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 先輩の元カレの友達という奴らと接触してから、僕は僕の日常に戻っていった。

 もちろん先輩のことは好きなままだ。何一つ気持ちは揺らいでいないけども、しかし、でも、これからどういう風に接するのがいいのか分からなくて、ついつい距離を取りがちとなっている。

先輩とのメッセージでのやり取りは続けていたけど、僕は自制心でほどほどに抑えて授業に集中し、サークルで遊び、先輩と再会する前の生活と段々変わらない自分を取り戻していた頃だった

 次の授業までの空き時間をカフェでぼけーっと過ごしていると。

「や」

「え」

 後ろから声を掛けられて振り向く。

そこには二つのカップを持った先輩の姿があった。

「相席いいですか?」

「え、あ、はい。もちろんです」

 他にも席空いてますよ? なんて言えるわけがない。僕はテーブルに置いていたリュックを床に下ろすと、先輩は「ありがと」と僕と向かい合う形で席に座る。

「これあげる」

 そうして持っていたカップを一つ僕に差し出してきた。

「え、ああ、いいんですか」

「うん。望くんの姿が見えたから、君の分も買ってきたんだよ」

「あ、ああ、わざわざそんな。ありがとうございます」

「いいえ」

「お金返します、いくらでした?」

 財布を取り出そうとすると、「これくらいいよ」と首を振り、

「この前助けてくれたお礼」

「そ、そうですか。・・・・・・じゃあ、お言葉に甘えて」

 なんか奢ってもらってばかりだ。

 申し訳なくなりつつ、僕はカップを受け取り「いただきます」と一口飲むと、中身はホットココアだった。久々に飲むけど甘くて美味しい。

「あ、ココア苦手だった?」

「いえ、普段から飲むことないですけど、結構好きです」

「そっか。ならよかった。ココアいいよね」

 そう言って先輩もカップに口を付ける。

「前に話してましたよね。ココアが大好きだって」

「あ、覚えていてくれたんだ」

「はい」

 先輩の言葉は忘れられない。

「えっと、で、それで」

 僕の自意識過剰かもしれないけど、何となくそんな気がして問いかけてみた。

「あの、なんか僕に用があったり?」

「うーん、用ってほどでもないけど」

 先輩は僕の目を見て、

「最近さ、ちゃんと返事くれないから」

 メッセージのことだろう。

蔑ろにしているつもりは当然ないのだが、ここ最近は一応講義に集中していることもあって講義終わりに返事することも多くなっていた。

「それは、その、すみません」

「いいよ。普通は講義の方が大切だし」

 そう言ってカップからまた一口。

「でも、ちょっと前は高頻度で返してくれてたからさ、ちょっと気になって」

「それは・・・・・・」

 なんと言えばいいのか。

「えーっと、ほら。松野と宮村――サークルの教室で自己紹介してた二人なんですけど。そいつらに言われちゃったんですよ、講義をもっとちゃんと受けろって。このままじゃ留年するぞって」

「ああ、あの二人か。・・・・・・ふーん、いい友達だね」

「はい」

 頷きながら、そうじゃない、そうじゃないだろうと心が言ってくる。

それは言い訳の一つでしかなくて、僕は先輩の近くに他の誰かがいるかもしれないと思って怖くなって。

「・・・・・・その、えっと、先輩」

「んー? なに?」

「今って、その、何といいますか」

「どうしたの? 聞きづらいこと?」

 そんなことはない、はずだ。

きっと普通にサクッと質問できることだ。だって、ただの確認でしかないのだから。

「望くんの質問とあればなんでも答えてあげるよ、さ、言ってみな」

「え、えっと、そ、その」

 勇気を振り絞る。

振り絞って、

振り絞って、

――それから僕はようやく声を発した。

「あ、あの、その!」

「うん」

「い、いいい今って誰かお付き合いされている人っていますかっ! ・・・・・・ね?」

 震えながら言った僕の質問に、

「ふーん。そんな質問かー」

 先輩はニヤッと笑みを浮かべて、

「気になる?」

「そ、そりゃ、まあ・・・・・・」

「どうして?」

 どうしてって言われても、それは返答に困る。

「あーっと、その」

「私に彼氏がいると、君は困るのかな」

「・・・・・・いやだって、何と言いますか、彼氏がいるなら僕が気軽に連絡するのも悪いかなって思いますし、そもそも、こうやって会うのも良くないのかなーとか、やっぱり考えちゃいますし」

「そっか」

「は、はい。・・・・・・で、ですから、その、ちょっと気になって」

「望くんは純情だねぇ」

 そう言って先輩はココアを一口。

「純情っていうか、ふふふ、なんか子供っぽい」

「え」

 まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。

「そう、ですかね?」

「そうだよ」

 僕には先輩の言葉の真意が分からなかった。

子供っぽいと、このタイミングで言われても意味を理解することができない。

「例えば私が誰かのものだったら手を出しちゃいけないの?」

「そりゃまあ、そうじゃないですか」

「友達としても距離を置く?」

「まあ、その、勘違いとかされて迷惑を掛けたくないですし」

「そういうところ」

 どういうところだ。

「そんなの気にしないでさ、あわよくばなんて考えてる人いっぱいいるよ」

「え、そ、そうなんですか」

「少なくとも私の周りには多かったかなー」

 それはそれでどうなんだろう。

 しかし、言いたいことが分からないでもない。

誰のものだって名前が書いてあるわけでもないし、少しでもチャンスがあるならそれを掴もうとするのは何らおかしいことじゃないだろうとも思う。でも、それは倫理的にどうなの? と思う気持ちも僕にはあって、

「・・・・・・じゃあ、先輩は大人なんですね」

「それはそうかもね。少なくとも君よりは年上だし」

「もちろんそうですけど、なんか考え方とか」

「望くんもあと二年したら分かるかもよ」

「それは、どうなんでしょう・・・・・・」

 僕は僕のままで、何も変わってない気がする。

「先輩は」

 思わず質問する。

「大人になってよかったですか」

「私?」

 僕の質問に先輩は少しだけ悩んで、

「そうだね・・・・・・。よかったとか、そういうんじゃないけど、君みたいな人を見ると眩しく思うようになったかな」

「眩しい、ですか」

「うん、私には君みたいな純情さとか無いし」

 そう言って腕時計を確認すると先輩は席を立った。

「さて、そろそろ講義の時間だよ、望くん」

「あ、は、はい」

 僕はココアを飲み干してリュックを背負う。

「あ、そうだ。望くん」

「はい?」

「質問の答え、言ってなかったね」

「答え」

 訊き返して、そういえば僕が質問した「付き合っている人はいるのか」という問いに答えてもらっていないことを思い出す。

「あ、あの、で、そ、その。・・・・・・実際どうなんですか?」

「今はフリー」

 フリー。

フリーとは。

つまりだ。つまり誰とも付き合っていない状態のことである。たぶん。

僕はそれを聞いて、自分でも驚くくらい安堵してしまった。

「ふふふ。望くん、前からずっと思ってたけど、何考えてるか分かりやすいね」

「・・・・・・え?」

 そんな言葉に焦る。

本当に? まさか、ずっと何を考えていたのか知られていたのか?

「せっかくだし立候補してみる?」

「え、り、立候補?」

「そ。私の彼氏に」

「えええっ!」

 思わず大きな声が出る。

 そんな様子の僕を、先輩はまた笑って、

「冗談。――またね、望くん」

 先輩は今度こそカフェから去っていった。

 残された僕はドキドキと高鳴る胸を抑えようとするが、しかし、これは当分収まりそうもない。頬も熱い。きっと顔も真っ赤になっていることだろう。

「ず、ずるいですよ、先輩」

 その日の講義は当然全て身に入らなかった。


 先輩のことが頭から離れないままサークルの時間が訪れて。

「お疲れ様でーす」

 教室に入ると、今日はいつもよりメンバーの出席率が高かった。たまにしか見かけないメンバーも来ていて珍しく人が多い。

僕は不思議に思いながらも空いている席に着いて、特にすることもなくぼけーっとしていると、しばらくして松野と宮村が入ってきた。

「おす」

「お疲れ様」

 二人が僕の近くの席に座る。

「ああ、お疲れ。今日は随分と人が多いよね」

 僕のそんな言葉に松野は少し呆れた様子で、

「お前、グループメッセージ見てないの?」

「え?」

「開いて確認してみろよ」

「あ、ああ、うん」

 まったく見ていなかった。

スマホを開いて確認すると、サークルのグループに増田さんから『今日は文化祭の打ち合わせがあるため、サークルメンバーは極力参加をお願いします』と投稿されていた。

「お前、先輩さんのメッセージしか見てなかったろ」

「そ、そんなことはないんだけど」

 普通に見落としていただけだ。と思う。

「あ、先輩達来たよ」

 宮村の言葉に僕達は正面を向く。

 そこには四年の先輩達と、三年のメンバー、今の会長である増田さんも立っていた。

「えー、皆さん。今日は集まってくれてありがとうございます」

 増田さんがぺこりと頭を下げて、

「グループメッセージに投稿した通り、今日は三週間後に迫る文化祭の打ち合わせをしたいと思いますが、まず初めに皆さんサークルメンバーへ聞いておきたいことがあります」

 増田さんはそう言って、カチャリと眼鏡をかけ直した。

「僕の質問に挙手をお願いしますね」

 全員の顔を見渡して、

「皆さん、文化祭参加したいですか」

 そんな質問をし、そして、僕達からは誰も手が上がらなかった。

 それはそうだ。

文化祭開催期間の三日間と片付けの一日。計四日間は当然講義もない。

この文化祭に参加するつもりがなければ、そもそも学校に来る必要さえないのだ。活動熱心な意識がなければ面倒臭いという気持ちがどうしても勝ってしまう。

「そうですよね。僕も同じ気持ちです。この三年間ずっと同じ気持ちです。わざわざ休みの日にパリピみたいなイベントへ参加して、いったい何が楽しいのかと思います。一部を除いてでしょうが、僕達はどう足掻いても陽キャになることはできません」

 そんな言葉に笑いがこぼれる。

「というかですね? やる気のあるサークルや部活はもうとっくの昔に準備を始めています。今の今まで我々は何もしなかった。それはもうやる気がないってことと同義なんですよね」

 増田さんは「・・・・・・とはいっても」と言葉を続ける。

「サークル活動をしているという手前、何もしないわけにはいかないんですよ、面倒なことに。・・・・・・とうことで、我々は例年通り、趣味としているご自慢のアイテム。例えばフィギュアやポスター、ゲームなどを持ち寄っての展示会みたいなものを今年もやろうと思います」

 展示会、みたいなもの。

 それから先輩達は流れの説明を始めた。

まず、いつものように教室を一室確保する。

そして、そこに好きなものを並べておくだけのものらしい。シフトは交代制。といっても接客なんてものはほとんどないので、各々のグッズが壊されたり、盗まれたりしないための監視のようなものだそうだ。

 それだけ説明すると「以上、打ち合わせ終わり!」と増田さんが言って。

 教室を後にする人や、いつものようにカードゲームを始める人で各々動いていく。

「いやぁ、楽そうで助かるな」

「うん、そうだね」

 松野と宮村はそんなことを言い合っていた。

「なんか予定でもあるのか?」

 僕のそんな質問に答えたのは増田さんだった。

「おい、鈴原」

「え、はい」

「野暮なこと聞いてやるなよ。松野も宮村もこの大学で初めての文化祭だぜ? 二人で回りたいに決まってんじゃん」

「ああ、そういう・・・・・・」

 たしかにカップルにとっては大きなイベントの一つか。大学の文化祭なんてデートするにはもってこいのイベントだ。

 松野達は照れ笑いを浮かべて、

「鈴原こそさ、先輩さん誘って文化祭くればいいじゃん。案外チャンスかもよ?」

「そうだよ、鈴原くん」

「・・・・・・チャンス、か」

 そう言われて、カフェでのやり取りを思い出す。

『せっかくだし立候補してみる?』

『私の彼氏に』

 先輩の言葉が頭の中で再生される。反響するように何度も。

「チャンス・・・・・・か・・・・・・」

 そうなのかもしれない。

もしかしたら、こんな僕なんかでも先輩の近くにいられるのかもしれない。

思わずそんな淡い期待を持ってしまう。

「いや」

 いやいや。

いやいやいや。

いやいやいやいや。

 そんなことはない。身の丈に合わない気持ちだ。そうは思うけど、どうしても先輩の顔が脳裏にチラついてしまう。

「どした、鈴原」

「え、え、なにが?」

「お前、顔真っ赤だぞ?」

 松野に指摘されて頬がまた熱くなっていることに気が付く。

「どうかしたの、体調悪い?」

「具合悪いなら早めに帰れよ」

「あ、うん。そ、そんなんじゃないんだ。その、ちょっと思い出すことがあっただけで」

「思い出すこと?」

「うん、そうだな・・・・・・。ちょっと話聞いてもらっていい?」

 きっと誰かに話した方がすっきりするはずだ。

「別にいいけど」

「うん、聞かせて?」

「助かるよ」

 そうして、僕は二人に先輩との昼間あったやり取りを話す。

「彼氏に立候補」

「彼氏に立候補」

 僕の話を聞き終えた松野達は二人揃って同じ言葉を呟くように言って。

 そして、

「脈ありかもよ!」

「脈あるんじゃねえの?」

 そんな感想がハモった。

「・・・・・・そう、なのかな。でも、最後に冗談って言ってたし」

「うん。だって、普通は冗談でも言わないよ。好きでもない人に彼氏に立候補してみるかなんて」

「俺もそう思うぜ。言えばいいじゃん。昔から好きでしたーって」

「松野の言葉はともかく」

 宮村の言う事は一理ある。僕も興味もない人間に言う言葉ではない、と思う。

「でもさ、遊ばれてるだけってこともない?」

「先輩さんってそういう人なの?」

「それは・・・・・・」

 どうだろう。

 昔から悪戯好きの一面はあったような気がする。そう考えると今回の一件も僕をからかうための本当に冗談でしかないという可能性は十分に高い、ような気もする。

「でもさ、鈴原」

「なに?」

「悩むくらいならダメ元で告白してみればいいじゃん。俺だってそうしたから、今こうやって美幸と付き合ってるわけだし」

 二人は「ねー?」と言い合う。人が悩んでいるときに惚気るな。

「僕に君みたいな勇気はないよ・・・・・・」

「そこは振り絞らないと変わらないだろ」

「その通りだけどさ」

 しかし、だ。

好きでいる期間が長すぎて、どうやって伝えたらいいかも正直分からない。

僕なんかに告白されたら迷惑かもしれないと後ろ向きに考えてしまう。先輩の横にはもっとふさわしい人がいるはずで、とか。期待と不安がない混ぜになって頭が痛くなってくる。

「ま、とりあえず、考えてみるよ。色々」

「それがいいな」

「良い答えが出るといいね」

 二人からそんな応援をされて、僕も頷く。

 それからは各々ゲームに参加したり、アニメの観賞をしたりと、普段通りに過ごしていると時間も経っていって今日はお開きというムードになってきた。サークルメンバーが次々と教室を後にしてくなか、僕も帰ろうと教室を出たところで、

「鈴原」

 名前を呼ばれて足を止める。

 後ろに振り向くと増田さんが立っていた。

「増田さん。お疲れ様です。・・・・・・えっと、どうかしました?」

「ああ、いや、なんだ」

 増田さんは何か悩んでいる、というか、困っているように言い淀んで、

「その、お前に伝えておきたいことがあってな」

「はあ」

 なんだろうか。

「俺もただの噂話で耳に入ったことだから、本当のところは分からないんだが、ええっと、だから、つまりだな」

「は、はい」

 思いの外前置きが長い。本当にいったいどうしたというのだろうか。

「なんか言いづらいことですか?」

「めちゃくちゃ言いづらいんだが、でも、伝えないわけにもいかないと思って」

 そして、増田さんは意を決したように、

「鈴原」

「はい」

「お前、赤坂明乃と連絡を取り合っているのか」

「赤坂・・・・・・ああ、先輩のことですか。ええ、はい。取ってます」

「・・・・・・やめておけ。もう赤坂明乃には関わらない方がいい、と思う」

「え?」

 増田さんの言葉が呑み込めなかった。

「え、い、いや、いやいや、なんで。どうしてです?」

「俺も噂話でしか聞いていないんだが。・・・・・・その、どうやら赤坂はあまり良くないグループとつるんでいるらしいんだ」

「良くないグループ?」

「ああ。なんて言えばいいのかな。どういうグループなのかは定かではないけど、不良集団と付き合いがあるそうだ。赤坂には関わってもロクなことがないと聞いた。手を出そうとして病院送りになったやつもいるらしい」

「そんな」

 まさか、先輩が? 

 にわかには信じられない話だった。

だってあの先輩がそんな集団とつるむなんて考えられない。僕の知っている先輩は成績も良くて、皆に好かれていて、誰にでも優しくて、そんなのと付き合うはずがない。

「いやいや、まさか、そんなことないですよ」

「鈴原」

「だってだって、そういう人じゃないですもん。本当に。今日だってカフェで普通に話しましたし、いつも通り優しい人でしたし」

「・・・・・・鈴原」

「きっと人違いですよ。そんな珍しい名前じゃないでしょ。赤坂明乃って」

 そうだ、人違いに決まっている。

 おそらくこの周辺に似たような名前の人がいて、先輩と混同してしまっているだけだ。なんて迷惑な話だろうか。

 そう思っているはずなのに。

何故か先輩の煙草とピアスが脳裏に過る。

この前の男達の姿が頭に浮かぶ。

「いや、そんなはずない」

 煙草なんてただの嗜好品だ。

 ピアスなんてただのアクセサリーだ。

 男達だって先輩の元カレの友達ってだけだ。

 それらは別の不良の証にはならない。なるわけがない。

「鈴原、大丈夫か」

「・・・・・・一応話してくれてありがとうございます。でも、間違いなく別人ですよ」

「・・・・・・ああ、そうだったらいいな」

「はい。じゃあ、僕、帰りますね」

「気をつけてな」

「はい、お疲れ様です」

 そうして僕は今度こそ教室を後にする。一抹の不安を抱えながら。

 増田さんの忠告通りになったのはそれから数日後のことだった。


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