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Node9.1:計算外のバグ

――ホテルでは、イーグルがコアデータを抽出したあと、強制的なシャットダウンコードを流し込む準備を整えていた。


――コートでは最後の攻防。残り1ポゼッション、スコアは同点。

中央でボールを保持するNOVAの視界は、もはやリアルの色彩を失っていた。極限まで引き出された「ゾーン」の代償として、彼女の意識は膨大なデータノイズと、剥き出しの闘争本能が交錯する境界線を彷徨っていた。

目の前に立ちはだかるのは、アル=ナジールの象徴、アミール。―HARMONIA―の演算能力をフルに上書きされた彼は、もはや人間というよりは、勝利を確定させるための「精密な迎撃プログラム」そのものだった。

NOVAが重心を動かすたびに、アミールのセンサーはそれを検知し、完璧な守備位置へと彼を誘導する。


(……読まれている。私の動きが、全部計算されてる……)


NOVAの脳裏に、青いグリッド線が走る。次の瞬間の「未来」が、国家級AIシステムによって封殺されていく絶望感。だが、150cmの小さな少女は笑った。合理性を捨て、論理を拒絶する。


彼女が選んだのは、システムが「シュートエリア外」と断定し、完全に計算から除外していた絶対の死角――ゴール・バックボードの真裏だった。

「これで……最後!」

NOVAの心臓が、システムが生み出す同期信号シンクを完全に拒絶する「最大級の乱数ノイズ」を叩き出す。予測のコンマ数秒手前。計算上の跳躍タイミングを僅かに外した、不完全で、だからこそ「誰にも読めない」跳躍。


「バックボード裏からのゼロアングル・シュート……!」


アミールの指先が空を切り、ボードの裏側、完全に視界から消えたはずの場所からボールが舞い上がった。重力に逆らうように鋭い弧を描いたそれは、ボードの縁をなぞるようにして「表側」へと現れる。

既成概念を嘲笑うかのようなあり得ない放物線が、虹の架け橋となってリング中央を貫いた。

――ネットが揺れた瞬間、アリーナ全域を支配していた「―HARMONIA―」のサーバ・ログが一斉に赤く染まり、過負荷の警告音が悲鳴のように響き渡った。


[ system_status = FAIL ]

[ CORE_OVERLOAD : NOISE_SPIKE_DETECTION ]

[ HARMONIA_SYNC = CRITICAL_ERROR ]


――「今だ、イーグル!NOVAたちのゾーンが、システムに最大級のノイズを生み出している!」

「わかっている!」

Xが思わず叫ぶと同時に、イーグルがエンターキーを叩きつけた。強制シャットダウンコードがコアに注入される。


>>> [CORE_ACCESS] : GRANTED

>>> [DATA_BROADCAST] : GLOBAL_RELEASE_INITIATED

>>> [STATUS] : TRUTH_HAS_BEEN_REVEALED


「システム・ブレイクダウン!」

その瞬間、“HARMONIA”のAI同期が崩壊しコート上のアル=ナジールのプレイヤーたちは、神経系に直結していたOSを強制切断され、まるで操り糸を切られた人形のようにその場に崩れ落ちた。

キャプテンのアミールは、膝を突き、空洞のような瞳で消えゆくデータの残像を見つめていた。

―HARMONIA―の沈黙。それは、この国を縛り続けていた「デジタルの神」の死を意味していた。

V.B.Lのメインシステムは、自己防衛プログラムの発動により、即座にグローバルのバックアップサーバへとリレーションスイッチを実行する。

これにより、アル=ナジール国内のシステムが停止しても、ゲームの記録は守られる。


試合終了。日本の勝利だった。


アリーナは、一瞬の静寂の後、爆発したような歓声に包まれた。観客席が一斉に沸き、スタンディングオベーションが巻き起こる。

だが、その歓声はどこか不自然に整然としている。

観客たちは立ち上がり、叫び、拍手を送っているが、その動きは依然として訓練された軍隊のように整然としていた。

「“HARMONIA”が、フリーズしても……まだ、統制は解けてないのか?」

ホテルで、イーグルは抽出したコアデータを抱えながら、モニター越しに観客席の方向を見上げ、静かに呟いた。システム本体は止まっても、長期間の意識干渉によって植え付けられた―「習慣」や「反応」―は、すぐには消えない。


コートでは、NOVAが膝に手をつき、深く息を吐いた。身体の重さ、意識の混濁、全身を襲う疲労感。だが、その顔には、確かな笑みが浮かんでいた。

「……今日は、自分の意思を保てたままで勝った」


その時、観客席のあちこちで、奇妙な現象が起こり始めた。歓声を上げていた一人の青年が、突然顔を覆って泣き出した。隣にいた女性は、無表情だった顔に驚きが広がり、慌ててハンカチを探している。そして、ある初老の男性は、叫び続けていた歓声を、突然咳払いをして止め、周囲の反応を恐れるように静かに見渡した。


長年のシステム制御から解放されたことによる―「感情のバグ」が、民衆に広がり始めたのだ。人々は、自分が今、なぜ泣いているのか、なぜ笑っているのか、なぜ怒っているのか、理解できてない。

それは、システムによって強制的に最適化されていた「人間らしさ」―が、NOVAたちのノイズによって取り戻された瞬間だった。――計算外の感動。


NOVAは、歓声の中に混じる、不規則な泣き声や、困惑した表情を捉えた。

彼女たちが戦ったのは、ただのヴァーチャルバスケの試合ではない。管理という名の安らぎよりも、迷い、傷つき、それでも自らの足で歩む「不自由な自由」を、彼らに取り戻したのだ。それは、計算機には決して導き出せない、最高に無様で美しい「感動」という名のバグだった。


イーグルと大樹は、ホテルから、アリーナのNOVAたちと合流した。

「よくやった、NOVA。君の『ゾーン』が、この国の全てを変えた」

XはNOVAの肩を抱き、安堵のため息をついた。リアルではイーグルが、抽出したデータを握りしめる。

「これで、奴らの犯罪を世界に暴露できる。君たちのおかげだ」


アリーナのシステムがシャットダウンし、“HARMONIA”の青い光が消えたコート。

アミールは、自らの膝が震えていることに気づいた。それは“HARMONIA”の補助を失った肉体の脆弱さではなく「人としての恐怖」だった。


歓喜に沸くアリーナ。だが、その光り輝く狂騒の中で、QUEENだけは「視線」の鋭さに気づいていた。コートの隅、立ち上がったアミールが、こちらをじっと見つめている。

彼の瞳には、敗北の痛みも、解放の喜びもなかった。そこにあるのは、自らの存在意義であった「完璧な世界」を破壊した者たちへの、底知れない、氷のように冷たい―「殺意」―。


(これがお前たちの望んだ『自由』か!?)

アミールは、立ち去ろうとするNOVAの背中に向けて、呪詛のような声を絞り出した。彼の瞳には、“HARMONIA”の制御光ではない、真っ赤な血走った敵意が宿っている。

(システムが壊れれば、この国は再び争いと飢えに沈む!偽りの幸福を奪い、残酷な現実を突きつけることが……そんなことが正義だと言うのか!NOVA!俺はお前を、お前たちを一生許さない。この憎しみだけは、“HARMONIA”にも制御されていない俺自身の『意志』だ……!)


「……まだ、終わってないわね」

QUEENが、そのアミールの視線を感じ取り、NOVAの腕を掴みながら呟いた。

―HARMONIA―の崩壊は、平穏への回帰ではないのかもしれない。



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