安全運転お願いします1
騒がしいバーのバイトを終えて、昼過ぎまでぐっすり寝ていた時のこと。
――ピンポーン。
普段はほとんど鳴らないインターホンが鳴った。どうせ勧誘か宅配の間違いだろうと無視を決め込む。
だが、鳴り止む気配がない。
二回鳴らして出なかったら諦めるだろう、普通。
しつこさに負けて、寝起きのままドアを開ける。
「はい、何か用――」
「ふ、今起きたのか?寝癖ついてるぞ」
「……」
そこに立っていたのは、ディヴァイアンのボス。
にこやかな笑顔。なんで家の前にいるんだ、この人。
「最近、シフトを出していないそうだな?」
「あー……」
めんどくさいから、とは口が裂けても言えない。
しかもボスを玄関先で立たせてるこの状況、家にあげるべきなのか?地味にプレッシャーがすごい。
「今日は予定ないだろう?一緒にきてもらうぞ」
「は?」
ボス直々に迎えが来るなんて聞いてないんですけど。
あと、なんで俺の予定まで把握してるんだよ。どこで俺の予定は漏れてんだ。
そう思っていたら、ドアを押さえていた俺の腕を、横から掴む手があった。
驚いて顔を向けると、そこにはレヴィも立っていた。ボスの影に隠れて見えなかったが――まさか一緒にいるとは。
「行くぞ」
ボスのその短い声に、ためらいなく引っ張ってくるレヴィ。
俺に拒否権はねぇってか。
「あの、せめて着替えたいんですけど……」
「着替えならいくらでもある。俺はツナギをおすすめするが?着せやすいし、脱がせやすい」
……どこかで聞いたようなセリフ。
奴と同じ思考してんなこいつ。ただのセクハラにしか聞こえねぇ。苦笑いで流しながらも、内心では頭を抱えた。
「着替えます。待っててください」
そう言って腕を振り払い、ドアを閉める。
急に押しかけてきたんだ、ボスといえど少しくらい待たせたって罰は当たらないだろ。
俺は小さくため息をつきながら、寝間着のままの自分を見下ろし、渋々着替えに戻った。
*
車の後部座席。ボスと俺、そしてレヴィが並んで――いや、正確には“詰め込まれて”座っている。
ボスは言わずもがな、かなりの大柄。レヴィは細身とはいえ、結局は男三人だ。肩と肩がぶつかり合い、少しでも動けば押し合いになるほどの窮屈さ。
……助手席、空いてるよな?
なのに、どうして誰もそこに行こうとしない。俺を行かせてくれてもいいだろうに。
けれど、車はすでに走り出していた。今さら抵抗しても無駄だと悟り、俺は静かに身を預けることにした。
「それで、今日はなんでわざわざ迎えに来たんですか」
俺がそう聞くと、ボスは前を見たまま、穏やかな声で答えた。
「あぁ、甘いもの好きだろう?カタラーナは好きか?一緒にどうかと思って」
「……はい?」
一瞬、思考が止まる。
いや、まさか甘いものを一緒に食べるために呼んだとか、そんな話じゃないよな?
――いや、食べたいけど。
心の中で自分にツッコミを入れながら、思わずため息をついた。
「んであれば、普通に連絡してくださいよ。わざわざ迎えに来なくてもいいじゃないですか」
俺が呆れ気味に言うと、ボスは前を見たまま、どこか楽しげに口角を上げた。
「本拠地に着くと、お前は人気者だからな」
「……は?」
なんだその理屈。まるで意味がわからない。
「現に、レヴィだってついてきたじゃないか」
横目で見ると、レヴィは何事もなかったように窓の外を眺めていた。だが、俺の視線に気づいたのか、ちらりとこちらを見やる。無言のまま――けれど、その目はきっと「文句あるか」と言っていた。
……いや、別に文句なんてないけどさ。
自分が“人気者”だなんて、これまで一度だって思ったことはない。
そんな他愛もないやり取りをしているうちに、車は街道を抜け、緩やかな坂道を登りはじめていた。
後部座席では、ボスがご機嫌に鼻歌を口ずさみ、レヴィは変わらず無言。
どうして、ついて来てしまったのだろう――そんな思いが一瞬、頭をよぎり、逃げるように窓の外へと視線を向けた。
――その時。
「……ふむ」
ボスの低い声が響き、鼻歌が途切れた。
次の瞬間、車内の空気が一気に張り詰めるのを肌で感じた。
ボスの視線がルームミラーへと向かう。
何かを確かめるように目を細めたのを見て、俺もつられて後ろを振り返った。
――一台の黒い車が、一定の距離を保ちながらついてきている。運転手の顔までは見えない。だが、あの車には見覚えがあった。グリーンの車、だよな…。
「君は、本当に人気者だな」
ボスが、どこか楽しげに口角を上げる。
「……」
その言葉の意味を考えるよりも早く、ボスが短く命じた。
「――振り切れ」
次の瞬間、車は鋭く加速した。シートに背中が押しつけられ、体がわずかに浮く。ミラーの中で、黒い車もまるで呼応するように速度を上げる。
逃げれば、追ってくる。息を合わせるような、完璧なタイミングで。
……あいつ、何してんだ。
声にはならなかった。ただ胸の奥で、呆れと安堵が妙に入り混じる。
俺の予定なんて、あいつが把握してるのは当然。でも、こっちの“想定外”にまで付き合ってくるとか――……ほんと、どうかしてる。
外の景色が、流れるように遠ざかっていく。
ミラーの中で、黒い車のボンネットが陽光を反射してぎらりと光った。
それでも、距離は変わらない。
……頼むから、事故だけは起こしてくれるなよ。
心の中でそうぼやいた瞬間、車が大きく揺れた。思わず体が横に流れて、レヴィの肩にぶつかる。
「っと……」
レヴィは短く息を吐き、何気ない仕草で俺の肩を支えた。その手の力が意外としっかりしていて、少し驚く。
「……さんきゅ」
そう呟くと、レヴィは何も言わず、前を向いたまま。ただ、その口元がほんの少しだけ動いた気がした。
「俺に寄りかかってもいいぞ、安心して身を任せてくれ」
ボスが楽しげに言う。その笑い声が、エンジンの唸りに溶けていった。
……なんだろうな。同じ“支え”でも、レヴィの時と違ってまるで安心できないのは。
――絶対、踏ん張ってやる。
そう心の中で誓いながら、同時にもうひとつ、切実な願いも浮かぶ。
……頼むから、早くこのカーチェイス、終わってくれ。




