プリンに罪はない
――ディヴァイアン地上アジト。
辞めていく新人が後を絶たない中、多少は戦力になると見なされたのか、人手が足りなかったのか――追加シフトの出勤要請がきたので、本日もバイトにやってきた。
今日の仕事内容は、現場ではなく倉庫の片づけ。
割り当てられた個人ロッカーを開けると、見慣れない新品の作業着――つなぎが置かれていた。
いつもは雑魚役によくある、あのダサい全身真っ黒スーツとマスクが支給されていたはずだ。
(……ただのバイトに新品?)
動きやすいし有難いことではあるが、入れ替わりの激しいこの現場で、わざわざ新品を用意されるとは思っていなかった。
不自然な厚意に一瞬引っかかりを覚えるが、深くは考えないことにして、ありがたく袖を通す。
(……本当は、しばらく顔出す気なかったんだけどな)
作業着に着替え、指定された倉庫へ。
段ボールを片づけ、埃をかぶった棚を拭き、ガラクタの山を整理を開始する。
が、不意に気配を感じて顔を上げた。
――すぐ隣に、見知らぬ青年がいた。
まさか奴か?と一瞬身構えたが、少し拍子抜けする。
俺と同じように段ボールを持ち上げ、作業している青年。
年はたぶん俺と同じか、少し下。白銀の髪に無表情な顔――人間味の希薄な印象だ。
(……いつからいた?)
声をかけ損ねたまま、作業に戻る。
すると、青年は俺の動きをトレースするようにぴたりと動き始めた。
まるで事前に動線を読んでいたかのように、先回りして荷物を運び、倒れそうな棚を支える。
こちらの動きに完璧に同調している。
効率は段違いだ。無言だが、妙に息が合う。
(……まあ、手間が省ける分にはいいか)
名前も立場もわからない。だが今は、ただ隣にいる“彼”の存在が作業を不思議と楽にしてくれている――それだけで十分だった。
◇ ◇ ◇
休憩時間。
裏スペースの自販機前で、プリンを片手に一息ついていると――
さっきの白銀の髪の青年がまた現れた。
無言のまま隣に腰を下ろし、ビニール袋からプリンを取り出し、差し出してくる。
「……くれんの?」
返事はない。ただこちらをじっと見ている。
試しに受け取ってみると、その無表情がわずかに緩んだ気がした――ほんの一瞬、目の錯覚かと思うほどに。
(……懐かれてんのか?)
休憩が終わる頃には、また青年の姿はどこにもなかった。
気づけば隣にいて、気づけばいなくなる。その存在は空気のように自然で、だが確実に助けになっていた。
作業に戻ってからも、隣に立ち、無言で動きをサポートしてくれる。
目が合うたび、ほんの少しだけ口角が上がる。――笑ってるのか?あれ。
無言のくせにやたらと距離が近く、息の合い方が異常に正確で、こちらが一言も発さなくても、何を欲しているか読み取ってくる。なんなんだ、こいつは。
そして作業がすべて終わったあと、ふと周囲を見回すと――彼の姿はどこにもない。
(……帰ったのか?)
作業台の上には、さっきもらったプリンが残されていた。
あとで食べようと思ってたのに、すっかり忘れてた。冷蔵庫に入れときゃよかったな……と手に取ると、まだ冷たい。
……なぜだ?
その時――
「お疲れさまです、365番」
「……またお前か」
不意に背後から声をかけられる。気配も足音もない。
振り返ると、私服姿のグリーンが相変わらず丁寧すぎる笑顔を浮かべて立っていた。
「今日はシフトに入ってなかったはずなのに勤務されているのが心配で…。無理はしていませんか?ちゃんと休憩、取れましたか?」
「……」
もはや、自分の動きが完璧に把握されていることにも驚かなくなっている自分が怖い。
「その手に持っているプリンは……?」
「あ?これ?さっきもらったやつなんだが……」
お前には関係ないと思いつつも、すべてを見透かすような目で見られると、なぜか正直に話してしまう。
「……そうですか。でしたら、気をつけてください」
「何を?」
「“誰が”あなたに何かを与えるか。“なぜ”それを渡してくるか…その意図を、あなたはどこまで考えていますか?」
そう言うなり、グリーンは手を伸ばし、俺の手からプリンを奪い取った。
「あ、おいっ!」
「こちらは回収します。その代わり、こちらをどうぞ」
差し出されたのは、有名店の限定プリン。
ラベルは完璧に正面を向いていて、手に持つと冷蔵庫から出したばかりのように冷たい。完璧すぎる状態。
「硬めのプリンがお好みでしたね?」
「……なんで知ってんだ」
一瞬、笑みが深まったように見えた。
だがその声は静かで、どこか不気味な温度を孕んでいた。
「ちなみに、使用されたスプーンや容器のゴミはこちらでいただきますよ」
「あ? 別にそこにゴミ箱あるし……」
「いえ、こちらで回収します。大切に保管しますので、ご安心を」
「……ぜってぇ渡さねぇ」
にこり、と微笑む。だがその裏には、明らかに何か狂った執着が滲んでいた。
「それにしても……今日のつなぎ、よくお似合いですね」
グリーンの視線が、胸元から腰、太ももにかけてじわりと這う。服の上からでも、肌をなぞられるような嫌な感覚があった。
「つなぎって、便利ですよね。前面のファスナーを下ろせば、すぐに……こう、剥がせる」
さらりとした口調に揶揄も冗談もない。むしろ構造的な分析にすら聞こえる。
「作業着としては理にかなった設計です。動きやすく、脱ぎやすい。でも、だからこそ――危険なんです」
「は?」
「あなたのように無自覚な人が、それを着て屈んだり、腕まくりしたり、首筋に汗をかいたりすると……周囲の理性を試すには、十分すぎます」
「いや、だから何なんだよ……」
「つまり、脱がせやすくて、乱しやすくて、そのまま押し倒しても支障が出ない構造なんです。“その気になれば、すぐに事が済む”と、頭の中で勝手にシミュレーションしてしまうんですよ」
そう言いながら、グリーンの手が俺の耳にかかった髪をそっとかき上げる。
その目は笑っているが――明らかに狂気が宿っていた。
「冗談じゃなく、本当に……。さっき倉庫の隅で、少し理性が削れました。ここが密室じゃなくてよかったですね」
静かに、しかし明確に脅しを含んだ空気。
「つなぎ姿で何気なくしゃがむだけで、こっちは呼吸が乱れるんですよ。それだけ無防備で、無自覚にこちらの正気を削っている自覚、あります?」
「あるわけねぇ……」
「それがいいところではあるんですが‥‥その隙の多さ、警戒心の薄さ、無防備な動作……押し倒される側としての“才能”が高すぎて心配になります」
いやどんな才能だよ…。その目は笑っているのに、口調だけは変わらない。
「安心してください。私も、“ここでは”何もしませんから」
俺は言葉を失っていた。
目の前にいるのは笑顔の人間――いや、人間の皮を被った“何か”、か。
「……じゃ、俺そろそろ帰るわ」
身の危険を感じ早々にこの場から立ち去ろうと決め、ぎこちない動きで立ち上がると俺は足早に休憩所を離れた。
背後からは何も聞こえない。足音も、追ってくる気配もない。
なのに、妙に冷たい汗が背を伝う。
もらったプリンはしっかり手に持っており、自分の食い意地が少しだけ情けなかった。
プリンに罪はない…
一度も振り返らずに裏通路を抜け、ロッカーへ戻る。ここまで追ってきてないので大丈夫だろう。
作業着を脱ぎ、私物のリュックを背負う。
あの新品のつなぎは、畳んで棚の奥に押し込んだ。
(二度と着ねぇ)
カードキーを通して、センサーゲートを抜ける――
いつも通りの手順のはずなのに、背中はじっとりと汗ばんでいた。
……これ、絶対バイト代に見合ってねぇだろ。
◇ ◇ ◇
作業現場から365番の気配が完全に消えた頃――
倉庫内では荷物を動かす音や作業員の声が飛び交っており、バイトたちは今も忙しなく動いている。
その中で、グリーンはふと立ち止まり、わずかに目を細めた。
空気の端――ざわめきに紛れる、ごく一瞬の冷気。
(幹部の中でも特に厄介な氷使い――レヴィ)
無口で何を考えているのかわからない彼。気配は微弱だが、確かに“そこにいる”。
誰にも聞こえぬよう、グリーンは小さく呟く。
「……彼の前から退いた判断、感謝しておきます。けど――次は許可しません」
それは、優しげな笑顔のまま放たれた、明確な牽制だった。
ざわつく倉庫の中で、それに気づいた者は誰もいない。
ただ、気配とともに冷気はすっと引いていった。
グリーンは軽く息をつき、また穏やかな笑みを浮かべて、作業員の間をすり抜けていく。
――まるで、何もなかったかのように。




