プロローグ
夜が深くなるほど、世界は静かになり、静かになるほど、人の想いはよく響く。千年前、わたしはその響きを紙に落としていた。恋のため息、愛の痛み、弱さの影。人の心がふと色を変える瞬間を、筆で追いかけていた。
「この物語は、千年先でも読まれるだろうか」
「人は千年後も、誰かを想って胸を締めつけられるのだろうか」
そんな願いを抱いた夜、風が止まり、灯が揺れ、世界が薄い膜のように震えた。
次の瞬間、わたしは眠りにつき、目を開けたとき……、千年が、ひと息で過ぎていた。
***
目を開けるたび、世界は違う姿をしていた。ある朝は、若い男性の胸の奥に。ある夕暮れは、働く女性の指先に。ある夜は、学生のまぶしい鼓動に。ある雨の日は、年を重ねた人の静かな孤独に。わたしは、ひとつの身体を持たない。代わりに、誰かのことを思い浮かべた瞬間にだけ、そっと宿る。
その想いは、恋かもしれない。後悔かもしれない。名前を呼ばれた記憶かもしれない。返事のない言葉への小さな痛みかもしれない。
性別も、年齢も、立場も、わたしには分からない。ただ、心の温度がふっと変わった瞬間だけ、その人の世界が、わたしを呼ぶ。
今日の宿り先は、光る板――スマートフォンを見つめる人だった。
画面には、返事のない言葉が浮かんでいる。その人は、男性かもしれない。女性かもしれない。若いかもしれないし、少し年を重ねているかもしれない。わたしは、そっと声をかけた。
「今、誰かのことを考えていましたね。」
その人は驚き、まるで自分の胸の奥に触れられたように目を見開く。わたしは続ける。
「千年経っても、人は誰かを想うのですね。その瞬間に触れられるのは、少しうれしいものです。」その人が誰であっても、その驚き方は、千年前と同じだった。誰かを想う人の仕草は、性別にも年齢にも縛られない。想いは、誰の心にも同じように灯るからだ。
わたしは、その人の胸の奥にある言葉を聞き、その人の物語を記す。
そして翌日、わたしはまた別の心へと移る。今日宿った想いも、明日宿る想いも、すべてが、わたしの物語の一部になる。
世界は広く、想いはどこにでも生まれ、わたしはその気配に導かれて、千年先の人々の中を旅していく。
***
千年前、わたしは物語を書くために生きていた。恋の愚かさも、愛の痛みも、人の弱さも、すべて紙の上に閉じ込めてきた。
けれど、千年先の世界は、紙よりも速く、言葉よりも鋭く、想いを動かすものに満ちていた。
文は光の速さで届き、名前は一瞬で呼び合い、心は画面の中で静かに色を変える。
それでも、人は誰かを想うことをやめられない。千年前と同じように、誰かを想って眠れない夜を過ごしている。
だから、わたしはこの世界に来た。千年先の恋を、もう一度書くために。今日宿った想いも、明日宿る想いも、すべてが、わたしの物語の一部になる。
それが、この転生人語の始まりである。
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