騒ぎの中心にいるのは4
「ちょっとォ~!あんたたち全員そろって何サボってんのよ!」
重苦しい沈黙を引き裂くように、豪奢な扉が勢いよく開いた。きらびやかで場違いなほどの声が響き渡り、澱んでいた空気が一瞬でかき乱される。
現れたのは――肩まで艶やかに流れるロングヘア。分厚い胸板と盛り上がった腕を隠しきれないシャツ姿。
……まさか、ジムの常連のエリさん?
「クロウ!アンタ書類の処理が全然進んでないじゃない!レヴィ!アンタ怪我人なんだから大人しく寝てなさい!ボス!B地区の後始末が残ってるでしょ?なにしてんのよ、こんなとこで揃って……え?」
腰に手を当て、容赦なくまくしたてる。
だが、部屋を一巡り見渡したエリさんの視線が、ある一点でぴたりと止まった。
俺と目が合った瞬間――その瞳が驚愕に大きく見開かれる。
「えっ、どうしてここに?!こんなところで会うなんて、奇遇ねぇ!……あ、ここでは“365番”って呼んだ方がいいのかしら?」
「エリさんこそ…なぜここに……?」
思わず声が漏れる。ジムで顔を合わせていただけのはずの人間が、よりによって〈ディヴァイアン〉本部にいるなんて――胸の奥に嫌な予感が膨らんでいく。
視界の端では、ボスとクロウが興味深そうにこちらを眺めていた。レヴィは無言のまま、相変わらず俺の斜め後ろに立ち続けている。そんな視線など気にも留めず、エリさんはつかつかと歩み寄り、俺の座るソファの前に仁王立ちした。
「ちょっとォ?なんで“365番”がここにいるのよ。アタシ聞いてないわよ?」
「……ああ。連れてきた」
ボスが、にこやかに答える。
「まさかとは思うけど、無理やり引っ張ってきたんじゃないでしょうね?」
その声音が落ちた瞬間、空気が重く沈み、部屋全体が息をひそめた。大きな背中が、自然に俺の目の前へと滑り込み、庇うように立ちふさがる。
「そんな手荒な真似はしない。もちろん同意の上だ」
ボスの声は相変わらず穏やかだ。まぁ、同意といえば同意……なのか?
「ふぅん、そう。それで――連れてきた理由は一つでしょう?もう話はついたのかしら?」
その言い方はあまりにも自然で、まるでボスと肩を並べる立場であるかのようだった。クロウですら無言で様子をうかがっている。……なんだ、この対等な物言い。
ボスやクロウに一歩も引かずに言い返す姿は、とてもただのジム仲間には見えない。まさか――この人も幹部だったり……?確信には至らない。けれど、その疑念は胸の奥でじわじわと膨らんでいく。
「……ま、まだ話がついてないなら、ワタシも参加するわよ」
そう言って、エリさんが一歩前に出た。だが、この部屋には空いている席がない。
一人掛けのソファには俺とクロウ。正面にはボスが悠然と構え、すぐ背後に立っているレヴィ。この状況で席を譲れるのは――どう考えても俺しかいない。
……いや、本当は立つどころか、このまま部屋を抜け出したいんだけど。
「あの……とりあえず俺、立ちますんで。エリさん、座ってください」
そっと腰を浮かせると、エリさんがすかさず声を張った。
「あら!いいのよ、座ってて!」
「……いや、大丈夫です。どうぞ」
偉い人たちの中で平然と腰掛けていられるほど、俺の肝は据わっていない。それを悟られまいとしつつも、本音をにじませて立ち上がろうとした――まさにその時。
「……じゃあ、365番は俺の膝に来るか?」
にこやかな笑みを浮かべながら、ボスは自分の膝を軽くポン、ポンと叩いた。
「…………は?」
一瞬、耳を疑った。冗談か本気か判断できず、場が凍りつく。クロウの眉間には険しい皺が刻まれ、レヴィの放つ冷気が室内をぎゅっと締め上げる。ただひとり、エリさんだけが「あらまぁ♡」と楽しそうに口元を押さえていた。
「……い、いえ。遠慮します」
冷めた声が思わず口を突いて出た。ボスって、冗談を言うんだな……。
「ボス。不適切です」
低く釘を刺すクロウ。しかしボスは微笑を崩さぬまま、もう一度膝をポンと叩いた。
目の奥に光るのは、どう見ても冗談のそれじゃなかった。冗談なら笑って流せるのに、本気の圧で膝をポンポンされても……いや、どうしろってんだ。これ、正解ルート存在する?
クロウの冷徹な視線。エリスの場違いなほど明るい騒ぎ声。すべてが絡み合い、居心地の悪さだけがじわじわと肌にまとわりついてくる。
その時、すぐ背後から空気が揺らいだ。
ーーレヴィだ。
一歩前に出たかと思うと、俺とボスの間に無言で割って入る。
肩越しに伝わる冷気がやけに鋭い。まるで目に見えない氷柱を投げ込まれたみたいに、室内の温度が一瞬で下がり、怒っているのがわかる。いや……なに怒ってんだ。
ボスの冗談が癇に障ったのか、それとも別の理由か。俺には皆目見当もつかない。ただ、拳を固く握りしめるレヴィの横顔は、今にも殴りかかりそうなくらい剣呑で――。
ずっと俺の後ろに突っ立って、まるで護衛みたいだとは思ってたけど…色々と間違ってないか。守るべき相手はボスのはずで。嚇してどうすんだ、と、ため息を飲み込み、気づけば手を伸ばしていた。
「急にどうした。……ほら、落ち着けって」
吠える犬を宥めるみたいに、頭をわしゃ、と撫でる。
一瞬、空気が凍りつくが、次の瞬間にはレヴィの拳から力が抜け、肩の緊張もすっと解けていった。鋭い冷気は跡形もなく消え失せ、ただ大人しく撫でられるまま立ち尽くしている。
……落ち着いたか?困惑する俺の横で、レヴィは視線を伏せ、まるで命令を待つ従順な犬のように静止していた。
その様子を眺めながら、ボスがゆるやかに口元をほころばせる。
「……やはり、うちに欲しい人材だな」
ボスの言葉が落ちた瞬間、室内の空気がわずかに揺れた。
「そうねぇ!正式にうちで働いちゃいなさいよ、365番♡ジムでも思ってたけど、アンタ意外と気が利くのよ。空気読むの下手なくせに、人を黙らせるのは得意じゃない?」
悪戯っぽく笑うその言葉は冗談めいて聞こえるけれど、声色には本気の響きがあった。
「……事務処理の手際も悪くない」
低く淡々とした声が続く。クロウだ。
「我々を前にしても動揺せず、怯むこともない。その胆力は十分に評価できる」
ぎょっとして振り返ると、クロウの冷徹な視線が真っ直ぐ俺を射抜いていた。誇張も冗談もなく、本心からの言葉に思えた。
……いや、単に“相手の格”を理解してなかっただけなんですけど。
次々と積み上げられる言葉の石垣に、退路はじりじりと塞がれていく。
エリスの弾んだ声、クロウの冷徹な評価、ボスの確信めいた笑み。三者三様の視線が、じわじわと俺を“仲間入り”へと追い込んでいた。
……いや、待て。なんだこの空気。俺、もうここで働くこと決定みたいになってないか?
下手に口を挟めば、かえって話がややこしくなるのは目に見えていて。
カフェオレなんか買いに行くんじゃなかったと、後悔だけが波のように押し寄せてくるのだった。




