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君のいない春に、海は近すぎた  作者: 常陸之介寛浩 本能寺から始める信長との天下統一
第四章 11日の午前

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第18話 画面の文字

画面の中央に、見慣れない切迫した文字が出ていた。


 緊急地震速報。強い揺れに備えてください。


 全部を読んだわけではない。

 いや、読もうとしている間も、頭の中ではもう別のものが先に動いていた。

 強い揺れ。来る。今から。すぐ。


 その意味だけが、文字の形より早く身体のほうへ落ちてきた。


「……地震」


 自分でも驚くほど乾いた声が出た。


 近くにいた年配の女性が一歩だけこちらへ寄る。


「え?」

「地震、来る」


 言いながら、俺は自分の足がもう玄関から少し離れるほうへ向いているのを感じていた。考えてから動いたのではない。画面を見た瞬間に、庇の下や建物の近くにいるのはまずい気がした。落ちてくるものがないところ。広いところ。そういう言葉にならない考えが先に身体を押した。


 真帆が、自動ドアの内側から半歩出てくる。


「ほんと?」

「分かんないけど……来る。たぶん、強い」


 たぶん、なんて曖昧な言い方なのに、そのときはそれが一番正確だった。

 どのくらい強いのか。どこが揺れるのか。何秒後なのか。そんなことは分からない。ただ、この機能が鳴るときは、ふつうの揺れじゃないのだろう、ということだけが直感で分かった。


 紙袋を持ったままなのに気づいて、俺は一瞬迷った。

 持っていてもいいくらいの軽さだ。

 でも、軽いことと邪魔にならないことは別だった。


 すぐ近くの会館の壁際にあった小さな台へ、俺はほとんど投げるみたいに紙袋を置いた。


「外、出たほうがいい」


 今度は少しだけ大きな声で言った。


 誰かが「何?」と聞き返した。

 別の誰かは、まだ意味が飲み込めていない顔でこちらを見ている。ガラケーの画面を見せれば伝わるのかもしれない、と一瞬思ったが、説明している時間があるのかどうか分からない。そもそも、見せたところで全員がすぐ理解できるとも限らない。


 自動ドアの向こうにいた会館のスタッフらしい女性が、戸惑った顔で一歩近づいた。


「どうされました?」

「緊急地震速報です」

 俺はそれだけ言った。

「強い揺れ……来るって」


 女性は俺の手元の画面を見る。

 その顔に、理解より先に「どう対応すればいいのか分からない」という揺れが走るのが分かった。


 会館の中にいた親類の何人かも、音とこちらの様子で異変に気づき始めていた。

 ただ、気づいたからといって、すぐに正しい行動が取れるわけではない。


「え、外?」

「今?」

「どういうこと?」

「地震って……」


 声は上がる。

 でも、まだ騒ぎにはならない。

 皆、半信半疑なのだ。警報が鳴っていることは分かる。俺がただ事ではない顔をしているのも分かる。けれど、それが何秒後にどういう形で来るのかまでは、誰の頭にも落ちていない。


 真帆がもう一歩こちらへ寄ってきた。


「恒一くん、どこ行けばいいの」

「庇の下じゃなくて、もう少し離れて」

 言いながら、自分の視線も自然に上を見ていた。

 玄関の張り出し。看板。建物の端。

 普段なら何でもない位置関係が、その瞬間だけ危うく見える。


「広いとこ」

 俺は短く言った。

「駐車場の真ん中寄り」


 そう口にしたとき、自分が第16話で何となく覚えた駐車場の形を、そのまま頭の中でなぞっているのが分かった。建物からどれくらい離れればいいか。車列の間より、もう少し開けたところ。広い、と昨日思ったその広さが、今はただの感想ではなく避ける場所の候補になっている。


「外、出るの?」

 年配の女性が、まだ信じきれない声で言う。

「寒いけど……」

「いいから、ちょっと」

 俺はほとんど頼むみたいに言った。

「来るかもしれないから」


 その「かもしれない」が、逆にこの場の曖昧さを表していた。

 来る。たぶん来る。かなり強い。

 でも、まだ来ていない。

 だからこそ人は完全には信じられない。


 会館の中から、別の親類の男性が早足で出てきた。


「何だ、どうした」

「緊急地震速報」

 真帆が先に言う。

「恒一くんの携帯」

「緊急地震……?」

「強い揺れ、来るって」


 男性は俺のガラケーをちらりと見て、眉を寄せた。

 そこでようやく、場の空気がもう一段だけ引き締まる。


 俺はガラケーを握ったまま、庇の下からさらに一歩外へ出た。

 風が直に当たる。

 冷たい。

 けれど、建物の近くにいるよりはましだという感覚のほうが先にある。


 足元のアスファルトはまだ静かだ。

 車もまだ動かない。

 遠くの道路の流れも普通に見える。


 その普通さが、逆に数秒後の異常をまだ誰にも信じさせない。


「早く、ちょっと離れて」


 俺はもう一度言った。

 今度は自分でも、声が少し上ずっているのが分かった。


 それでも、この時点ではまだ、皆が“理解して動いた”わけではない。

 ただ、俺の顔とガラケーの音に押されて、半歩ずつ、位置を変え始めただけだった。

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