9話 どうぞ!
――ん?
聞き間違えだろうか。
何も考えられなくなって呆けていると、シエルがおそるおそる口を開いてくる。
「視線……その、感じるのですが……」
「うっ――マジっすか……」
全部バレていたのか……
これは恥ずかしい。
言い訳してもかえって状況が悪化しそうだし――やはり、ここは素直に謝るべきだろう。
「ごめん……嫌だったよね……」
「い、いえいえ! そういうわけではっ!! えちと、その……お見受けした感じですと、私の尾が気味悪い……っていう感じじゃないですよね……? ご興味があるという理解で……あ、あってます……? 自意識過剰ですか……?」
「それは……その……」
そんなわけがない。
というか、シエルの上目遣いがあざといぐらい可愛くて――
だが、俺が動揺を隠せずにいると、シエルは逆に安心したようにふっと笑う。
「そうですか……じゃあ……あの……もしも……もしもですよ……? もしも、ユウ様がよかったらなんですけどっ――」
ゆっくりと、シエルが近づいてきた。
俺のそばによると、そっと体を横にして、俺に尾を近づけてくる。
「――どうぞ!」
「え……?」
「あのっ……お好きに、どうぞっ!」
一瞬、頭が真っ白になった。
暗い中でもシエルの顔が真っ赤になっているのが息遣いから簡単に想像できる。
ぎゅっとかたく瞑った表情とは裏腹に、ゆらゆらと穏やかに揺れる尾。
「……いいの?」
「はいっ……ユウ様なら……大丈夫ですから……」
少々、疑義のある言葉が出てきたが――大丈夫の範囲は限定的に解釈しないとまずそうな気がする。
少し顔を近づけてみると、毛布から漂ってきた心地の良い香りが俺の鼻をくすぐってきた。
そのまま、そっと手を触れる。
「……うぁ」
聞いたこともないような蠱惑的な声。
びくりと尾が小さく震える。
「ご、ごめんなさっ……あの、違います。嫌とかじゃなくて……そ、その……私、尾を人に触られるのは、初め……んくっ」
「えっと……続けて、いい……?」
「っ……」
無言で何度も頷くシエル。
どうやら、物凄く緊張しているようだ。
そんな彼女の様子が少し面白くて、俺の方は逆に緊張が解けてきた。
「おー……やっぱいい匂い、するな……」
「ひぃっ!?」
と、俺が尾に顔をうずめた瞬間、シエルがびくりと背を反らす。
さすがにやりすぎたか――そう思って尾から顔を離すと、俺を追いかけるようにシエルの尾が絡みついてきた。
「大丈夫ですっ! ど、どうぞ……」
「本当か? 無理してない?」
「してな……って! う、あははっ、くすぐった……ユウ様の息がっ……ひぁああっあっははは!?」
これは驚きだ。
こんなにも明るい笑い声をシエルが出すことができるなんて。
もう少しその笑い声をきいてみたい気がするが、苦しそうだし、ここは離してあげるとしよう。
「ごめんなさい……なんか変な声が出て……うぅ……」
「いやいや……その、なんだ……可愛くて、いいと思う……」
「いっ――!? そ、そうなの……です……?」
むしろ、自覚がないのが嘘くさく感じてしまうほどなのだが――それを言っても、シエルは信じてくれないだろう。
それを証明するかのように、シエルは弱々しい声で話し続ける。
「でも私……顔も傷だらけで……凄く醜い女だって……だから、戦闘特化の奴隷として扱われてたのにっ……」
「そうなの? でも、少なくとも今は傷なんてないよな」
「あはは……それはそうですけど……」
「今まで周りからなんて言われたか知らないけど……俺はいいと思うんだけどな。シエル一緒にいると、なんか落ち着くし……」
「うえっ――!? そ、そうなのですか……?」
「うん。シエル、優しいからね。尻尾も触らせてくれるし」
「それは……そんなもの、触りたいって人の方が珍しいですよ……」
「そんなものなんていうなよ。俺のお気に入りだぞ」
「っ――」
――と、その瞬間だった。
俺の言葉をきいたシエルの目が一気に潤む。
「うぅっ……ああ、ぁあっ……」
「シエル……?」
調子にのってからかいすぎただろうか。
そう後悔する間もなく、シエルの目から、涙がぽろぽろと零れてきた。
「うああああああっ……あああっ……」
「え、どうしたの? ごめん、ごめんって!」
やはり、尾を触られるというのは不快だったのだろうか。
調子にのっていじりすぎたのだろうか。
そんなふうに困惑していると、いきなりシエルは俺の腕に抱き着いてきた。
「……ユウ様……貴方は、やっぱり変な人ですっ……! ガラ・ドーラも倒しちゃうし……私のこと、可愛いとか……それに、優しすぎ……しかも、名前までっ……! うええっ……」
「え、ちょっ……シエル……」
あまりに唐突かつ大胆な行動に、うまく言葉が出てこない。
柔らかな体の感触が俺の腕を包み込んでくる。
「やっぱり私……死んでいるのではないでしょうか? ここは死後の世界じゃないのですか?? 分からないですっ……こんな、こんな安らかな気持ち初めてでっ……こんなの、現実じゃないです……怖いですっ……!」
「シエル……」
「うっ……うぅううっ……」
とはいえ、さすがにこの状況だ。
シエルと密着していることの心地よさに受かれている場合でないことぐらいは分かる。
シエルの体は震えている。
冗談なんかではなく、本気でシエルは怯えている。
言葉どおり――今の状況が夢なのではないかと。
「まぁ……その、なんだ。……よく、頑張ったね。シエル」
「えっ――」
俺はシエルのことを全然知らない。
今までにきいてきた話の中で、断片的に彼女が体験してきた辛さを想像することしかできない。
そんな俺が出来ることといったら――
「大変だったんだろ。色々……まぁ、想像するしかできないけどさ。お疲れ様」
「うぁ……」
シエルを労うことぐらいだろう。
シエルの痛みに、共感してあげることぐらいだろう。
そう思って、シエルの髪をなでると――
「うぅ――うあああああああああああっ!! うわあああああああああああんっ!!」
シエルの口から泣き声があふれ出た。
それは、まるで壊れた堤防から一気に水が流れ込むように。
シエルの小さな手が、俺のシャツにしがみついてくる。
その姿は、親にすがる幼子のようだった。
†
「大丈夫か、シエル」
シエルの声がおさまったころ、俺は彼女の背中をさすりながら彼女に話しかけてみた。
すると、シエルはゆっくりと俺から体を離す。
「……ごめんなさい。取り乱しすぎました……」
「はははっ。謝るなって。えーっと……すごくいい匂いだったぞ、ありがとな!」
「うーっ……なんですかそれ……やっぱユウ様は変です」
――うん。我ながら、今のフォローは下手だったと思う。
恥ずかしいので無言のままスルーしてみる。
すると、シエルはくすりと笑って話し続けてくれた。
「不思議です……貴方と会ってから、まだほんのわずかなのに……私、今までの人生の中で、一番充実した時間を過ごしている……」
「ははっ、大げさじゃない?」
「大げさじゃないですよ……本当なんです……」
言葉では否定しておいたが、正直、俺もシエルの気持ちはなんとなく分かる。
シエルと出会ってからの時間は、日本でだらだらと働いていた毎日よりも圧倒的に密度が濃い。
「泣く……なんてこと、ずっと前から、しなかったのに……誰かの死を見ても、悲しいとか、弔おうとか……全然、感じなくなったのに……今は凄く胸が痛いです……選別試験で同じ奴隷を殺してきたことが……決死隊の人たちを助けられなかったことが……」
「シエル……」
ぐったりと俺に体を寄せてくるシエル。
だが、俺を見上げてきたシエルの表情は、とても穏やかだった。
「でも、同時に、とても安らかなんです……貴方と『握手』してからずっと……とても温かいものが私の中からこみあげてきて……貴方に触れられるのが……気持ちいいんです……」
「……そっか。それなら嬉しいよ」
「えへへ……ハッ!」
と思いきや、シエルはがばっと体を起こして俺から離れる。
何事かとシエルを見つめていると、彼女は慌てた様子で何度も頭を下げてきた。
「申し訳ございませんっ! 私、勝手にべたべたと――」
「いいって。シエル。これはただの恩返しだ」
「えっ――」
俺の言葉に、きょとんと首を傾げるシエル。
「俺はシエルをガラ・ドーラから助けた。そして、今度はシエルが俺を助けてくれている。俺一人だったら、野宿の仕方も分からず今頃野垂れ死んでいたさ」
「そんな、でも貴方は――」
「どんなに強くても、食べなきゃ死んじゃうよ。だから、シエルは俺の命の恩人。ありがとな」
「ユウ様……」
俺の言葉にシエルはうつむいたまま答えない。
意識してかどうかは分からないが、シエルの尾が俺の体にくっついてきた。
「いやー……でも本当に良い匂いだよな……獣人族って皆こんな匂いなのかな……」
「うぅ……それはよく分からないですけど……でも、そんなに気に入ってくれたのなら……」
シエルの手が、俺の手の甲にそっと重なる。
「今夜は……その……ここで寝ます……? 私と一緒に……」
それは俺に対する質問だったのか。
それとも、彼女の願いだったのか。
はっきり答えられるほど、俺は自分に自信があるわけではなかったが――
「あぁ。シエルと一緒だと……その、嬉しいかな。今日は一緒に、ゆっくり休もう」
俺の言葉に、シエルが嬉しそうに頷く。
それを見ることだけで、俺の心は十分に満たされた。




