宵越し無用二
某は紅蓮の如き真っ赤な扇子をバッと広げて天を指す。
足は大きく踏み込み、不敵な笑みを浮かべる。
【熱き動】の構え!
「天下御免の遊び人!泣く子も黙る熱き風! 地獄の沙汰も、この俺の『面白え』が決め手よぉ!!」
その背中で、サイは刀は抜かず鞘に手をかけ、笠の縁を指で少し持ち上げる。
視線は鋭く、口元だけが微かに笑う。
【静かなる一閃】の構え!
「……やれやれ。その御仁の尻拭い。不肖、この『電脳用心棒』が引き受け申した」
怪しげなノイズとジャンクの煙が立ち込める違法賭場の中で、二人の大見得が、冷徹なシステムを完全に圧倒した。
名乗りの残響が消えぬ間に、サイバー刺客たちが一斉に引き金を弾き、重火器のレーザー弾が四方八方から激しく降り注いだ。
だが、某はその弾道をあざ笑うかのように、信じられない軽さで空間を跳ね回る。
「ハッ! 丁か半か、てめえらの命で張ってみな!」
某は身を翻しながら、空中に浮かんでいた巨大なホログラムのサイコロへ、高下駄の足を力強く叩き込んだ。
某の【熱き動】のプラズマを浴びたサイコロが、爆弾のような質量を持ってブォン!と音を立ててすっ飛んでいく。
「な、なんだあの質量は――ギャァッ!?」
突っ込んできたサイバー刺客のど真ん中にサイコロが直撃し、データエラーの火花を散らしながら数人をまとめて壁際までブチ飛ばした。
某は着地するや否や、今度は手元に浮かんでいた小さなデジタルサイコロを、指先で器用にころころと弄ぶ。その表情は、まるで退屈な玩具で遊ぶ子供のように不敵で、恐ろしく冷徹だ。
「おい、疫病神。お次は半だぜ」
某が手首をスナップさせ、ころころと回転するサイコロを上空の警備ドローンへ向けて放り投げた。
紅蓮の扇子から放たれた一筋のプラズマが、そのサイコロを背後から激しく加熱する。超高熱を帯びたサイコロがドローンの眼に吸い込まれた瞬間――ドガァァン!と、耳を聾する爆発音が賭場に響き渡り、ドローンが炎を上げて床へと墜落した。
「……某殿、遊んでる暇はありませんよ。次が来ます」
死角から迫るレーザー日本刀の刃。しかし、某が振り返るよりも早く、その背後からシャァァァン!と鋭い電子駆動音が鳴り響いた。
サイの抜刀。レーザー日本刀の眩い刃筋が、夜の闇を裂くように一閃する。
「……すぅ。不届き千万」
目にも留まらぬ光速の「静かなる一閃」が、襲いかかったサイバー刺客のサイバーアームと、その後ろにある賭場のメインサーバーの配線を、一瞬の狂いもなく同時に十文字に一刀両断した。
パチン、と静かに刀が鞘に収まると同時に、サーバーから火花が噴き出し、賭場全体のホログラムが激しくバグを起こして明滅し始める。
「ひ、ヒィィッ! システムがハッキングされている!? 制御不能だ!」
コントロールパネルの奥で、カラクリ胴師が頭の回路をショートさせながらガタガタと震え出した。サーバーの配線が切られたことで、越後屋が裏で管理していた不正な裏金庫室の暗号化障壁が、サイの電脳ハッキングによって完全に無力化され、目の前に剥き出しになったのだ。
ディスプレイに表示されたのは、下層長屋の民から吸い上げられた、天文学的な数字の電子コバンデータ。
「……某殿。越後屋の裏金庫、たった今こじ開けました。あっしの計算じゃあ、これだけありゃ電脳江戸の半分は買えますが……どうしましょう?」
サイがニヤリと口元を緩め、レーザー日本刀のインジケーターを明滅させる。
某は紅蓮の扇子をパタパタと仰ぎながら、床に転がるホログラムのサイコロを今一度ころころと足先で転がし、満面の笑みを浮かべた。
「ハッ! 決まってんだろ。大名メガコーポの汚えコバンなんて、1枚だって懐に残しておきたくねえ。――おいサイ、下層の長屋のダチどもに、特大の大盤振舞といこうじゃねえか!」
某が不敵に笑うと、サイは「某殿のその計算外、嫌いじゃありませんよ」と、レーザー日本刀のハッキング機能を最大出力で駆動させた。
サイの指先がキーボードの上を光速で滑る。
刹那、賭場に残された巨大なメインディスプレイに、全額送金の文字が眩しく弾けた。
越後屋が下層の民から不正に吸い上げていた天文学的な電子コバン。それが、サイのハッキングによって、電脳江戸の下層長屋に住むすべての人々の個人口座へと、一瞬にして均等にばら撒かれていく。
ピピピピピ! と、電脳江戸中の長屋から、民たちの驚きと歓喜の電子音が夜明けの空へと響き渡った。大名メガコーポの汚い大金を、一晩で綺麗さっぱり世の中に還してやったのだ。
もちろん、二人の懐に残ったのは、最初からあったクチナシの報酬も含めて、綺麗さっぱり「ゼロ」。
だが、二人の顔には、夜明けの光よりも晴れやかな、最高に粋な笑みが浮かんでいた。
朝の冷たい空気が、日本橋の木造の太鼓橋を白く照らし始めている。
夜空を泳ぐ巨大なホログラム金魚のネオンを遮るように、美しい朝焼けの光が、周囲の黒瓦の屋根を優しく染めていた。
そんなきらびやかな夜景の袂にある、小さな古びた茶屋。
二人は長椅子に腰掛け、一皿の団子を弄んでいた。
「あーあ、いけると思ったんだがなあ」
某は不満げに頬を膨らませ、最後の白い団子を口に放り込む。
「あっしの計算通りだったでしょう。あそこでやめておけばこんな懐がさみしくなることはなかったんですがね……」
サイは重いため息をつきながら、懐から空になったホログラムの財布を出すと、わざとらしくパチンと閉じた。笠の縁から覗く鋭い視線には、呆れの光が混じっている。
「計算計算ってそればっかじゃねえか、もっと日々を楽しもうぜ」
「そんなことで腹は膨れませんよ」
サイが冷ややかに言い放つ。
「へい、お勘定。団子と淹れたてのお茶で、合わせて3コバンだ」
茶屋の親父が、タイミングよく淡く光る伝票を差し出してきた。
某とサイは、一瞬だけ視線を交わし、同時にニヤリと口元を緩める。
「……おいサイ。あっしの計算とやらは、このお勘定までは入っていなかったのか?」
「某殿、想定外の出費というものは常に人生につきものですよ」
そう言って、サイは口元をニヤリと緩めた。
そして、さっき閉じたはずのホログラム財布の側面を指先で軽くタップする。
ピピッ、と静かな電子音が鳴り、財布の底から隠されていた「電子コバン:参」の青いホログラム文字が、ひっそりと浮かび上がった。
「あん? てめえ、残高はゼロじゃなかったのか?」
驚く某をよそに、サイは親父にスマートに決済を済ませ、笠の縁をくいと持ち上げた。
「あっしの電脳をナメてもらっちゃ困ります。あのイカサマデータを弾き飛ばすドサクサに紛れて、ここの団子代の3コバンだけは、最初から内緒で計算してましたよ。……さぁ、お勘定は済みましたし、行きやしょうかね、某殿」
「ハハハ! 計算計算ってうるせえと思ったが、今回はその計算に感謝しなきゃな!」
某は長椅子から立ち上がり、サイと一緒に夜が明けた日本橋の上を堂々と歩き出した。
「やれやれ。某殿の面白えに付き合うというのは、あっしもお人好しになりそうで」
サイも口元に微かな笑みを浮かべ、その後を飄々と追っていく。
効率とスコアに冷え切ったこの電脳江戸の真ん中で、大名メガコーポのシステムに特大の風穴を開けてやった後の、最高に清々しい二人の足音が、朝の江戸に小気味よく響いていた。




