家庭教師、コイバナする
三週間を、わたし達は楽しく過ごした。
これほど長く、ゆっくりとこの邸に滞在したのは、初めてだ。
白拍子の舞いは独特だ。パパ殿が引退した白拍子を連れてきて、大姫は毎日稽古に励んでいる。パパ殿は、今上のお墨付きを得てあちこちに根回ししているらしく、忙しく出歩いている。
昼間大忙しの大姫は、夜になるとわたしにくっついて離れなかった。三週間、寝間で一緒に寝て、たいていは自然とコイバナになった。
とはいえ、わたしの方には、たいして話すネタもない。もっぱら、大姫とけら男の幼馴染純愛物語を聞く側だ。
やはり、きっかけは、ボーイズの立場が変わっていったことだったらしい。
弟分三人が自分達の道を決めて進んでいくことを、けら男も、喜びと同時に寂しさと一抹の悔しさをもって、見つめていた。
けら男自身は下級貴族で、代々この邸の家宰をしている身分だ。父の跡を継いで家宰になることを誇りに思っていたけれど、自分の道を自分で決める、という発想がなかったことにショックを受けたのだった。
そして、けら男のそういう気持ちをいちばん理解できたのは、大姫なのだ。
「わたくしだって、自分の進む道を自分で決められないのは同じだもの。せいぜいがお嫁に行かないってお父様に宣言する程度。わたくしも、みんなのことをまぶしい気持ちで見ていたわ。でも、けら男の方が悔しさとか置いて行かれた気持ちとか、強かったはずよね。だから、けら男の気持ち分かるわって話していたの」
けら男はそれ以前から大姫のお守兼家宰見習いの仕事をしていたので、あまり生活スタイルが変わらなかった。
大姫の方も、あまりムチャな外遊びはしなくなっていたので、庭を散策しながら、三人は今どうしているか、などと話し合っていたらしい。
「いなご麿とひき麿はいなかったし、雨彦は八助にかかりっきりで庭師の仕事を覚えていたし、わたくしも寂しかったの」
それで子ども時代を懐かしく思い出していたら、けら男がどれほど自分のことを理解してくれているか気が付いて、温かい気持ちになったのだそうだ。
「みんな心配して面倒を見てくれていたけれど、ずっと小さいときから、わたくしのことを叱ったのはけら男だけだったわ。とても穏やかで言い聞かせる、という感じだったけれど、わたくし、何かをしたらダメ、と人から言われて従ったのは、けら男だけだったのよね。あ、もちろん、斎迩の君がいらっしゃるまでの話よ?」
うわ~、典型的な、幼馴染ラブ!!
ノーテンキにきゃっきゃしていたが、少し心配もある。たしかにこの二人は幼馴染でもあるが、その前に、厳然とした主従関係なのだ。大姫は気にしないだろうが、
「いや、でも、あのお固いけら男が主君の姫に手なんか出しますかね。そういう感情にはフタをして隠し通すタイプだと思うんですけど」
正直な疑問を投げたら、真っ赤になった大姫に思いっきり打たれた。
「いやだわ、斎迩の君ったら! 手を出すなんてっ……、けら男はそんなこと、しないもの!」
――あ、まだなんだ。
「えぇっと、でも、相思相愛なんですよね?」
大姫の妄想だったらどうしよう。
先日のふたりの手拭いの渡し方、見つめ合っていた様子を見る限り、それはないだろうけれど。
けら男の方は必死にあきらめるつもりで、大姫だけが両想いだと思っている可能性は、無きにしも非ず、だったりして。
「大姫様、余計なお世話ですけれど、けら男から、その、好きだとか何か意思表示はありましたか」
「やぁね、もちろんよ。決まってるじゃない」
「へえ! やるじゃん、けら男! あの性格で、主筋の姫に求愛するのって、そうとう勇気がいったでしょうね~」
すると、大姫が急にもじもじし出した。
毎晩、大姫とけら男のべらぼうに甘いストーリーを聞いているので、もはや珍しくもないのに、妙に言い渋る。
「あ、あのね……。わたくしから、文を渡したのよ……」
「え」
きゃーっと叫んで、大姫は着物の中に潜ってジタバタした。
「やっぱり?! 斎迩の君も、はしたないと思う?! 大輔の君にも叱られたの。女性から最初の恋文を渡すなんてダメだって。まず男性からお歌をいただいて、返歌を詠むものだって」
「いぇ」
「でもねっ! でも、けら男は絶対にわたくしにお歌なんてくれないって分かってたもの! 斎迩の君だって仰ったわよね、けら男が、お父様の娘であるわたくしに求愛なんて、するはずないわ。だったら、わたくしから言うしかないじゃない!」
単純な相づちだったのだが、大姫は過激に反応して、そりゃもう大騒ぎだった。
――まあなぁ。この時代の貴族の姫って、基本的に受け身しかあり得ないんだよね。
噂や垣間見などで興味を持った男性から文をもらえるか。返歌をして気に入られるか。次の文が来るか。男性が訪ねてくるか。
何度逢瀬を重ねても、次回も彼が会いに来るかの保証は一切ない。それでも女性は、待っていますという文を送るだけしかできない。いつまで待てば彼が来るのか、それとも自分たちはすでに別れているのかすら、確かめようがない。
――そりゃ、恋は移ろいやすいもの、という歌だらけなのも、当然だよね。
とにかくこの時代の女性の恋愛はアンフェアで弱い立場だ。だから。
「わたしは、いいと思いますよ。女性から申し出ても」
着物の下でジタバタしていた大姫が、ぴたっと止まる。こっそり顔をのぞかせた。
「本当に……?」
「ええ。大姫様のお好きな万葉集には、女性からの求愛の歌もたくさん載っていますよね。女性から求愛するのがはしたないっていう文化は、最近できた考え方ですよ」
むしろ求愛行動は、女性に選択権がある歴史の方がずっと長い。
「だいたい、付き合いだしてからが本当の勝負、相手といい関係を作っていく方がずっと大事です。どっちから言い出したか、なんて、40年後には大した問題じゃないでしょう?」
「よ、40年後……」
大姫はぽかんとしていたが、急に何事か納得した様子で、ものすごく照れながら、でも見せたいという気持ちを隠さず、お互いの歌を持ち出してきた。
大姫からけら男に渡した和歌は、
――くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ 君ならずしてたれかあぐべき
「ああ、そういえばあの頃、大姫様、伊勢物語を読んでいらっしゃいましたね」
『伊勢物語』の中でも有名な、筒井筒|(幼馴染のこと)の物語に出てくる歌だ。
「これは相答歌になっているでしょう。だから、女性の返歌の方を、わたくしから先に渡したの」
そう。もともとこの話では、男性が、再会した幼馴染の女性に恋文を渡す。その歌が、
――筒井つの井筒にかけしまろがたけ 過ぎにけらしな妹見ざる間に
男性が
「井戸端で遊んでいた私たちの背も、井戸を超えましたね。あなたに会わない間に」
と詠みかけ、女性が
「振り分け髪の長さを比べあっていたけれど、もう肩より長くなりました。あなた以外のために髪上げをするつもりはありません」
と返すのだ。
振り分け髪は左右を紐で結う子どもの髪形で、男女共通だ。「髪上げ」は女性の成人式、裳着を指すけれど、成人=結婚というイメージが強いので、「あなた以外と結婚するつもりはありません」という意味合いになる。
「それはまた……、大胆な歌を選びましたねえ」
そもそも元の歌は、返歌だ。相手が「見る」つまり「結婚する」という単語を使って求婚しているから、それに返事をしているけれど、大姫はけら男から何もアクションを起こされていない。
しかも大姫はすでに裳着を終えているので、ここで「髪上げ」と言ったら、結婚そのものずばりを指す。
詠み間違えようのない、正真正銘の逆プロポーズである。
少し赤くなりながらも、大姫は説明した。
「わたくし、結婚する気はないってずっと言っていたから、きちんと分かってもらわないとって思って……。それに、けら男のことが好きだと思ったら、結婚するしかないと思ったの。同じ家にいて、しかもけら男はわたくしの家宰なのよ。恋の遊びを仕掛けるような気持ちでは動けないわ」
職場恋愛が難しいのは、いずこも同じ。
女性が上司というだけでも男性は尻込みしがちだろうに、その彼氏は長年の秘書のような役割だ。うまくいかなくなったからといって簡単に別れるとはいかないし、力関係上、彼氏の方が失職する。気まずいどころの騒ぎではない。
そう考えると、大姫がどれほどの決意を持ってけら男に求婚したか、よく分かる。
「それでね、けら男からの返歌が、こちらよ」
――幸いのいかなる我か黒髪の白くなるまで妹が声を聞く
「白髪になるまで愛する人と一緒にいられるとは、私はどれだけ幸せなのでしょう」という意味だ。
「――万葉集ですね。これを、けら男が……」
鳥肌が、立った。
「そうなの。わたくしが、古今和歌集より万葉集が好きだからよね。でも、このお歌、わたくし知らなかったのよ。すごく探してくれたのだと思うの」
そのとおりだ。そして、それだけじゃない。
概して、万葉集は意味が分かりやすい。技巧が凝らされていなくて素直な歌が多いのだ。でもそれは、単純な歌というわけでは、まったくない。
わたしはスマホのメモアプリを検索した。膨大な万葉集と古今和歌集の中から、この歌を探す。
「大姫様。この元歌をご存知ですか」
「いいえ。見つけられなかったのよ。え? 少し変えてあるの?」
「これ、元歌は、“幸いのいかなる人か”なんですよ」
これだけで、大きく意味が変わる。
「白髪になるまで添い遂げられる人はなんて幸せなんでしょうね」
という本来の訳だと、「幸せを感謝している」とも、「そんな幸せな人はめったにいない」とも取れるのだ。
「か」は、感動の詠嘆としても、反語としても使われる。
これは、当時詠んだ本人にしか分からない部分だろう。万葉集の解説本でも、解釈が分かれている歌なのだ。
でも、これを「我か」にしただけで、がらっと意味が変わる。
反語としての使い方はあり得なくなる。
「なんて自分は幸せなのでしょう」という詠嘆になって、大姫のまっすぐな求婚に対して、けら男も誤解の入り込む余地のない、真摯な答えを返したのだ。
「それに、けら男も知っていたと思いますよ。万葉集の時代には女性から求婚することも多かった、と。それでいいよ、という気持ちも込めて、万葉集から歌を選んだのではないでしょうか」
わたしの解説を黙って聞いていた大姫は、力強く頷いた。
「けら男はそこまで考えて、万葉集からお歌を返してくれたのね。やっぱりけら男はわたくしのこと、よく分かってくれているわ。――斎迩の君に教えていただいてよかったわ、わたくし」
そうして、ほころぶような笑顔を見せた。
子どもにはできない笑み。愛する人を想う喜びと、強さ。
だから、わたしもそれ以上は言わなかった。
けら男の壮絶な覚悟を。
ここまで和歌に詳しいのなら、けら男は、下の句の単語も替えられたはずだ。
「妹が声を聞く」はもちろん、愛情表現だ。でも和歌の中で「聞く」は、「見る」よりも、恋愛や結婚の意味合いが弱い。
たぶん、けら男はあえて変えなかったのだ。
この歌は、
「もしも、あなたと恋愛関係でなくなったとしても、白髪になるまであなたのお傍近くにいます。それでもわたしは幸せです」
という意味を含んでいる。
大姫がそこまで気づけば、いつものように静かに諭し、言い聞かせるつもりだったのだろう。気づかなければそのままでいい、と思ったのだろう。
これは、けら男だけの、覚悟だから。
幼馴染の初々しいラブストーリーだけど、ふたりとも人生を掛けた覚悟をもって、相手に臨んでいる。
「……大丈夫。おふたりは、幸せになれます」
相手の人生を背負う覚悟を、お互いが自分ひとりで決めているところは、このふたりはそっくりだ。でも性格はかなり真逆で、お互いに助け合い、尊重しあえるだろう。
そういう恋人関係は、素直にうらやましい。
「いいなぁ。なんだか、わたしまで恋愛したくなりましたよ」
「あら。斎迩の君なら、望めばすぐにできると思うわ。ステキな女人だもの。でも……そうね、わたくしのお義母さまになっていただけなかったのは、少し残念だったかしら」
いたずらっぽく言う大姫に、わたしも吹き出した。
「いや~、ムリヤリ正妻にはなれたとしても、殿様と恋愛は、ムリでしょう、いろいろと。大姫様はステキな恋人をゲットしたんですから、義母はガマンしてくださいね?」
ふざけながら、わたしはもうひとつ、理解していた。
五年間も、平安時代に渡って来られなかったのは、大姫が幸せな恋を、結婚につながる恋をしていたからだ。
わたしの家庭教師の契約は、「大姫が幸せな結婚をするまで」。婿が決まって通い婚が始まるような結婚ではなさそうだけれど、大姫が幸せなことに間違いはない。だからこそ、タイムリープの扉は開かなかった。
けれど今上が大姫を望んで、大きく事態が変わった。大姫の「幸せな結婚」が遠のいたから、わたしがこちらに来られるようになったのだ。
――だとしたら、大姫の入内を阻止するのは、正しいんだ。
そのために招ばれたのだと思う。




