やっぱり推しはメンタル強くなった模様
お互いの宮殿へ向かう分かれ道に差し掛かった所であたしは馬車を降りる事にした。少々動きにくい聖女の仕事着を着替えたかったのよね。
ここから宮殿まではやや距離があったけど、モカ達が乗っている馬を借りようと思っている。今日は色々あったし馬上で気分転換したかったと言えばそうかもしれない。とは言え一人じゃ乗れないから誰かに相乗りさせてもらう形になるだろうけど。
「あの、急ぎ着替えて大宮殿に向かうようにしますので、ここで降ります」
「何故?」
え。何か変な事を言ったつもりはなかったんだけど、セオ様から眉をひそめられ怪訝にされた。いやいや何故ってこっちが聞きたい。
「別に降りなくてもいいだろう。このまま共にそなたの宮殿に行けばいい」
「え、ですが着替えが……」
「待つ。別々に行動するよりその方が早く打ち合わせを始められるだろう?」
「ぇえ~?」
それはそうかもしれないけども。
「……嫌、なのか?」
「めめめ滅相もございませんっ」
むしろどーんと来いよ。
あたしあなたになら着替えを見られても別にっっ。
「……」
「え、えーとセオ様?」
彼は咳き込むでもなくじいぃぃーってこっちを見てくる。なっ何ですかそのセクシーな目は!
「普通にしているつもりだが、セクシーなのか?」
ええ、はい、それはもうっ。
ふふっとセオ様から微かな笑い声がした。
「アリエル、そういう事は後でたっぷり時間をかけてやるから。今日は無理だが、そなたが望むなら明日にでも婚約期間を終わりにして即日結婚しようか?」
「なっ!?」
――にを言っているんですかーっ。そんな軽口、あたしがバリ本気にしちゃったらデンジャラスようっ、主にあなたの貞操が……ってああまたあたしってば緊張感のないぃ~。
「とりあえず、馬車はこのまま走らせていいだろう?」
時間は有効に使おう。動揺しまくりのあたしはこくこくと頷いた。
はあ、あたしばっかでセオ様は全然揺らいでいないわね、本気じゃないのと慣れもあるんだろうなあ。罪作り~。
胡乱に見ていたら彼と目が合って小さく微笑まれた。困った奴だなって恋人の奇行をも寛容に受け入れた人みたいって思ったら、胸が高鳴っちゃったわよ。だってねえ、恋人だなんてあたしったら図々しい。嗚呼セオ様沼は無限底~。
だけど、ずっと沼りっ放しじゃいられない。心が戻れない危うい一線を越えてしまえば、この先現れる彼の運命の恋を邪魔しかねない。
ま、今は無難に婚約者を務めるので精一杯だから結婚云々はまだ先の話だわ。
「アリエル、到着だ」
存外柔らかな推しの声にはたと我に返って慌てた。知らず自らの思考に没頭していたみたい。彼にも聞こえていたわよね。
また変な妄想しているって思われたかも。
ともかく、彼を待たせるんだしなるべく早く降りなきゃと急いだら、手を伸ばしたセオ様からやんわりと止められる。
「ゆっくりでいいから」
「あ、はい」
「アリエルのペースで」
ええと……着替えの話、よね?
「人間慌てるとろくな事がないと言うだろう。馬車から転げ落ちるぞ?」
「あ、ですよね」
考え過ぎか。こっちが苦笑っている隙にセオ様が先に降りて手を差し出してくる。これはときめくでしょ。ホーント抜け目ない紳士ねこの人。
ルウルウは降りるあたしに手を貸してくれるセオ様をジト目で見ている。どこか羨望の色もあるのは、この子にも宙に浮かんだりして降りる際の補助はできなくはないけど、長身のセオ様と比べて見た目に格好が付かないって思っているようなのよね。とは言え日頃ルウルウも何だかんだでちゃんと紳士しているのにね。とっても可愛い紳士だけど。
もっと自信持っていいのよルウルウ!
いつかあなたにはあなたのピッタリって相手が現れるはずよ。
何しろ竜の寿命は人よりも余程長いから、気長に待っていてもいいんじゃないかしらね。
その後は着替えてから国王の宮殿――大宮殿で明日の最後の打ち合わせ、要はリハーサルね。
王宮舞踏会の舞台は王宮にある全宮殿の中でも一際大きく豪華絢爛なまさにそこだもの。
それが終わるとあたしは自分の宮殿に戻ってようやく気忙しさから解放された心地でメイを待った。
ルウルウは珍しくもリハーサルには付いてこないで一人でお勉強していたみたい。ついさっき彼の日課の一つの就寝の挨拶をしにきたっけ。
案の定、メイが宮殿に帰ってきたのは夜になってから。
「あれ以降は目立ったトラブルもなく、観光後、宿に案内すると旅の疲れもあったのか家族の皆さんは安堵したようにして寛いでましたよ」
あたしの部屋まで足を運んで報告してくれた功労者メイに感謝だわ。これで心配で眠れないなんて展開にはならずに済んだ。明日の王宮舞踏会は万全で臨めるわ。
「本当にありがとうメイ。話を聞くに宿もとても良い宿に決めてくれたみたいだし、宿泊代はあなたが立て替えてくれたのよね。今更だけど急に無理を頼んじゃってごめんなさい。きちんと請求してね?」
「え、えーっと、それは……王宮の経費で落とす手続きをもうしちゃったので、どうかご心配なく!」
「ええっ、それはいいの? 大丈夫なの?」
メイはぐっと拳を握ってみせた。
「はいっそれはもうっ!」
何か不自然だけど、こうも根拠もなく自信満々にされると問い掛けるのもかえってできない。あたしの気にし過ぎ? うーん、おかしなメイ。
「そんなところで報告は以上です。聖女様、明日はモリモリラブラブな陛下と舞踏会頑張って下さいね!」
「う、うんそのつもりよ。ありがとう」
モリモリラブラブ……。
「ではお休みなさい聖女様! 良い夢を!」
「メイもね。お休みなさい」
溌剌として鼓舞してくれてその流れで就寝の挨拶も告げられては、やっぱりそれ以上は何かを聞けなかった。人間勢いって大事だわー。
「――あ、聖女様」
颯爽として扉口まで歩いたメイがふと足を止め振り返った。
言い忘れかしら?
「明るくて思い合ってて、とてもいいご家族ですね!」
あたしが何かを返す前にメイはにこにこしながら部屋を出て行った。
彼女が家族に好感を持ってくれたのが素直に嬉しい。
本来は関わらせるべきじゃないけど、関わらせてしまった人には家族を良く思ってほしいじゃない。
欲を言えばセオ様にもね。
でも彼にはリハーサルの間もそれ以外も家族の話はしなかった。彼といるうちはなるべく考えないようにもしたわ。気にされたり不愉快にさせたくなかったから。
あたしの家族を嫌っているとは思わないけど、今日の行動はあたしも家族も双方共に不適切だとは思っていると思う。彼も最早話題にしなかったもの。
でも、いつかほんの少しでもうちの家族を好きになってもらえたらいいなってそう願うわ。
いつもよりも明かりの多い王宮正門前には沢山の馬車の列。
それらが所定の待機場所や駐車場所に収まる頃には、きらびやかな大宮殿は人で溢れた。
まだ小さめに奏でられている音楽は意識の邪魔をしない。普段はもっと控えめな夜間照明の庭園も王宮池の周辺までゲスト達のために今夜は明るくライトアップされている。涼みに出た誰かが足元が見えず転んだりうっかり池に落ちたりする心配はないだろう。
ダンスホールのあるメイン会場では、国賓や国内外から集まった身分や財ある紳士淑女達がグラスや軽食を片手に暇なく談笑に興じ、人脈作りに余念がない。
開始予定時刻前で国王はまだ姿を現していない。
彼と公式行事に出席するのが常の聖女もだ。
公式行事とは言いつつも、聖女アリエルはこれまでは国内の集まりにしか出席してこなかった。聖女出現と報じられたこの約一年、彼女は諸外国へは秘匿されていたようなものだったのだ。本人にその自覚がなくとも。
そんな奇跡の存在たる聖女を初めてその目にするであろう諸外国からのゲストのほとんどは興味も津々だろう。
加えて、真しやかに聖女と国王の婚約の話は広まっていて、真偽を確かめたい者も少なくない。
当事国にいるこの機に有益な情報を得ようと、そこかしこで人々は聖女の話題を口々に上らせていた。
曲が変わり、とうとう幕が上がる。