夏の光に見つけられて
玉鬘という女は、流転の末に都へ迎えられ、華やかな美と不安定な運命を併せ持つ人である。光源氏に庇護され、その優しさに寄り添いながらも、心は定まらず、求められる愛の重さに揺れる。多くの男の想いを集めつつ、己の行く先を選びきれぬまま迷い続ける姿は、華やぎの裏に影を宿す。漂うように生きるその儚さこそ、物語に深い余韻を残すのである。
夏は影を照らす季節だ。夏の光は強すぎて、心の奥の影まで照らしてしまう。隠しておきたいことまで照らしてしまうこともある。
今日、「彼女」はそんな夏の光に照らされ、誰かの名を借りず、誰かの物語をなぞらず、見せなければいけない、いや、自ら見せたくなったようだ。
***
夏の光は、まっすぐで、逃げ場がない。庭に出ると、濃い緑が熱を抱え込み、空気の底からゆっくりと立ちのぼってくる。風はほとんどなく、ただ光だけが私の肩に降りてくる。その重さが、なぜか嫌いではなかった。
その日、私は縁側に腰を下ろして、遠くの蝉の声を聞いていた。声は途切れず、絶え間なく続く。まるで、私の心の奥で何かがずっと呼びかけているようだった。
「また、ひとりで考えごと?」
振り返ると、彼が立っていた。夏の光を背負って、少し笑って。その笑い方は、熱の中でも不思議と涼しさを含んでいた。
「またって言わないで」
「だって、いつもここで考えごとしてるじゃない」
彼はそう言って、私の隣に座った。肩が触れるか触れないかの距離。その近さは、もう当たり前になっていた。
「今日は何を考えていたの」
「昔のこと」
「またか。じゃあ、今日も僕に少し分けてよ」
その言い方が、胸の奥をやわらかくする。彼はいつも、私の心を強引にこじ開けようとはしない。ただ、隣に座って、分けてもらえるのを待っている。
「分けるほどのものじゃないよ」
「じゃあ、分けられるくらいにしてよ」
軽く笑いながら言うその声が、夏の熱をやわらげる。
「きみって、ほんとに距離の詰め方が上手いよね」
「そう?詰めて欲しそう顔してるから」
その言葉に、思わず笑ってしまった。彼と話すと、心の奥の固いところが少しずつほぐれていく。
「私のこと、どう思ってる?」
「どうって?」
「なんでも聞いてくれるから、どうしてかなって思って」
彼は少し肩をすくめた。
「初めて会った時、ちょっと拗ねた顔してたよね」
「拗ねてた?」
「うん、拗ねてたよ。誰にも相手されてなくて寂しいって顔に書いてあった。違う?」
その言葉に、思わず彼の肩を軽く叩いた。
「それじゃあ、私が寂しい人みたいじゃない」
「でも、僕が手を伸ばしたら、しっかり握り返したでしょ」
「誰でもいいって訳じゃないのよ」
「わかってるよ」
その瞬間、私は彼の肩にそっと頭を預けた。夏の熱の中で、その肩は不思議と涼しかった。彼は驚かない。むしろ、少しだけ体を寄せてくれる。
「甘えてもいいのかな」
「甘えたいなら、甘えていいよ。ほら、今日は暑いし」
その軽さが、逆に安心させる。彼は決して強く求めない。けれど、離れようともしない。
「きみって、ほんとに優しいよね」
「誰かさんにだけね」
その言葉に、胸の奥が静かに熱くなる。
庭の緑が濃く、蝉の声が遠くで続く。その声の中で、私はようやく自分の心を見つけた気がした。
「きみといると、私の世界が少しだけ明るくなる」
「じゃあ、もっと明るくしてあげるよ」
彼はそう言って、私の手を取った。その手は温かくて、確かで、迷いを静かに無くしてくれる。
「そろそろ窓閉めて、クーラー入れようよ。暑くなってきた」
「うん」
窓を閉めると彼が言った。
「なんでも話してよ。昔のことも。心配なことも」
その言葉に、私は静かに頷いた。夏の光が、私たちの影をひとつに重ねていく。その影は、もう恐れるものではない。私が選んだ影であり、私が選んだ光だ。
***
そもそも、夏という季節は、過去を隠してくれない。光が強すぎて、心の奥の影まで照らしてしまう。書き終えてみると、その明るさはやはり少しだけ残酷で、そしてやさしい。熱の中で立ち止まると、忘れたはずの記憶がふっと息を吹き返すことがある。
玉鬘は、母を失い、父の所在も知らず、九州の地で長く漂うように生きていた。身を寄せる家はあっても、そこは彼女の居場所ではなかった。都の空気も、父の名も、母の記憶も遠く、ただ「自分がどこに属しているのか分からない」という心細さだけが彼女の胸に残っていた。
そんな彼女が、偶然の縁で都へ戻り、光の君の前に立つことになる。光の君は、彼女の境遇を知ると、ただ保護したのではない。彼はまず、玉鬘が怯えないように距離を置いた。急に近づけば、彼女はまた逃げ場を失うと分かっていたからだ。
次に、彼女の身の回りを整えた。衣は彼女の年頃にふさわしい色を選び、住まいは静かで風通しの良い場所を与え、周囲の人々には「この娘を大切に扱うように」と穏やかに伝えた。
玉鬘が不安げに目を伏せれば、光の君はそっと視線を外し、彼女が自分の速度で心を開けるようにした。逆に、玉鬘が少しだけ心を寄せる気配を見せれば、光の君はその気配を受け止めるように、ほんの少しだけ近づいた。
その絶妙な距離感が、夏の熱をやわらげる風のように、玉鬘の迷いを少しずつほどいていった。彼女は、光の君に強く求められたわけではない。ただ「見つけられ」、そして「大切に扱われた」そのことが、玉鬘の心を静かに変えていった。
今日の彼女も、夏の光の中で、影が濃くなるほど心の輪郭がはっきりしていくように、誰かの手に触れた瞬間、自分の奥にあるものが静かに形を持ちはじめる。それは恋とも愛とも言い切れないけれど、玉鬘が感じたものとどこか似ている。
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