家庭教師、予言する
「殿様。まさか、この五年でご出世なされたのですか」
思わず知らず、声が硬くなる。
わたしにとっては三か月前、五位の蔵人のまま今上を守ると誓ったのは嘘だったのか。
「まさか。僕はずっと五位の蔵人のままだ。斎迩の君だってよく分かってるはずだ」
慌てて手を振るパパ殿を、大姫がぽかんと見ている。それはそうだろう。出世したのか、と責められる貴族なんていない。
女御は、かなり高い身分の女性でなければ、なれない。以前は低い身分の女性が天皇の后になることもあり、更衣と呼ばれたけれど、平安末期にはその称号は廃れた。藤原摂関家の娘しか入内するチャンスがなくなったからだ。五位の蔵人程度の官位で、娘が女御になれるわけがない。
「おかしくないですか。なぜそんな話が、どこから出るんです」
帝の后は重要な政治案件だ。現時点のパパ殿の娘が入内しても、政治的な意味合いがまったくない。参議や陣議で、そんな議題が出るはずがない。
一瞬ためらったが、パパ殿は苦しそうに口を開いた。
「畏れ多くも今上のご意志であらせられる。今のところは、宣下どころか内示ですらないが」
「?!」
帝の言葉は取り消せない。
だから内示ですら、決定事項として扱われる。内示の時点で、家をあげて、装束、調度、お従き女房の選定などを一年ほどかけて準備するのだ。
女御宣下ともなるとほぼ詔で、すでに準備は万端、指定された吉日に速やかに入内する。入内しないなどとなったら、本人はもちろん一族郎党、処罰の対象となるか出家するしかないほどの強制力を持つ。
「なぜ今上が、大姫様を? 都で評判の美人だからですか」
「それもある。最近、内裏の公達の間で大姫の手厳しい対応が噂になっているから。だが、それよりも……。――今上はお寂しいのだ」
パパ殿の説明によると、鳥羽帝は、子どもの頃に自分の命を救ってくれた薬師如来の使いに、とても興味を持っているらしい。
しかも、鳥羽帝の傍は白河院のご機嫌をうかがう者ばかりで固められている。さすがに院も、パパ殿を排除することはできず、今や帝が自由に会話できるのは、大僧正とパパ殿くらいなのだそうだ。
「ちょこちょこ質問される神使について細切れに答えていたら、『そなた、本当は何度も神使に会ったことがあるだろう』と気づかれて……、いや、斎迩の君の正体などは話していないがっ。それで、同居している娘も神使に会ったことがあるのではないか、一度話してみたい、と」
「それ、ほとんどわたしのせいじゃないですか!」
「いや、僕の責任だ。少しでも今上のお心を安んじたいと思うあまりに、話しすぎてしまった」
わたしとパパ殿の会話の間、大姫は硬い表情で、黙っていた。動揺はしていなかったので、事前に聞いていたのだろう。
最近の大姫が悩んでいて、しかもそれを誰にも言えなかったのも当然だ。事が天皇からの求婚なら、いっそう彼氏には相談できない。
――何重もの意味で、あり得ない。
現代に戻って、わたしは資料を漁りまくり、白河院の院政と鳥羽帝について綿密に調べた。
パパ殿・藤原宗輔の娘が鳥羽帝の女御になった史実など、ない。
さらに言えば、パパ殿は知らないけれど、大姫にはすでに心に決めた人がいるのだ。この邸で幸せになれるはずの恋人の仲を裂いてまで、先の無い、不幸な結婚を押し付けられそうになっている。
先の無い、不幸な結婚。
そう、わたしはそれを知っている。
でも、それをこの父娘に教えるのは、これまでの「変わったことをしてなんとなく神使っぽい」次元を大きく超える。
――たぶん、わたしが未来の情報を教えたら、二度と平安時代に渡って来られなくなる。
根拠も何もない直観だけれど、おそらく正しい。
100%当たる予言なんて、世界に存在したらいけないのだ。
「……それで、殿様は、どうお考えなのですか」
覚悟が決まらないわたしは、パパ殿に質問を投げた。そんな卑怯なわたしに、パパ殿は清々しく即答する。
「大姫が嫌がるなら、入内なんてさせないよ。当然じゃないか」
「わっ、わたくしはっ、お父様のよろしきようにっ……」
え。
つい、大姫を見つめてしまう。
「お父様がどれだけ今上にご忠心あそばされているか。わたくしが今上とお父様とを強く結びつけるお役に立てるのでしたら……。中御門家から女御を立てるのは久しくなかったと聞いています。伯父様はお喜びになるでしょう」
「大姫様、本当に、それでいいんですか?!」
「いや、僕は大姫の気持ちを聞きたいんだよ?!」
大人ふたりの声がかぶる。
――そうだ。大姫がこういう子だと、わたしは知っていたじゃないか。
生まれてすぐに母を亡くした大姫。もらい乳をして、手元で自分を育ててくれた父親、東の対屋をくれて好きなように生きていい、と言ってくれた父親の役に立ちたい、と小さい頃から思ってきたのだ。
天皇の后になることこそ、いちばんの恩返し、親孝行だと大姫が考えてもおかしくない。
相思相愛のけら男との未来を捨ててまでも。
「それは、ダメです」
わたしも腹を括った。
17歳の女の子がたった一人で悲壮な決心をしたのに、わたしがビビってどうする。
「先が無くて不幸になると分かっているご結婚に、大姫様を送り出すわけにはいきません」
「「――え?」」
父娘は、みごとに声を揃えた。
「今上は、御年16におなりですよね。たしか、もう皇后が立たれていらっしゃる。東宮も」
「あ、ああ。……しかし……」
パパ殿が大姫をはばかって、言いよどむ。
「今上が、皇后にご不興なのは知っています」
大姫が目を見開く。
「え? 東宮までお生まれになったのに? あ、それで、わたくしなどをお召しに……?」
「全然違います。――殿様、大姫様。わたしがこれから話すことは、物語です。身近に似たような知り合いがいるかもしれませんが、現実とは何の関係もありません。で、この室を出たら忘れてください」
短く息を吐く。
「四年後に、今上は禅譲なされて、ご出家なさいます。東宮が帝位にお就きになります」
ふたりが鋭く息を飲んだ。室の空気が一気に重くなる。
「もちろん、5歳の帝には政はムリです。でも今だって、同じですよね。お祖父様が代わりに執政なさっているので、それが続くだけです。ただ、今上とお祖父様との確執は、強くなっていきます」
今の東宮とは、5年後の崇徳帝だ。崇徳帝は、鳥羽帝の皇后、藤原璋子の第一子と言われているが、現代では、白河院の子どもだというのが定説だ。
もともと璋子は北家藤原氏の娘だったが、白河院の妻、祇園女御の養女になり、院御所で育てられた。鳥羽帝の元に入内した時点で懐妊していたと伝えられている。そして鳥羽帝が在位の期間、鳥羽帝の后は璋子ただ一人だった。
つまり、それほど鳥羽帝は、白河院から抑えつけられていたのだ。
鳥羽帝が20歳になった、というよりは、東宮が5歳になってすぐ、白河院の独裁力によりさっさと退位させられ、ついでに出家させられて、崇徳帝が就く。白河院亡き後、鳥羽上皇は崇徳帝を廃し、崇徳の弟の後白河を帝位に就けるが、これが道楽好きの放蕩バカ帝だったのと、崇徳帝の側近たちの怒りが収まらなかったのが原因となって、保元の乱が起こる。この内乱を機に、世の中は武士の時代に変わっていく。
が、当面の問題は、大姫だ。
「ご存知ですよね。帝が位を降りられたら、后は皆、出家します。実家に戻ったり他の人と結婚したりは、許されません」
「……あっ」
「大姫様が、ものすごく急いで来年入内しても、3年後には強制的に出家させられてしまいます。それに、たしか、今上には入内を希望している姫がいらっしゃいますよね」
パパ殿に目を向けると、諦めたように笑った。
「なんかもう、いろいろ黙っているのがバカバカしくなってきたな。――そう。泰子姫。例の、宇治で蟄居している元・摂政の藤原忠実殿の娘だ。本当に慕っていらっしゃるのか、摂政殿を内裏に戻したいのか、院への対抗心なのか、はっきりしないが」
「全部でしょうね。で、院亡き後、今上はやっと、この泰子姫を娶ります」
「え? でも、得度(出家)なさっているのでは……」
「ええ。だから表向きはお世話係。愛妾です。当然、同じく出家なされた璋子様がこれをお許しにならず、泰子姫も出家なさいます。で、今上と同居なさる」
「そんな、ひどすぎるわ……」
「や、そもそも、今の東宮が院のお子ですからね。そういうのが全然オッケーな世の中になっちゃうんです。しょせん雲上人の世界のお話ですからどうでもいいんですが、わたしは、大姫様にはそんな生活を味わってほしくありません」
現代で、崇徳天皇が実は白河院の子だと知ったとき、思わず、
「あのじーさん、もっとこっぴどく脅しときゃよかった」
と罵ってしまった。
「大姫様。いろいろぶっちゃけちゃいましたが、今上には政治的な力がまったくありません。ガマンして入内しても、殿様にも中御門家にも、栄華がもたらされることはないでしょう。それどころか殿様はいっそう院から嫌われるでしょう。四年後、大姫様はご出家させられて、中御門家はかえって疎まれます。親孝行にはなりません」
大姫は呆然としていた。理解を越える世界の話を立て続けに訊かされたのだ。無理もない。
今上と院の関係を知っているパパ殿は、別のことに驚いていた。
「――それは、予言か、斎迩の君」
「空事ですってば。ちゃんと忘れてくださいよ?」
笑ってみせると、パパ殿は円座を外して、がばっと土下座をした。
「恩に着る! そして教えてくれないか。どうやって今上のご意向をお断りすればよい?」
わぁ、困った。
そう、未来を教えちゃうと、こういう危険がある。この先起こる出来事は何でも知っていると、勘違いされるのだ。
大姫が入内する未来なんて存在しないのだから、断り方など知っているはずがない。
「軽々に口にできないのは、分かっている。しかし、そこをなんとか……っ」
「いや、あの、そーいうんじゃなくて! 本当に分からないんですよ~!」
「――斎迩の君は神使ですもの。国の大事だけ分かればよいのではなくて? 先ほどのお話も、帝位と戦に関することでしたし」
考えつつ、大姫が慎重に口を開いた。
――大姫! なんていい子、賢い子!!
「そうなんです! 隠しているわけではなくて、本当に大きな事件しか、分からないんです。ただ、その中に大姫様が巻き込まれるのだけは避けたいと思って、ついお話してしまいました」
大姫の意見に飛びついたわたしに、パパ殿もゆっくりと納得していく。
「それも、そうか……。神々が、いち貴族の行動をすべて把握なさる必要もないものな。……しかし、そうすると、国の行く末を憂えて、斎迩の君は院を正そうとなさったのか」
いや、そんな崇高な意思は、これっぽっちもなかったけど。
「もっと手厳しく、再起不能なほど、脅しとけばよかったですかねぇ」
てへっと笑ったが、あの手のじーさんは変わらないだろうと思う。パパ殿も苦笑した。
「……喉元過ぎたらお忘れになるお方だから、なぁ」
大姫が、くすくす笑い出す。
「斎迩の君もだけれど、お父様も、ものすごく不敬だわ」
「あら、大姫様。わたし達、物語のお話をしているんですよ?」
「そ、そうそう、そうなのだ」
「ふふっ。とっても珍しい物語ね」
珍しい物語。
「それですよ、大姫様! この珍しい物語を、おもしろいまま終わらせるために、どうするかを考えましょう。――殿様、今上は、大姫様を嫁にしたいんじゃなくて、要するに、大姫様と、わたしの話をしたいだけですよね」
「おそらく、そうだと思う」
「じゃあ、そうすればいいんですよ。大姫様は、今上とお話だけしに行く。今上の本当のご希望もかなって、大姫様は入内せずに済んで、両方めでたしです」
「そんな、今上と直接お話しするなど、入内でもしなければムリだ」
「それは、大姫様が貴族の姫君だからです。たとえば殿様は、今上と言葉を交わしてますよね」
不得要領の顔をしているパパ殿の横で、大姫がぱちんと手を叩いた。
「わたくしが貴族の姫以外の者になって、内裏に行けばいいのね? 斎迩の君が男装して今上をお見舞いなさったみたいに!」
そう。大姫が貴族の姫だからこそ、今上と会うには、嫁ぐ以外に選択肢がない。でも内裏ではたくさんの人達が働いている。下働きや女房は数えきれない。普通は厳しい身分審査があるのだが、帝とパパ殿の後押しがあれば、一日だけこっそり忍び込むくらい、なんとでもなる。
「入り込みやすいとはいえ、下働きや女房の扮装では、今上のお傍には近寄ることもできんぞ」
「ん~。何か宴の予定はないですか? そういう場の方が、見慣れない人も潜り込みやすくなると思うんですけど」
「――そろそろ乞巧奠だ。その夜は管弦の宴がある」
乞巧奠は、七夕の儀式だ。本来は習字や管弦楽の習い事が上手くなるように、と祈る行事なので、必ず管弦の宴が催される。
「あら! じゃあわたくし、雅楽の演者に混じろうかしら。お父様、できると思います?」
「後宮の宴なら女性が演奏するが、内裏での正式な宴では男性の演者しか認められないぞ」
「まぁ。それなら斎迩の君の真似をして、男装しようかしら」
絶句しているパパ殿と比べて、大姫は目をきらきらさせて、楽しそうだ。
――そっか。どうせ男装するなら……。
「大姫様。白拍子はどうでしょう」
白拍子は、猿楽の舞い手だ。女性が男装して踊る。
正式な宴は男性のみだが、白拍子だけは誰もが女性と知っているのに、男性扱いで、堂々と参加できるのだ。
「すてき! それがいいわ!」
「殿様。今上にこっそり根回ししておいてくださいね」
大姫が白拍子なぞ、とぐちぐち言っていたパパ殿だったが、最終的には折れた。
男装して潜り込んでバレたときのリスクよりは、最初から、今上ご所望の白拍子として参加した方が、大姫の身は安全だ。
「衣装を用意して、舞いも練習しなくては。忙しくなるけど、楽しみだわ! 斎迩の君、お願い、宴の日まで、側にいてね」
乞巧奠の管弦の宴まで、3週間。
わたしは最後の平安時代に、長逗留することになった。




