甘いものが食べたかっただけなんだ3
クロウとレッド、イエローが対峙し、どちらが先に仕掛けるか――張り詰めた空気が広場を支配していた。
互いに一歩も動かず、じりじりと探るように距離を保つ。
……そんな緊迫の中で、ただ一人。
俺を小脇に抱えたまま、戦う気配をまるで見せないグリーン。
「……なぁ、お前は変身しなくていいのかよ」
思わず小声で問いかけると、彼は至極当然といった顔で答えた。
「変身してしまうと、トオルさんとの“デート感”がなくなってしまいますから」
……いや、抱えられてる時点でデート感なんかねぇよ。
ヒーローたちが互いに牽制し合う事実が、そのままクロウという男の強さを物語っているようだった。
傍観していた俺に、クロウの鋭い視線が向けられる。レッドでもイエローでもなく――俺に。
「……私の部下が世話になったな。返してもらおうか」
クロウの低く響いた声に、空気がさらに重く沈む。だが隣のグリーンは、ただ静かに首をかしげた。
「……私の、ですか」
さっきまで笑みを浮かべていた顔から、色がすっと剥がれ落ちる。氷のように冷えた声に変わり、抱き寄せる腕がわずかに強く締まった。
……やめろ。笑ってた顔が無表情になるの、ほんとに怖いから。頼むから今すぐ離れろ。
「その言い方――気に入りませんね」
グリーンとクロウの視線が、空気を裂くように正面からぶつかり合う。グリーンは無表情のまま、淡々と告げた。
「……トオルさんを欲するなら、どうぞ。力尽くで奪ってみてください。その代わり――容赦なく潰しますが」
次の瞬間、クロウの眼鏡が鋭い光を反射し、不気味に煌めいた。
「……言われなくても、力ずくで取り返すまでだ」
言葉と同時に、クロウが踏み込む。
それに合わせて、グリーンが片足を払った。
抱えられたままの俺の視界が乱暴に揺さぶられ、次の瞬間――轟音が広場を裂いた。
「ちょ、待っ……おろせって!」
地面を抉る衝撃波。
クロウの蹴撃とグリーンの掌打が真っ向からぶつかり合い、爆ぜるような火花を撒き散らす。
互いに一歩も退かず、重圧だけが広場を支配していく。
その中心にいるのは、俺を抱えたままのグリーン。
変身すらせず私服姿のままなのに、迫る敵を触れさせもしない。
軽くいなす動きには、人間離れした“強すぎる余裕”が滲んでいた。
……だが、どう考えても構図がおかしい。
ヒーローが悪役みたいに立ち回って、悪の幹部が正義っぽく見える。そしてその腕の中で捕まっているのが俺。――納得できるか、こんな状況。
「トオルさん、完全にヒロイン枠っ‥!」
イエローが笑いを堪えきれず、肩を震わせているのが見えた。
……アイツ、あとで絶対シメる。
クロウとグリーンが再びぶつかろうと力を溜める。その圧力が連鎖して屋台が吹き飛び、広場の隅に残っていたクレープのキッチンカーがぐらりと傾き、今にも横倒しになりそうな光景が、視界の隅に飛び込んだ。
クレープ屋が営業できなくなるのは困る。
堪えきれず、声が零れた。
「おい。これ以上壊したら…ただじゃ済まさねぇぞ」
予想外に低く、冷えた響きだったことに自分でも少し驚く。甘いものが食えない苛立ちが、自分でも意識しないまま、言葉になっていた。
その一言は、確かにグリーンとクロウに届いたらしい。今まさに衝突しようとしていた二人の気配が、ぴたりと途切れる。張り詰めた空気ごと凍りついたように、場全体が一瞬で静まり返った。
戦闘員たちはただ成り行きを見ていただけだ。けれど――クロウとグリーン、その両方が同時に動きを止めた異様な光景に、そこかしこで息を呑む音が漏れた。
グリーンがふわりと微笑み、納得したように頷く。
「…あぁ、そうですよね。トオルさんの目的を台無しにするつもりはありませんので、安心してください」
まるで当然のことのように理解されて、逆に言葉が出なかった。一方、クロウは眼鏡の奥で目を細める。
「……壊したら、だと……」
クロウは低く呟き、長い沈黙に沈んだ。 眼鏡の奥の瞳は鋭く細められ、俺をまっすぐに射抜いている。
やがて、ふっと息を吐き、低く笑った。
「……なるほど。やはり貴様は知っていたのだな」
「……は?」
「我らがここで無闇に衝突すれば、例の作戦にも響く……。 いや、それどころか、組織の命運すら左右しかねん。 それを一言で封じるとは――我が部下ながら、さすがだ」
クロウは拳をゆっくりと下ろし、誇らしげに笑んだ。 その光景に、周囲の戦闘員たちは一斉に息を呑む。
いや……何も、知らないですけど?
「――いいだろう。ここは貴様に任せる」
勝手に自己完結して頷くクロウ。俺は困惑するしかなかったが、戦闘員たちは「さすがだ……」「任されたぞ……!」と勝手に熱狂している。 完全に状況が意味不明だ。
クロウは踵を返しかけて、ふと振り返った。眼鏡の奥で鋭く細められた視線が俺に突き刺さる。
「……だが、貴様は“私の”部下だ。誰であろうと渡す気はない」
その声音には、冷たい支配欲と誇らしさがないまぜになっていた。
周囲の戦闘員たちはさらに震え上がり、グリーンは露骨に不機嫌そうに俺を抱き寄せる。
「トオルさんは、誰のものでもありませんよ…まだ」
グリーンの声は柔らかく、しかし明確な敵意を滲ませていた。
再び空気が張り詰める。 だがクロウはそれ以上を望まず、ゆっくりと手を振り下ろすようにして戦闘員たちへ指示を飛ばした。
「撤収だ。……今日のところは、な」
モブ戦闘員たちを率いて歩き出し、クロウは静かに広場を去っていった。 残された俺は、グリーンに抱えられたまま深いため息を洩らす。
広場にはまだ甘い匂いの残り香だけが漂っていた。
そのとき、背後から駆け寄る足音が二つ。
「ちょ、ちょっと待って……トオルさん、作戦ってなに?あんなに簡単に“撤収”させるなんて聞いてないんだけど!」
イエローは思わず声を上げ、肩で荒く息をつきながら必死に問いかけた。混乱と困惑が顔に滲み出ている。
一方、レッドは正反対に、興奮を抑えきれず目を輝かせていた。
「やっぱトオルさんすげぇ!かっこよすぎる!!」
声を弾ませ、まるで少年のように無邪気に叫ぶ。グリーンに抱えられた間抜けな格好にかっこいいもないだろうよ。
「……お二人とも。最近、少し優しくしすぎましたか?」
甘く囁く声に、レッドとイエローがびくりと肩を揺らす。
グリーンは相変わらず穏やかな笑みを浮かべたまま、俺の抱き寄せる力が強くなる。おい、苦しいわ。
「どいつもこいつも、トオルさんにそんなに気軽に近づいていいと思ってるんですか?私も手荒なことはしたくないので……トオルさんを監禁されたくなかったら、距離はちゃんと考えてください。ね?」
言葉は穏やか、声も優しい。 なのにその響きは、背筋を這い上がるような冷気をまとっていた。
いつも無邪気なレッドもさすがに笑顔が引きつり、イエローは思わず一歩後ずさる。
「ちょっ……え、監禁って今さらっと言った!?お前ヒーローだからな!?本当に悪役なるなよ!?」
グリーンはにこにこと笑みを崩さず見下ろす。
その腕にがっちりと抱え込まれている俺は、冷や汗を滲ませつつも強い力でホールドされており身動きが取れない。
え、このまま監禁コースじゃねぇよな?
俺の不安をよそに、グリーンはさらににこりと笑みを深めた。 吐息のように甘い声が耳元に落ちてくる。
「……ねぇ、トオルさん。トオルさんが私以外の人のものに…なんて、想像しただけでも耐えられそうにありません。わかってますよね?」
ぞくり、と背筋が凍る。 優しい囁きなのに、内容はどう考えても脅迫だった。
「ちょ、ちょっと待って!とりあえず降ろしてあげな!?もう荷物みたいに抱えてるのが違和感なくなってるけど、このまま監禁されそうでマジで怖いから!」
イエローが必死に制止する。だがグリーンはにこにこと笑顔を崩さず、さらりと言い放った。
「いいえ……今から本店へ行きますから。トオルさんと、クレープを食べに」
「「…………は?」」
俺とイエローの間抜けな声が重なる。
ついさっきまで監禁だの脅迫だの言ってた奴が、何事もなかったように“デートのお誘い”みたいな声色に切り替わる。
「いいなぁ~!俺も行きた――むぐっ!?」
無邪気に手を挙げたレッドの口を、イエローが慌てて押さえ込んだ。 顔を引きつらせながら必死に囁く。
「ばっかお前!トオルさん監禁されたくなかったら行くんじゃねぇ!!」
レッドは「んんーっ!」と抗議の声を漏らし、腕をばたつかせる。 その横で、グリーンは楽しげに笑みを浮かべたまま、俺を抱き寄せている。
「……ふふ。大丈夫ですよ。"まだ"監禁なんてしませんから 」
ぞっとするほど優しい声。
おい、“まだ”ってなんだよ。未来の予定みたいに言うな。
俺はもう抵抗する気力もなく、ただ空を仰いだ。
「…スペシャルのやつと、いちごのやつな」
「ええ。……トオルさんが望むものは、全部、私が用意しますよ」
あまりにも自然に告げられるその言葉に、ツッコミすら出てこない。
こうして俺は、グリーンの腕に抱えられたまま――甘味への欲望だけを心の支えに身を任せるのだった。




