しく、マリーは言い返した私を黙って見ていた。
何も言わずに、ただじっと、私の顔を。
「な、何よ……!」
いつもの憎まれ口なら、いくらでも受けて立てる。
けれど普段うるさい女の沈黙は反則だ。
なんと返せばいいのか分からない。
この女から見られることに、慣れていないから。
……いつも見ているのは、私の方なのに。
落ち着かない気分で身構えた私に、マリーはなんてことないような口調で言った。
「少し髪の巻き方を変えたんですね。それ、似合ってますよ」
——心臓に、奇妙な痛みが走った。
寮に入ってからは、身支度は自分でするのが当たり前になっていた。
いつもは、実家で侍女がそうしていた通りに、きっちりと巻いて整えるだけ。
けど今朝はほんの気まぐれで、巻き加減を変えてみたのだ。
いつもより、ほんの少しだけ緩くなる程度の、誰にも気付かれるはずのないささやかな変化。
現に、朝から会った誰一人として、何も言わなかった。
なのに、この女は。
「ほ、褒めて私を懐柔しようっていう腹ね! そっ、そんな言葉には、騙されないんだから!」
気付けば、そう叫んでいた。
頬が熱くてたまらない。褒められ慣れていないわけではないのに。
私は伯爵令嬢だから、社交辞令の賛辞なら飽きるほど受けてきた。
けれど、こんなふうに——なんの下心も、計算もない声で言われたことは、一度もなかった。
だからつい、咄嗟に突っぱねた。突っぱねるしか、なかった。
するとマリーは心外だとでも言いたげに、むっと唇を尖らせた。
「別に、事実を言っただけですけど。貴女を褒めたつもりはありません」
「……は?」
「単純に似合っていると思ったから口にしただけで、それ以上でも以下でもないです」
真顔だった。
この女は、本気でそう思っている。
お世辞ならいくらでもかわせるのに、事実だと言い張られると、私はもうどうしようもなくなってしまう。
それをこの女は、知ってか知らずか——いや、絶対に知らずにやってくる。
言い返す言葉を探しているうちに、マリーはもう私から興味を失っていた。
ふらりと視線を外し、誰の後ろ姿が見えたのか、そのままおざなりな挨拶とともに走り去ってしまう。
残された私は、廊下で一人、意味もなく毛先に触れた。
「……なんなのよ、あの女」
思えば、私はいつだって見ているだけだった。
誰かの変化に気付いて、心の中で値踏みをして、けれどそれを口に出したことは一度もない。
不用意に指摘すれば、己の手の内を明かすことになるから。
気付いても、気付かないふりをするのが私の常だった。
——それは、憧れのあの方に対しても、そうだった。
ずっと見ていた。
誰よりも近くで見ていたいと願うくせに、私はいつも遠くにいた。
手を伸ばせば届く距離まで、ただの一度も近づくことができなかった。
声をかければ良かったと、何度思ったか分からない。
それでも私は、動かなかった。……いや、動けなかった。
貴族の“常識”から外れるのが怖くて、私を取り巻く世界が崩れてしまうのが怖くて。
そうやって遠くから眺めているうちに、ほんの些細なことすら、口にできなくなっていたのかもしれない。
自分の髪の巻き加減の好みひとつ、侍女にすら言わなかったように。
忌々しい。
本当に、忌々しい。
あんな風に、誰の顔色も窺わず、駆け引きもせず、思ったことをそのまま口にして、それで許される。
私がどんなに頑張っても手に入れられないだろう軽やかさを、あの女は生まれつき身にまとっている。
その身軽さで、あの女は——私が遠くから見ていることしかできなかったものを、平気な顔で手に入れるのだろう。
それがひどく憎たらしくて、同時に、妙に私の心をくすぐった。




