日雇いバイト
最近、ふと思う。
例のやられ役バイト、給料は悪くないけど、変なやつに遭遇する確率がやたら高い。
中でも厄介なのが、“緑のヒーロー”。
どこにでも出没する奴を避けるため、今日は全然関係ない日雇いバイトを選んだ。
交通費も出るし、電車一本で行ける距離。少し遠くても、会わずに済む可能性が高いだけでありがたい。
──そう思ってたが、甘かった。
朝の駅。通勤ラッシュのピークで、ホームは人の波に埋もれていた。
「うわ……最悪……」
眉をひそめながらも、そのまま流されるように電車へ押し込まれる。
どうにか電車内の中央あたりにポジションを確保。
目の前にいるのは、がっちりした体格のサラリーマン。
痴漢冤罪の心配は少ないけど、なんだか息苦しい。
電車がカーブに差しかかり、大きく揺れた。
その反動でバランスを崩し、思いきり前のサラリーマンの胸に突っ込んでしまう。
「……すみません……」
小さく謝りながら体勢を立て直そうとするが、びくとも動けない。
まるで壁のような人混みにぎゅうぎゅうに囲まれて、空気さえ薄く感じる。
──そのときだった。
背後から、妙に自然な動きで腕が伸びてきた。
腰にそっと添えられた手。そのまま、背中ごとふんわり包み込まれるように密着される。
「は……?」
しかも、触れてる位置が……完全にアウト。
耳元に、ふっとかかる吐息。
そして聞き覚えのありすぎる、ねっとりした甘い声。
「おはようございます、トオルさん。今日も……可愛いですね」
ゾクリと鳥肌が立つ。慌てて振り返る。
──いた。やっぱりいた。
あの髪色、あの顔、あの笑顔。
ストーカーヒーロー、“グリーン”。まさかの密着登場だった。
「……なんで、ここに……」
ぼそっと呟いた。
驚きも怒りもなく、ただ静かにうんざりする。
「ダメですよ、トオルさん。満員電車なんか乗っちゃ。誰にどこを触られるか分かりませんし」
「……触ってんのお前だろ」
無表情のまま、淡々と突っ込む。
相手の思惑にも反応にも、いちいち乗る気はない。
「ふふ、見守ってはいたんですが、支えが必要かと思いまして」
腰に添えた手が、自然な動きで密着してくる。全身を預けるような、慣れた距離感。
「……支えなんかいらねぇから離れろ」
「トオルさんが悪いんですよ?まさかサラリーマンの胸に飛び込んでいくなんて…そんな姿を見て耐えれなくなりました」
耳元に、甘いけど温度のない声が落ちる。
「こんな空間で、他の男と密着するなんて……許すわけ、ないでしょう?」
淡々と、まるで当たり前の理屈みたいに言いながら、
腰に添えた手が、じわりと力を込める。
どこまでも真顔で言い切るグリーン。
周囲から見れば、どう見ても“恋人を守る彼氏”だ。同性だという違和感すら抱かせないほど、自然な振る舞いで。
「……トオルさんって、本当に無防備ですよね。こんなに隙だらけで……見てて心配になります」
「お前がいなけりゃ、もっと平和だよ…」
グリーンの顔が肩越しに近づく。
「この電車が目的地に着くまで……ずっと、守ってますから。安心して身を任せてください」
口元に浮かぶ笑みを見ずに、俺は静かに目を閉じた。
心の中で「バイト代」を3回唱えて、気を紛らわせる。地獄のような朝は、まだ始まったばかりだ。
スルリ、とグリーンの手が太ももの内側、ギリギリの位置まで滑り込んでくる。
「……お前どこ触ってんだ」
「支えてるだけですよ……あ、今ちょっと揺れましたね。大丈夫ですか?」
喉の奥がかすれて、うまく声が出ない。
それでも叫ぶわけにもいかず、低く、吐き捨てるように言った。
「……お前、完全にアウトだからな……」
「トオルさん、左脚より右脚のほうが、ほんの少し筋肉のつき方が違いますね。可愛い」
「おい……っ……」
筋肉のつき方なんぞ、俺でも知らんわ。
ガタン、と電車が揺れる。
その瞬間、体勢を崩した俺を、グリーンの腕が逃さず、今度は背後からぴたりと抱き込むように包み込んだ。
「ふふ……自分から飛び込んできてくれるなんて、嬉しいですね。今日を記念日にしましょうか」
嬉しそうに囁かれ、無言で奴を睨みつけた。
怒るより先に、頭がクラクラしてくる。
前も、後ろも、横も。
人、人、人。ぎゅうぎゅうの満員電車に、逃げ場なんてない。
(……もう二度と、満員電車なんか乗らねぇ……)
心の中で静かにそう誓った、そのとき。
「……あ、そうだ。今日、トオルさんと同じ日雇いバイトに応募したんです。某会社の箱詰めのお仕事ですね」
「は……?」
「一緒に頑張りましょう」
(……最悪だ……!)
俺の内心の絶叫も、満員電車の雑音にすべてかき消されていった。
*
ーーーバイト先の休憩所。
折りたたみの長机に紙コップとお菓子が並べられ、空気はやけに和やかだった。
「差し入れです。よければどうぞ」
にこやかな笑顔で差し出されるクッキーの袋。
見るまでもなく、差し出してきたのはあの緑の男──グリーンだった。
「まじで、いるのか……」
「はい。偶然にも同じ現場に応募しましたので」
「偶然のわけあるか……」
ぼそっと返すと、グリーンは目を細めて、楽しげに微笑んだ。
「偶然を装って近づくのって、恋愛の王道ですよ?」
「ストーカーのテンプレだろ、それは……」
そう言いながら、トオルはお菓子を受け取ってしまう。
断ったところで「トオルさんにはこういう甘さが合いますよ」とか言われて、結局押し切られるのがオチなのはわかっていた。
(……夕方までには帰れると思ってたのに……)
現場は思ったより長引きそうで、グリーンはまるで初めからこの職場の一員かのように、空気に馴染んでいた。
しかもバイト内容はというと──
「トオルさん、重たい作業は僕がやっておきました。無理は禁物ですからね」
「飲み物、こっちに冷やしておきましたよ。甘いの好きですよね?」
「日陰のほうが涼しいですよ。休憩、代わります」
何から何まで過剰なまでに配慮されていて、働いているはずなのに、どんどんダメになっていく感覚だけが残る。
トオルは力なくクッキーをひと口かじった。
脳が糖分に溶けていくのを感じながら、静かに思う。
(……ヒーローって、マジで……暇なんか……)




