Node1.3:小さな女王の咆哮と、新星の可能性
セントラル・ロビーの喧騒が、不意に一つの方向へと収束していく。地響きのような歓声が、足元のガラス床を、そしてNOVAの意識の深層を激しく震わせた。
――場所は、公式アリーナの会場
「なに……?何が起きてるの?」
「ああ、今日の大一番だ。運がいいぜ、彼女の『ハント』が始まる」
ユウタが指差した先、広場の中央にそびえ立つ全方位ホログラム・スクリーンに、熱狂の渦が映し出されていた。そこは、2メートルを超える巨漢たちもひしめく、重戦車たちの戦場。圧倒的なまでのフィジカルが衝突し合うゴール下を、一筋の「茜色の閃光」が切り裂いた。
「……小さい」
NOVAは、息をすることさえ忘れて呟いた。
そのプレイヤーは、175センチの身体を手に入れたNOVAと比べずっと小柄で、どちらかと言うとリアルの遥と同じ、150センチほどしか背丈がなかった。だが、その動きは物理法則を嘲笑っていた。巨人の股下を、フレーム単位の精密さで潜り抜ける超低空のドリブル。視界の外から、まるでテレポートしたかのように現れてボールを掠め取るスティール。
そして、相手が反応するよりも速く放たれたボールは、計算し尽くされた放物線を描き、長身ディフェンダーの手を掠めてリングに吸い込まれた。
『決まったぁぁぁ!Little QUEEN_LEAP、今日も重力を置き去りにした!これこそが、絶対的な女王の蹂躙だ!!』
実況の声が、アリーナ全体を震わせる。画面の中で、その少女――QUEENは、汗一つかいていないような冷徹な瞳で髪を払い、次の獲物を探していた。
「Little QUEEN……。JVBL上位ランキングの常連だ」
ユウタがその名を、畏怖を込めて口にする。
「リアルの彼女は、おそらく比較的高クラスのフィジカル値を持っている。だが彼女は、ここではそれをあえて『捨てた』んだ。そして余ったリソースをすべてオフェンスとゲームIQ、そして神経伝達速度に極振りしている。自分の肉体をあえて華奢に作り変え、この世界で最も鋭利な『短剣』に仕立てたのさ」
NOVAは、激しい衝撃に打ちのめされていた。自分は、背が低いことが惨めで、ここへ逃げてきた。身長という「アドバンテージ」を手に入れるために、一番の武器だったスピードを削ってまで、この175センチの器を手に入れた。
けれど、目の前の彼女は違う。あえて小さな身体を選び取り、その「弱さ」を「最強の牙」へと昇華させて、世界をねじ伏せている。
「噂じゃ、リアルでは誰もが羨むような完璧なお嬢様らしいけど……ここでは獲物を狩るハンターの様だ。彼女にとってこのコートは、自分を縛るあらゆる属性を焼き捨てるための聖域なんだろうな」
QUEENが勝利を決め、小さく拳を握りしめる。その表情に浮かんだのは、勝利の喜びではない。自らの存在をこのシステムに刻みつけるような、鬼気迫る「生存証明」の輝きだった。
175cmの肉体を得て『全能』を手に入れたつもりだったNOVA。だが、コートの中央で舞うLittle QUEENは、リアルの遥と同じ150cmのまま、巨漢たちを切り裂く、まさに『鋭利な短剣』だった。高さを選んだ自分への、無言の問いが突き刺さる。
(私は……逃げただけなのかな?)
新しい身体を手に入れたはずなのに、胸の奥に虚無が広がっていく。その空虚を埋めるように、NOVAはユウタに振り返った。
「……私にも、やらせて。試合を。今すぐ」
「いい目になったな、NOVA。よし、実戦形式のマッチングを組んでやる」
転送された先は、実戦用のプラクティス・ドーム。対戦相手は、岩塊のような筋肉を持つオーク型のアバターだった。見るからにパワーに特化した、「高さ」と「重さ」で相手を粉砕するタイプだ。
試合開始のブザーが鳴る。NOVAは意気込んでボールを保持した。
「抜く……!」
鋭く一歩を踏み出す。だが、先ほどまでの全能感は、実戦のプレッシャーの中で霧散した。リアルよりスピードを削った代償で、初速がリアルの感覚よりも重い。脳が「行ける」と判断したタイミングに、175センチの身体が追いつかない。
「おいおい、見かけ倒しのデカ女かよ!」
相手が嘲笑と共に、その長いリーチを潜り抜けてボールを奪う。そのまま再開し強引なパワープレイでゴールを決められた。
「……っ、こんなはずじゃ!」
焦れば焦るほど、アバターは自分の意志から乖離していく。長い手足が絡まり、自分自身のステップで躓きそうになる。
シュートを放てば、指先の感覚が合わずにリングを叩き、観客席から失笑が漏れる。結局、身体を変えても、中身が「負け犬の私」のままじゃ、何も変わらないのか?
「ドンマイ!思考が古い身体に囚われてるぞ!」
コート脇で見ていたユウタが、拳を突き出して叫ぶ。
「ここでは身体で覚えるな、イメージで神経をつなげ!君はもう、リアルの檻の中にいないんだ!その長い腕を、その高い視点を信じろ!」
ハッとした。自分はまだ、心のどこかで「届かない」と思ってシュートを撃っていた。「抜けない」と思って腰を引いていた。身体はアップデートしたのに、魂が150センチの絶望に依存したままだったのだ。
私は、捨てたんだ。あの屈辱的な見上げる視界を。ならば、その代わりに得たこの「光景」を、私の正解にしないと。
NOVAは目を閉じ、ノイズだらけの感覚を遮断した。イメージするのは、自分をブロックしたあのセンターの視界。そして、今さっき見た『QUEEN』の圧倒的な意志。目を開ける。相手がボールを持ち、勝ち誇った顔で突っ込んでくる。
――スローだ。視点が高いからこそ、相手の重心移動、肩の揺れ、ボールの軌道が、まるで作戦ボードを俯瞰しているかのように鮮明に読み取れる。
(……見える。そこだ!)
NOVAは、あえて一歩引いて「間合い」を作った。175センチのリーチがあるからこそ可能な、狩人の間合い。相手がシュートモーションに入った瞬間、鞭のようにしなる長い腕が伸びた。指先が、空中でボールの回転を殺す。
完璧な、スティール。
「なっ……!?」
すぐさまクリア。オフェンス、相手の驚愕を置き去りにし、NOVAはゴールへ疾走した。速度自体は若干リアルより劣るが、歩幅が違う。緩急が生きる。一歩踏み込むたびに、アリーナの床が猛烈な勢いで後方へ消えていく。
フリースローライン。リアルの自分なら、そこはまだシュートを狙うには遠すぎる聖域。だが、今の私なら。
強く、深く、床を蹴り上げる。
次の瞬間、世界から重力が消えた。身体は、これまでのバスケ人生で一度も到達したことのない高度へと跳ね上がる。背後から、必死に伸ばされたブロックの指先がかすかに見える。だが、そんなものはもう届かない。
滞空時間が永遠に引き伸ばされたかの様に空中を舞う——まさに「エアウォーク」。
風を切る音さえ消え去った無重力の領域で、私は遥か眼下に必死な敵の手を見下ろす。今、リングは私の手の届く、すぐそこにある。
「いっけえぇぇぇぇ!!」
ドォォォォン!!
両手で、ボールをリングの奥底へ叩き込んだ。衝撃波。リングが悲鳴を上げてしなり、バックボードが粉々に砕け散るかのような視覚エフェクトが舞う。
アリーナが一瞬、真空になったかのような静寂に包まれ、次の瞬間、爆発的な歓声が天井を突き抜けた。
「なんだ今の……!?跳躍力がバグってやがる!」
「あの女、ルーキーか?重力が効いてねえぞ!」
着地したNOVAの指先が、激しく震えていた。電子的な衝撃が、アバターを通じて魂の奥底まで伝播していく。全能感。そして、何よりの肯定感。自分を縛っていた「150センチ」という物理限界を、今、自分の意志で突き破った。
「ここなら……本当の自分になれる。」
リザルト画面に【WIN:NOVA-Johannès】の文字が燦然と輝く。
歓喜に沸くNOVAの背後で、ユウタは独り、複雑な表情でその背中を見つめていた。
「……いいなぁ。やっぱり、才能のある奴は違うな」
その呟きは、誰にも届かずに喧騒に消えた。彼の瞳には、純粋な祝福と、自分を決して超えられない「才能の壁」への、どす黒い羨望が入り混じっていた。
翌朝。リアルの午前八時の教室。
遥が眠い目をこすって席に着くと、クラスの男子・翔太が、弾かれたように机へ駆け寄ってきた。
「おい一ノ瀬!昨日のJVBL、公式アーカイブ見たか!?」
遥の心臓が、跳ね上がった。
「え……な、なにが?」
「とんでもねえルーキーが現れたんだよ!『NOVA-Johannès』って名前の、クールな長身アバターなんだけどさ!」
翔太は、興奮を抑えきれない様子でスマホの画面を突きつけてくる。そこには、昨夜自分が決めたあのダンクシュートが、切り抜き動画として再生されていた。再生数は、すでに数万を超えている。
「見てみろよ、この最後の一本!この空中でのタメ、体のしなり……。一ノ瀬のプレイスタイルに、どこか似てる気がしねえか?いや、見た目は真逆なんだけどさ、リズムっていうか、ソウルっていうかさ!」
「そ、そうかな……?よくあるプレイじゃない?」
遥は必死にポーカーフェイスを維持したが、背中に冷や汗が流れるのを止められなかった。翔太は男子バスケ部の補欠だが、その「目」だけは、プロのスカウト以上に鋭い。
「いや、似てるね!こいつ、序盤はボロボロだったんだ。長い手足を持て余して、自分の身体に戸惑ってるみたいに。メンタルが弱いところも一ノ瀬に似ている。でも、最後に吹っ切れたように、この動き……」
翔太はニカッと笑い、スマホを仕舞った。
「ま、彼女は175センチあるからな。お前もそれぐらいあったら、マジで無双だろうな!夢があるよなぁ、バーチャルはさ!」
翔太が去った後、遥は机に突っ伏した。「興味ない」と素っ気なく答えたものの、頬は火照ったままだ。自分の不器用な努力を、誰かが、たとえアバター越しであっても見つけてくれた。その事実が、くすぐったくて、何よりも嬉しかった。
鞄の中、スマートフォンには、すでに次の試合への招待通知が届いている。一ノ瀬遥と、NOVA。二つの世界が、今、激しく火花を散らしながら同期し始めていた。




