表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
-V.B.L” Virtual Basketball League “ - 『150cmの少女(バグ)が放つ一投は、国家の闇をぶち抜く。――仮想バスケで世界を狂わせる『ノイズ』になれ!』  作者: 蒼井 理人
Layer01:バグ、あるいは運命の出会い

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/52

Node1.4:境界線の観測者

放課後の体育館は、湿った熱気と安っぽい制汗スプレーの人工的な香料、そしてバッシュが床を激しく擦る「キュッ」という高周波のスキール音で満たされていた。

男子バスケットボール部の練習中。コートの中では、選ばれたレギュラーメンバーたちが、激しい紅白戦を繰り広げている。


三井翔太は、ベンチの最端、日光の届かない影の中に座り、膝の上に乗せたタブレット端末に視線を落としていた。ユニフォームは着ているが、その上にチームの識別用ビブスはない。今日も、そしておそらく明日も、彼の定位置はここ――「観客席に最も近いコートベンチ」だ。

(……三秒後、右のコーナーが完全に死ぬ)


翔太の視界には、リアルの風景に重なるように「演算結果」が投影されていた。

ポイントガードがボールを保持し、一歩踏み出した瞬間、相手ディフェンスの重心がわずかに左親指へ寄ったのを、彼の目は見逃さない。

今、バックスピンをかけたバウンドパスを、ガードの右膝横を通せば、逆サイドの味方にフリーで渡る。翔太の脳内では、その完璧な「パス・ベクトル」が白い光の線となって鮮明に描かれていた。

だが、リアルは残酷だ。ガードは周囲の状況を無視して強引なドライブで突っ込み、待ち構えていた相手センターの分厚い壁に阻まれてボールをこぼした。

「おい!もっと周りを見ろと言ったはずだ!」

顧問の罵声が響く。

(……見えてないんだ。脳の演算機能が、身体の躍動に追いついていない)

翔太は小さく溜め息をつき、タブレットに「ターンオーバー:判断ミス」という冷静な記録を入力した。


翔太には、呪いのような特異体質が備わっている。人の視線の微かな揺らぎ、筋肉の収縮、呼吸の深浅。それらの断片的な情報を無意識に集積し、数秒先の未来を「正確」にアウトプットしてしまうのだ。それはSF作品にでてくる超能力といった類ではない。

……幼い頃から、周囲の顔色を窺い、空気の微かな変化に怯えて生きてきた彼が、生き延びるために身につけてしまった、あまりにも高度で悲しい「最適解の観察眼」だった。


翔太の家庭は、周りでも珍しいほどの『放任主義』だった。

「翔太の好きなようにしなさい」――両親はいつもそう言って彼を自由の海へ放り出した。だが、それは決して慈愛に満ちた自由などではなかった。

そして選択を誤ったり、期待から外れていたとしても両親は、彼を叱ることはない。しかし、この世の終わりかの様に、深く、静かに落胆してみせるのだ。

「……ああ、そう。残念ね」

母親の、あの凍りつくような溜息。父親の、失望を隠しきれない痛々しい眼差し。激しい怒声で打ちのめされた方が、どれだけ楽だっただろう。

(それなら最初から、答えを教えてくれればいいのに。「こっちに行け」と、レールを敷いてくれればいいのに)

凍てつく沈黙の重圧に押し潰されそうになりながら、彼は心の中で幾度も悲鳴を上げていた。

『失望』という名の、形のない罰。それから逃れるために、彼は自分の意志を捨てた。代わりに、周りが自分に何を求めているのかという「最適解」を、他人の表情の隙間から、空気の震えから、必死に読み取るようになったのだ。


――自ら選び、自ら決めることができる。確かにそれは自由だ。だが……見せかけだけの自由ならいらない。


しかし、彼が唯一選択したバスケにおいては、その「最適解」を実行できる身体能力ハードウェアが、決定的に欠けていた。……

どれほど完璧なパスコースが見えていても、そこにボールを正確に叩き込む腕力も、敵の包囲網を突破する爆発的な初速もない。「脳という超高性能なCPU」を、「旧世代の貧弱な筐体」に押し込めたバグ。それが、三井翔太という選手の限界だった。


「翔太、ビデオの録画アングル、もうちょい広角にしとけ。後で分析にかけるからな」

「あ、はい。了解です。最適化しておきまぁ―す」

チームメイトの指示に、翔太は愛想笑いを浮かべて従順に従った。三脚の位置をミリ単位で微調整する。誰も、翔太を「プレイヤー」としてカウントしてはいない。

便利な記録係。高性能な分析AIの補助パーツ。景色の一部。自分は影だ。光の当たる場所で踊る誰かを、解析という名の檻の中から眺めているだけの、永遠の観測者。

(……俺は、見るのが好きなんだ。)

心の中で、使い古した予防線を張る。主役になれない惨めさを「観察者としての優越感」という名の薄い鎧で隠し、「俺は誰よりもこのゲームを理解している」と斜に構える。そうやって自分の存在を論理的に納得させ、お道化ていないと、このコートの熱気に焼かれて消えてしまいそうになるからだ。


ふと、視線を隣のコートへ向けた。女子バスケットボール部の練習エリア。そこには、異様な熱量を放つ「ノイズ」がいた。一ノ瀬遥。150センチという、この競技においては致命的なハンデを背負った少女が、自分より頭二つ分も大きい相手に向かって、何度も、何度も、壊れた機械のようにドライブを仕掛けている。

弾き飛ばされる。床に叩きつけられる。バッシュが床と擦れて嫌な音を立てる。それでも、彼女は立ち上がる。汗で張り付いた前髪を振り払い、不器用なウサギのような瞳で、決して諦めない強さと愛らしさで再び高く分厚い壁に挑んでいく。


「……っ、まだ!まだ終わってない!」

遥の声が、体育館の空気を震わせる。

その瞳は、絶望に浸食されるどころか、抗うほどに激しい光を宿していく。諦めるという選択肢を、生まれながらに削除されたかのような意志の力。


(……なんでだよ。計算に合わないだろ、そんなの)


翔太の手が止まる。彼の「観察眼」によれば、遥が今の状況でシュートまで持ち込める確率は、0.3%にも満たない。効率が悪すぎる。無謀を通り越して無意味だ。

翔太のロジックは、彼女の敗北を100回中100回予測できる。それなのに、彼女の動きは、その予測の「外側」にある何かを掴もうとしている。

「あまり無理しすぎるなよ。無駄な努力は、自分を傷つけるだけだ」

翔太は、そう呟きながら胸の奥では、ぎりりと締め付けられている。

これは「憧れ」などという生易しいものではない。自分が、効率と論理を優先してとっくに捨ててしまった「不可能な未来に手を伸ばす勇気」を、今も持ち続けている人間への、嫉妬に近い、狂おしいほどの尊敬だった。

自分は「無理だ」と悟った瞬間に、賢明にも足を止める。でも、彼女は止まらない。その姿が、あまりにも眩しくて、直視できなかった。

「……俺は、何をやっているんだろうな」


練習終了のブザーが、無機質に放課後の終わりを告げる。後片付けの最中、翔太はポケットからスマートデバイスを抜き出した。画面には、昨夜JVBLバーチャル・リーグでアリーナを震撼させたルーキー、『NOVA-Johannès』のアーカイブ動画が再生されていた。

175センチの、しなやかで力強い長身女性アバター。圧倒的な身体能力フィジカルを背景にした、優雅なダンクシュート。一見、泥臭いリアルの遥とは似ても似つかない。だが、翔太の「眼」には重なって見えた。

画面の中で、遥とNOVAが重なり鮮烈なダンクを叩き込み、重力の呪縛を笑い飛ばす。その電子的な着地音は、翔太の冷え切った心臓に、小さく、けれど確かな火花を散らした。

不可能とわかっていても抗おうとする彼女。

(じゃあ、俺は?)

安全なベンチの端で、解説者気取りで他人のプレイにスコアをつけて、それで満足して一生を終えるのか?

「観測者」という安全な檻から抜け出せない自分への激しい嫌悪と、プレイヤーへの、焼けつくような渇望。翔太は、画面に映る『新星(NOVA)』から逃げるようにデバイスを閉じると、一人、夜の帳が降りた街へと歩き出した。

遥に声をかけようとして、指先さえ動かせなかった自分の無力を、夜風にさらされる自動運転バスの音でかき消しながら。


(それにしても似てるんだよなぁ……この、独特の溜め。視線の誘導。そして、追い詰められた時に一瞬だけ見せる、あの『絶望を無視したステップ』のリズム……)




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ