青く光る飛脚一
しとしとと冷たい電子の雨が、電脳日本橋の瓦屋根を叩いている。
立ち並ぶ長屋の壁には、時間ごとに切り替わるホログラムのネオン看板がぼんやりと浮かび、行き交う人々は皆、耳にイヤホンを差し込み、網膜に映るパーソナルデータを眺めながら足早に通り過ぎていく。
隣に誰が歩いていようが、目の前で誰が立ち止まろうが関係ない。タイパと効率、そしてお上のスコアだけがすべて。それが、この少し冷めきった街の日常だった。
「あーあ、せっかくの着物が濡れちまう。なぁサイ、どっかで一杯引っ掛けようぜ」
長屋の軒下で雨宿りをしながら、某はだらしなく着崩した羽織の隙間から、愛用の電子煙管を取り出した。カチリと火をつければ、紫色の淡いホログラムの煙が雨夜に溶けていく。
「某殿。先ほど博打で今月の軍資金をすべて使い果たしたのは、どこのどなたでしたっけ。効率という言葉を少しは学習していただきたいものです」
サイは被った笠の縁をスッと指で押し上げ、呆れたようにため息を吐く。
「ハッ、お前は相変わらず頭が固ぇな。銭なんてなぁ、宵越しに持たなきゃそれでいいのさ。それよりよぉ……」
煙管をくわえた某の視線が、路地裏の暗がりに向いた。その目が、遊び人のそれから一瞬で鋭い漢のそれに切り替わる。
「……あそこのガキ、ちょっと間尺に合わねえ顔してんな」
サイの電子眼が某の視線を追い、焦点を合わせる。
そこにうずくまっていたのは、ボロボロの着物を着た、小さな女の子だった。その小さな手には、怪しく青い光を放つ一本のデータ管が、壊れ物を扱うようにぎゅっと握りしめられていた。
女の子は冷たい雨に震えながら、縋るような目で某を見上げ、声を絞り出した。
「おじちゃんたち……お願い、これを目黒の長屋にいる母ちゃんに届けて……!」
それは、街を牛耳る悪徳商人「越後屋」が独占し、人々のスコアを吸い上げるために高値で売りさばいている、不治の病の特効薬データだった。
女の子の手からこぼれ落ちそうになった青いデータ管を、某は大きな手でしっかりと受け止めた。
「おじちゃんたち……お願い、これを母ちゃ……に届けて……」
冷たい電子の雨に濡れながら、必死に涙を堪える女の子は弱々しく同じことを繰り返す。
その視線の先、路地裏の奥から、ガシャリ、ガシャリと無機質な足音が近づいてくるのが聞こえた。
「――ほう。そいつは聞き捨てならねえな」
某は電子煙管の煙をふぅと吐き出すと、懐にそれをしまい、代わりの紅蓮の扇子をパチンと鳴らして取り出した。
「サイ。お上のスコアだか、タイパだか知らねえが、目の前で泣いてるガキを見捨てるなんてなぁ……俺の性に合わねえ。目黒まで全力疾走するぞ」
「やれやれ。移動経路の計算、および周辺の障害物の検知を完了しました。どうやら、お行儀の悪い追手たちが道を塞ぐつもりのようです」
サイは被った笠の縁を指でスッと押し上げ、静かに微笑む。
路地の両側から姿を現したのは、越後屋が放った暗殺者「サイバー刺客」たち。レーザー日本刀の青い刃が、闇夜の中でギラリと不気味に光った。
「へっ、お前が後ろにいてくれりゃあ、地獄の果てまで大暴れできるさ!」
「ええ、某殿。地獄の底までお供します」
ザァァァ……と、電子の雨がトタンの屋根を激しく叩く。
路地裏の狭い空間を、十数人のサイバー刺客たちが完全に包囲していた。彼らのまとう黒い強化装甲が雨を弾き、手にしたレーザー日本刀が、ブゥン……と低い駆動音を立てて青白くうねる。
「……サイ。データ管は懐に入れたか」
某は一歩前へ出ると、だらしなく着崩した羽織の片肌をバッと脱ぎ捨てた。鍛え上げられた生身の背中が、ネオンの光を浴びて濡れ光る。
「ええ、某殿。私の内蔵ストレージに、最も安全な暗号をかけて格納しました」
サイは一歩下がり、某の背中へと一歩近づく。
カチリ。
サイの左手が、腰に帯びた刀の鞘を静かに押し出す。刃は抜かない。ただ、親指でハバキを外したそのわずかな隙間から、サイの本体である電脳の青い回路の光が、鋭い一筋の線となって漏れ出た。これこそが、あらゆる予測を過去にする【静かなる一閃】の構え。
「へっ、上出来だ。んじゃあ、ちょっとばかし夜風を荒らすとするかねぇ!」
某が右手を一閃させる。
パァン!!!
小気味よい音を立てて開かれたのは、燃えるような紅蓮の扇子。某がそれを天に向けて掲げた瞬間、扇子の骨組みから放たれた圧倒的な熱量が、周囲に降り注ぐ雨粒をジュッと一瞬で蒸発させ、真っ白な水蒸気の壁を作り出した。
視界を奪われ、一瞬たじろぐ刺客たち。
その静寂を突いて、某が後ろへ跳び、サイが前へと踏み出す。
ドン。
お互いの背中が、寸分の狂いもなくピタリと合わさった。
生身の身体が持つドクドクとした熱い心音と、サイの胸の中で駆動する電脳の冷たいパルスが、背中の接地面から完全に一つへと溶け合っていく。
視界が遮られた霧の向こう、刺客たちが一斉に地を蹴る音が聞こえた。
だが、背中を合わせた二人の口元には、すでに不敵な笑みが浮かんでいる。
互いの呼吸を合わせ、二人の声が雨夜の江戸に響き渡った。
「「江戸の華は、散らせてなるものか……いざ、勝負!!」」




