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3

「練習……?」


 レティア姫の声が低かったので、ユース宰相は目を開いた。彼女はしかめっ面をしている。


「レティア?」

「そうでございますね! 私(わたくし)はいっぱいいっぱいなのに、ユース様は平気で、ちっとも緊張なんてしなくて……」


 ペシン、とレティア姫の右掌がユース宰相の胸を叩いた。


「私(わたくし)には一つ一つが忘れられない思い出で、こんなに緊張したり、恥ずかしくてならないというのに……。ユース様からしたら単なる揶揄いとか遊びですものね!」

(えっ。何かスイッチが入ったというか入れてしまった……? 何故怒る。この可愛げのない顔は見たくないのだが……)


 目を釣り上げたレティア姫はユース宰相の上から降り、更にソファから床へと降りてスッと立ち上がった。


「寂しがらせたら……。ユース様は平然としていられるからですよね。嫉妬したというように見せたり、心にもないことは言わなくて構いません」


 プイッとそっぽを向くと、レティア姫は部屋から飛び出してしまった。


(うげっ。この時間に出て行くとは、エトワールかカールのところに籠城か? エトワールならともかくカールだとなんか面倒な予感……)


 ユース宰相は慌ててレティア姫の後を追った。ところが、廊下で彼女を慕う蛇達、セルペンスに阻まれてしまった。

 両足に何匹ものセルペンスに絡まれて、ユース宰相は途方に暮れた。そのうちセルペンス達はユース宰相のズボンを咥えて引っ張り始め、彼は部屋へと逆戻り。

 ユース宰相は(この蛇達がレティアの後押しなら、顔を見たくない、会いたくないってことだよな)とソファに突っ伏し、死んだ魚のような目で落ち込み続けた。


(甘えてくるレティアを堪能して癒されたかったのに、何故こうなる)


 ユース宰相の作戦失敗の理由はレティア姫が最近愛読している「月夜のかご姫」であった。

 初恋を諦め、愛情深く育ててくれた父母のために帝の側室が暮らす夕顔の局へ奉公することを決意したかご姫と、幼なじみえい太の別れ話のシーン。

 かご姫に強く迫り愛を語り、全力で説得するえい太。身を引きちぎるような思いでそれを振り払うかご姫。そういう内容。

 そう、レティア姫はユース宰相にもそのように愛情を示されたい気分だったのだ。

 レティア姫のペースに合わせるのは少々辛くて寂しい。嫉妬する姿を見せる。我慢出来ないというように自分に迫ってくる。

 それが全部演技で、本心ではないことに傷ついた上に「練習」と告げられ、夫は今まで何人もの女性と「練習」していたという事実を思い出してヤキモチで憤慨。という流れである。

 そのことにユース宰相は気が付きはしたが(私に夢中になって欲しかった。それは分かる。しかし私だってレティアに迫られたい……。照れだと分かっていても、また突き飛ばされたらと思うと自分からは辛い……)と拗ねた。

 というより、胸を触ったら思いっきり拒絶されて突き飛ばされてからというもの、拗ね続けている。

 先月、唇にキスしようとしたら押し返されたので尚更。

 

 ☆★


 さて、レティア姫が逃げた先はユース宰相の予想通りでカール令嬢の元である。

 彼女はカール令嬢の部屋に萎れ顔で来訪。


「レティア様、就寝時間にどうされました? そのように悲しそうなお顔で、ユース王子と喧嘩でも?」


 部屋に招かれながら、レティア姫はコクンと頷いた。扉が閉まり、2人で並んでソファに座るとポソポソと事情を説明。


「つまり、痴話喧嘩ですか」


 カール令嬢は呆れ顔で立ち上がり、レティア姫の両手を取った。


「ユース王子のことですから今頃落ち込んでいますよ。ほらほら、戻りましょう」

「ユース様が落ち込むだなんて……」

「賭けます? レティア様しか開けない蛇の隠し通路から覗いてみましょう。私が勝ったら白銀月国からの招待を受けてもらいます」

「カールさん、それはミラ姫と一緒に参加する予定の……」

「そうです。断固拒否して他の予定を入れようと画策しているユース王子を説得してもらいます」


 手を引かれ、立たされたレティア姫は目を丸めた。


「大蛇連合国の社交場は政治経済だけでなく縁談の宝庫。行かせたくないようですよ」


 ニヤリ、と笑うとカール令嬢はレティア姫の背後に回り、彼女の背中を押した。


「縁談の宝庫だなんて、私(わたくし)は……」

「ミラ姫に会えるからですよね? ですから私は是非白銀月国へ行っていただきたいです。一緒に観光もしたいですし、あの国で少々野暮用もありまして」

「はい。私(わたくし)のその目的はユース様も分かっていることで……」

「女心と秋の空。人の気持ちというのは雲のように形を変えるものです」

「まさか。ユース様がそのような心配をするだなんてあり得ません。ユース様は私を……。私よりもそんなに……」


 レティア姫の情緒不安定の原因は、結局のところ夫であるユース宰相からの愛情と自分のそれの乖離だ。彼女は男心に鈍感であるし、ユース宰相も「妻のことで惚気る情けない姿」は隠している。誤解が生じるのは必然だ。

 まあまあ、ほらほら、とカール令嬢に促されてレティア姫は蛇の隠し通路へ移動。

 蛇の隠し通路は、レティア姫にしか開けない——正確にはセルペンスにしか開けない——扉から続く城全体に張り巡らされた通路である。

 2人はそこを移動して、レティア姫とユース宰相が暮らす部屋の寝室へと出た。確認したので寝室にユース宰相は不在。

 ほら、と促されてレティア姫は団欒室へ続く扉をそっと開いた。

 ユース宰相はソファに腰掛けて、白ワインを飲んでいる。ぼんやりとした顔つきだ。


「晩酌中みたいです。落ち込んでなんていませんね」

「レティア姫は男心に関してはおバカさんですよね。どう見たって落ち込んで酒に逃げているではないですか」

「そうです? ユース様はお酒が好きでよく飲まれます。あのように政策か何かを考えるような表情で」


 レティア姫はカール令嬢の「おバカさん」発言をスルーした。彼女にとって気になる発言ではなかったからである。

 レティア姫はカール令嬢贔屓だが、その理由はこの友人っぽさ。というより、レティア姫はカール令嬢を側近ではなく友人だと思っている。


「政策ではなくレティア様をどう迎えに行くと貴女様の心を掴めるか考えているのですよ。政治の事だと妖しい笑顔か険しい顔付きです。あっ、今は拗ね顔ですね」

「拗ね顔?」


 カール令嬢の顔を見ていたレティア姫は、ユース宰相へ視線を移動させた。

 ワイングラスをジト目で見つめている。


「拗ね顔ではなく、やはりお仕事の……」

「このままではレティア様はミラ姫と会えません。私と観光も、ユース王子とのデートもなし。可愛くおねだりしてユース王子から白銀月国行きの確約を取って来て下さい」

「可愛くおねだりだなんて、ユース様は私が何かしたからと考えを変えるような方ではありません。白銀月国からの招待の件は何か思うところがあるのでしょう。カールさんの邪推とは違う政治的な何かが」


 はあ、と小さなため息を吐くとレティア姫は俯いてしまった。

 ユース宰相の恋敵「大蛇連合国に属するドメキア王国国王宰相ルイ・メルダエルダ」を毎月快く受け入れている夫のことを思い出したからだ。


「レティア、ミラ姫と会いたいの。ユース様と異国の地でデートするのが楽しみ楽しみでしかたなくてカールさんに観光について沢山相談していたの。お願い。お、ね、が、い♡ちゅっ。そんな感じで頼んでくるように」


 そう言うと、カール令嬢はレティア姫の寝巻きの襟を掴み、引っ張った。


「カ、カールさん⁈」

「私は白銀月国へ行きたいのです。痴話喧嘩なんてしていないで、とっとと頼んで来て下さい。ほらほら、送るので蛇の隠し通路を開く」


 早く早くと急かされてレティア姫は蛇の隠し通路をセルペンスに開けてもらった。

 レティア姫はカール令嬢に肩を抱かれ、自身の団欒室前まで移動。


「貴女様のおねだり、色仕掛けで白銀月国行きが決まれば私の勝ち。白銀月国からの招待を拒む理由に政治的な意図は無かったということです。これは賭けですからね」


 コン、バーンと扉を開くとカール令嬢はレティア姫の手を引いてツカツカと室内に入った。


「後ろから抱きついておねだりですよ」


 カール令嬢はレティア姫の耳元でそう囁くと彼女の近くからサッと離れて部屋を出て、扉を閉めた。


(よし、これでOK。他人の惚気なんて長々と聞いていたくない。それにしても良いタイミングで喧嘩してくれた。これで白銀月国行きは決定。ユース王子に貸し一つ。一昨日父上が持ってきた縁談を潰してもーらお)


 ふふん、と鼻歌まじりで部屋へ戻ったカール令嬢の表情は上機嫌。

 レティア姫はユース宰相の掌の上のようでその逆。そして、レティア姫を掌の上でコロコロ転がしているのはカール令嬢だったりする。


 ☆★


 

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