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境界線の街  作者: 前澤凛
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ノイズ

冷蔵庫を開ける。

そこにはいつものコンビニで買ったゼリー飲料が一パックと、行くたびに買い溜めてしまった未開封の炭酸水が五本。

ガラスの張られた底面から覗く野菜室には使いかけの食材が数種類転がっている。



「…………」



無言でゼリー飲料だけを取り出し、ドアを閉める。

無機質な音が部屋に響いた。


封を切ったパックの中身を飲み干して、カナデはコーヒーを淹れる支度に取りかかる。

好みの粗さに豆を挽き、上部のフィルターに放り込み、水を入れてコーヒーメーカーを稼働させる。

すぐに始まる濁った抽出音。

キッチンの換気扇の回る音がやけに耳に響く。


棚からマグカップを取り出す。

無意識にふたつ取り出そうとして、やめる。

今日もマグカップはひとつで足りる。

……否、本来はひとつでいいはずだ。

思い返すとコーヒーメーカーの水も一人分には多い。

ため息。

それ以上は自分を追求せずに、立ったままスマートフォンを弄る。

適当なニュースサイトを眺めて待つ。

冷蔵庫や換気扇の駆動音を、ほんの少しだけ耳障りに感じながら。


コーヒーの抽出音が止む。

スマートフォンをポケットにしまい、ガラスポットをなみなみと満たす黒をマグカップに注ぐ。

ポットとマグカップを携えたままソファに座り、ローテーブルにそれらを置く。

中央ではなく、片側に身を寄せ肘掛けに肘を置いてマグカップを手に取る。


独り身には広い部屋で啜るコーヒーの味はいつもと変わらない。


そこにインターホンの音が鳴る。

コーヒーを置き、立ち上がってモニターを見る。

資料らしき荷物を片手に持ったマンションの管理員の、人の良さそうな笑顔が映っている。

カナデは普段着のまま応対する。

その声に温度はない。

玄関のロックを開けて、荷物を受け取る。

礼を言うだけの短い応酬に、ノイズが挟まる。


"今日はいつものお兄さん任せじゃないんだね"


たまには労ってやりなよ、と。

そんな台詞を残された。

眼鏡の奥の瞳は揺らがない。

立ち去る背を見送るでもなく扉を閉めて鍵を回す。

チェーンロックは、かけない。


資料を資料庫に置いてから、マグカップの前に座り直す。

少し冷めたコーヒーを一口啜り、マグカップを置いて煙草を手に取る。

一本咥えて火を点し、紫煙を深く肺に溜める。

白い煙がゆらめき、揺蕩う。

ある程度吸ったところで軽く身を起こす。

ソファの中間あたりにある洗いたての灰皿へ腕を伸ばし、吸った分だけ燃えた灰を何もないそこへ淡々と落とす。

ついでに煙草を挟んだままの指で、自分の側へと灰皿を引き寄せた。


空は厚い雲に覆われている。

この様子ならひと雨降るかもしれない。

タバコを灰皿に置き、ベランダへ向かう。

いつもより少ない服を取り込むために。


外に出るとサイレンが鳴っていた。

すぐ近くではない、この街のどこかで。

遠く鼓膜を震わせるその音に小さく息を吐く。

湿った風に揺れる洗濯物を取り込み、それをベッドへ投げ、代わりにイヤホンを手に取ってソファの定位置へと戻る。

一人で住むには広い部屋。

ここを選んだのは自分に間違いない。

何を聞くでもなく、ただノイズを避けるように耳を塞いだ。


降り始めた雨音も換気扇の駆動音も、その全てが邪魔に感じられた。



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