わかったよ。この世界は壊す
保育園を後にして、靑詞は先ほどの光景を思い出しながら雲瀬に目を向けた。
「あの保育園の中に核かもしれないものはあったか?」
「………うーむ。核はわからないが、この世界はあの少年、陽斗の記憶を読み取ったものなのかもしれないというのは分かったな」
靑詞は思わず一瞬足を止めて目を見開いた。
立ち止まらなかった二人に追いつくように駆け足になって、靑詞は驚いた声を出す。
「元々その可能性はあったけど……確定するような話があったか?」
「いや、確定ではないんだが………大好きな人の話をしようということ自体があの少年向けに行われたように思えてな」
靑詞はそう言われて聞く前にその言葉の意味を考えていた。
別に好きな人について話そうということに違和感はなかった。だが雲瀬がそう言うのだから何か理由はあるのだろう。
そう考えれば陽斗という少年はあまり社交的には見えなかった。周りが元気よく話している間も笑顔で見守るだけで自分から声を出すことはなかったように思える。
自分が好きな父親について友人に話したいけれどできないと考えれば確かにあの発表会自体陽斗の願望が形になったのかもしれない。
「だけど、それだけで判断できるか?」
「だからかもしれないって話だ。でも、そう考える方が辻褄合うし………他の子供なんかを見ても特に違和感はなかったからな。可能性は十分だと思うぞ」
靑詞は現実と何も変わらない道を歩きながら思考を進める。
「じゃあ彼の記憶が基になっていたとして……あの子供自体が核だってことになる?」
だとすれば一歩前進ではある。靑詞は希望を込めて聞いてみるのだがまたしても雲瀬はあっさりとそれを否定してしまった。
「………今までの経験からの予測だが、それは違うと思うな」
「なんで?」
「記憶が読み取られた人間がそのまま核になっている場合の多くは、もっと我が強かったり欲望に忠実だったりするんだ。その点で見れば、あの子はいい子ちゃんすぎるからな。言う事を聞いて我慢したり、あの教室での振る舞いを見てもそれは無いと思う」
もちろん明確な証拠はないんだが、と聞くと靑詞は肩をすくめた。
結局話は進んでいないし、何の手がかりも無いと思ったからだ。
「ま、それはそれで……あの子を壊すなんてことがなさそうで安心だけどな」
「………あくまで可能性の話。先入観は持たない方が得策です」
アイビスのある意味で冷徹な正論に靑詞は少し疲れたようにため息を吐いた。
自分もこうやって完全に割り切って簡単に考えられれば、と辛そうに顔を顰めていると雲瀬とアイビスが足を止める。
倣うように足を止めた靑詞は二人の視線の先を見て気持ちを切り替えるように首を振った。
そこには家の庭先で植物の手入れをしていた陽斗の母が立っていた。
「とりあえず、また靑詞頼むぞ」
そう言われて靑詞は渋々といった表情で頷く。保育園で手がかりを完全には掴めなかったから、何でもいいから情報が欲しいのは山々だった。かといって靑詞とてどうすれば手がかりを見つけられるかはわからないからだ。
「……はぁ、とりあえず話を聞いてみないと変わらないか」
靑詞は自分を納得させるようにそう呟いて声を整えるように一度咳払いをして一歩踏み出した。
「こんにちは!」
「あら……?先ほどの」
「どうも、つい顔が見えたので」
靑詞はまた外行きの笑みを浮かべながら話しかけると母親も振り返って笑顔を返してくれた。
「さっき、保育園で発表会があって………みんな好きな人の話をしていました。陽斗君は、やっぱりお父さんについてでしたよ」
「ふふ、あの子ったら。きちんと発表できていました?」
「ええそれはもう!幸せなんだなってすごい思いましたし」
靑詞の言葉に、母親は安心したように笑顔を浮かべた。やはり母親として保育園に通っている息子のことを少なからず心配しているのかもしれない。
「そうでしたか……実は今度陽斗と一緒に旅行に行くんです。あの子も凄く楽しみにしていて、ずっとその話ばかりだったんですけど、昨日は私はその話をしても何か夢中で書いていたんです」
発表会の事だったのね、と母親は幸せそうに微笑む。
「そうだったんですか」
靑詞はそう前置きすると、陰にいるアイビスたちに一度目をやって、少しだけ覚悟したように息を吸い込んだ。
「お父さんって、何の仕事をされてたんでしたっけ」
「……………」
母親はまた、笑顔で固まっている。何の反応もない。
「お父さんはいつも何時ごろに帰ってくるんですか?」
「……………」
「お父さんは今何をされてると思いますか?」
「……………」
「昨夜、お父さんは何を食べました?」
「……………」
「お父さんのお名前ってなんて言うんですか?」
「彼は郁斗って言うんです。私が陽子で、陽斗は二人の名前から取ったんですよ」
笑顔で嬉しそうに言われ、靑詞は苦笑いしかできなかった。
「陽斗君に絵本をあげたって言ってましたね。何歳の誕生日だったんですか?」
「ええと、陽斗が3歳になった時でしたね」
「今がおいくつでしたっけ」
「今年で4歳になりました。子供って成長が早いですよね」
「………4歳の誕生日に、お父さんは何をあげたんでしょう」
「……………」
また、笑顔で固まってしまう。
「素敵なお父さんなんですね。そりゃ陽斗君も好きになるわけだ」
「ふふ、ありがとうございます」
「おっと、すみません長々と。また会えたら嬉しいです」
「はい、陽斗のこともお願いしますね」
靑詞は母親との会話を切り上げて離れていき、アイビスたちもその背中を追いかけていく。
「………雲瀬」
「ああ。そう言うことだろうな」
靑詞はやっぱりか、とため息を吐いて思わず地面に座り込んでしまった。
先ほどの会話を思い出しながら、ここにくるまでに雲瀬が言ってくれた予測が当たっていそうだ、と体の力を抜いて地面を鋭く睨みつける。
「あれは、別に無視しているわけでもない。……ただ答えられないだけ」
アイビスがダメ押しのように言うと、靑詞は力無くわかっているよと呟いた。
「テラーは記憶を読み取ってそこから仮想世界を作る。だから、記憶にないことは答えられない」
「………わかってる」
「フリーズしていたのは答えがないから。つまり彼のお父さんは」
「わかってるよ!」
靑詞は思わずイラついたように大声を出し、アイビスはなぜ声を荒げるのかと不思議そうに首を傾げた。
「………現実では存在しないんだろ。彼が3歳から4歳になった間に」
死んだかいなくなってしまったのか。
理由はわからないが、おそらくは前者だろう。
母に聞いても、陽斗の父に関しての情報が無さすぎたが、それが逆に根拠となってしまっていた。
「なぁ、この世界、やっぱり壊すのか?」
「………靑詞」
雲瀬が察したような気遣う声を出すが、アイビスは無情にも静かに頷いた。
「壊さないと靑詞の身が危ない。それに仮想世界は存在させてはいけないから」
「………あの子、現実じゃあもうお父さんに会えないんだぞ⁉︎でも、ここならいつだってお父さんが会いに来てくれる」
「でも」
「それにっ‼︎別に何も悪いことなんかしてないだろ……。ただ陽斗君はお父さんに会いたくて、ここにいたら会えるんだ」
それでも壊さないといけないのか、と靑詞は辛そうに問いかけるが、アイビスはまたしてもすぐに首を縦に動かす。
「そんなお前らみたいに簡単に考えられないんだよ!」
「………なぜ?」
「なんでって……!」
靑詞がアイビスに掴みかからんとばかりに声を荒げるが、雲瀬が間に浮かんで止める。
「靑詞、落ち着けって。気持ちはわかるが」
「気持ちがわかる……?人間じゃないお前らにか⁉︎」
「靑詞」
雲瀬の声は優しく、落ち着いたものであり、靑詞も荒げていた息を抑えながら悪い、と呟いた。
自分の憤りは彼らに向けても仕方がないとわかってはいたのだが、気持ちはそういかなかった。それに二人を否定するような言葉をいってしまったことに対しての謝罪でもあった。
尤も、アイビスは謝られた意味すらわからず首を傾げていたが。
「靑詞、冷静になって考えてほしい。確かに、ここは幸せな世界に見えるよな」
「………ああ」
「でも、どこまでいってもここは仮想世界なんだ。現実じゃない」
「………」
そんなことを言われても、靑詞としても納得はできなかった。
雲瀬やアイビスは造られた存在だから知らないのだろうが、靑詞は人間だ。人間には当然家族や友人が居て、その大切さも身に染みてわかっている。
靑詞がばあちゃんと呼んで慕っていた祖母はもう病気で死んでしまっている。もし祖母にもう一度会えるとすれば仮想だとか現実だとかは細かいことに思えたのだ。
もう一度、世界一美味しかった白味噌の味噌汁を作ってくれたら、それはなんて素敵なことだろうか、と。
それにこれは陽斗のように家族に対してだけではない。靑詞の学生時代の友人も事故で死んでしまった。靑詞はその話は事故の後に聞いたからその瞬間は、葬式に参列した祖母の時と違って知らなかった。
その友人は中高と一緒であったが、最も親しい友人かと言われれば正直そうでは無かった。だが、事故で亡くなったと聞いた時は確かに悲しみを覚えたし、もう関わりがなかったというのに心の中から何かが無くなったような喪失感も感じていた。
家族でなくてもそう思える相手はいるのだから、もう会えない人に会えるこの世界は素敵なものだとは思えても壊すべき世界だとは、どうしても思えなかったのだ。
雲瀬の言うようにここは仮想世界であり文字通り現実で起こっていることではない。
それはわかっている。
でも、もう会えない大切なひとに会えるということは、その程度のことを些事だと判断するには十分に思えた。
「靑詞。いいから落ち着いて考えてくれ」
雲瀬はそんな靑詞の迷いも察したように落ち着いた声でもう一度靑詞に語りかける。
「この記憶を勝手に読み取られた現実の陽斗君は、この世界を知らないから父親に会えたわけじゃない。いなくなったという事実が変わるわけでもない。……この世界に何の意味もないんだよ」
「でも……っ!」
「お前ら人間は繋がりを大切にするだろ。家族や友人や…そんな大切な人に会えるのは嬉しいと思うかもしれないけれどさ。本当に会いたいって思ってる現実の人類は会えたって知らないんだぞ。それどころか勝手に記憶を引き出されて知らないところで利用されるために作り出されるんだ……大切な人がそんな扱いをされていたら、辛くないか?」
靑詞は葛藤するようにぎゅっと唇を引き結びながらしばらく黙り込み、やがて力無く頷いた。
「だから、ここは壊さないといけない。勝手に大切な記憶を読まれた陽斗君が可哀想だろう?」
「………ああ」
まだ整理はついていない。でも、この世界はただの逃避であること、現実の陽斗には何の喜びもないことを理解すると、やりきれない気持ちの中でもこの世界を壊さないといけないという事実は認めざるを得なかった。
「わかったよ。この世界は壊す」
「ああ。それで良い。それに今のところ警察とか強力なホロンはいなさそうだから早めに行こう」
そういって雲瀬とアイビスはさっさと保育園に戻っていく。
靑詞は力無くゾンビのようにふらふらとついていくのだった。