家庭教師、察する
「俺は、お邸の手伝い要員」
にかっと笑ういなご麿が、身体は大きくなっているものの、いちばん変わっていない。
子どものときも、大姫のお付き兼下男だった。特に変化なし、ということなのか。
わたしが微妙な顔をすると、けら男が笑った。
「斎迩の君。いなご麿は、醍醐寺から戻って、言ってくれたのです。殿様と大姫様のために、こういう仕事をする訓練を積みたい、と。今では当家の草の筆頭です」
草は、間諜や忍者の古い呼び名だ。おもに朝廷や公家の下で諜報活動をする者を指す。
「いなご麿が……、間諜?!」
「そ。斎迩の君が言ってくれただろ。仲間の人生見てから、自分の進みたい道を決めてもいいんじゃないかって。――俺さ、醍醐寺でいろいろやってみて、こういう仕事向いてるって思ったんだよ。それに、東の家宰も、あしひき丸も雨彦も、陽の当たる立場だ。でもこの都で、貴族も坊主も化け物ばっかだし、お殿様はああいうお方だし、裏の情報とか仕事をするヤツも必要だなって」
「いなご麿は優秀ですよ。何度当家が助けられたことか」
穏やかに言い添えるけら男と、いなご麿を見比べる。
たぶんこの場に大姫がいるから詳しい話をしないだけで、いなご麿はそれなりに汚い仕事もしているはずだ。
パパ殿も、表に見せているほど、ぼんくら貴族ではない。情報収集能力も高かったし、それこそ今上のためなら殺人も厭わない人だ。
そのパパ殿のために間諜の仕事をしているのなら、いなご麿は、そうとう危険な場所で生きているのだろう。
「そ、うなんだ……」
――なんと言葉をかければいいか、分からない。
いなご麿は、きちんと考えて自分の道を選んだのだし、実際、適性もあると思う。どこにでも溶け込めるし誰とでもすぐ仲良くなれるし、頭も身体能力も要領もいい。
「ここで、あんまり危ない事はしないでね、とか言うと、またオバサン扱いされるよね。いなご麿が自分で決めたことだから、――がんばって。でも、命は大事にしてね」
「いや、それ、もはや、オカンだから」
照れくさそうにそっぽを向くいなご麿を、雨彦がつつく。
「いなご麿、ほら」
「お、そっか。あのさ、斎迩の君」
いなご麿は、懐をごそごそあさった。
目の前に置かれたのは、どこかで見たような、……手裏剣。
「え、これ?!」
院御所を襲撃、もとい訪問したときに、わたしが持っていった物だ。トイ○ラスで買ったオモチャ。
――あれ、これ、どうしたんだっけ。えーと、パパ殿が階を上ってきて……、あ! 斬りつけようとした北面の武士に投げつけたんだ! パパ殿、あれ、拾ってたのか。
「殿様が、斎迩の君からお預かりしていたと。俺がこういう仕事をすることになったとき、くださったんだ。俺なら、斎迩の君も許すだろうって。でも直接、譲ってほしくてさ」
一瞬、ためらった。
合成チタンは、どう考えても平安時代に存在していい物ではない。
でも。
いなご麿が危ない仕事に就くときの支えになるのなら。
それに、いなご麿はすでにあのICレコーダーも持っている。他人に見せないよう、使わせないように注意した道具は、この手裏剣が初めてではない。
「うん。あの勾玉形の再生機と同じで、いなご麿が責任もって管理してくれるなら、いいよ。あげる」
いなご麿は嬉しそうにうなずいた。
「でもそれ、投げ方に工夫がいるし、そもそも一つじゃ、武器としてはあまり使えないよ」
「あ~、うん、いろいろ試して、俺もそう思った。でもいいんだ。これはお守りみたいなモンだから」
そして、いなご麿が醍醐寺のその後の状況を教えてくれた。
昏倒から覚めた座主は、私財も投じて精力的に動き、翌年に灌頂院という大伽藍を建立したそうだ。民はありがたがって感動し、内裏では座主の反省の意として、おおむね好意的に受け取られた。大僧正が健在なので、座主の罪が忘れられることはないが、少しは当たりが柔らかくなった。
実際、人もいなくなり評判も最悪だったので、座主は醍醐寺を立て直すだけで精いっぱいのようだ。
問題の袿については、衝撃的な目撃証言がやまほどあったので、霧舟の怨霊が座主の元まで飛んで行った、ということで、誰ひとり何も疑問に思わなかった。しかも、当の着物は、座主に巻きついたまま、崩れて形も残らなかったので、パパ殿があの袿を内裏からくすねてきたことは永遠に封印されたのだ。
「よ、よかったぁ。重要な証拠品をなくしちゃって、どうしようと心配してたのよ。……でも、元はと言えば殿様のせいじゃない? わたし、今度殿様に会ったら、文句言おうと思ってたんだ!」
ホント、パパ殿って運がいいというか、人生楽勝というか。
なんか、釈然としない。
ぶすくれていると、大輔の君がくすくすと笑った。
「大丈夫ですわ。大姫様が、それはもう厳しくお叱りになりましたから。斎迩の君は、勘弁してさしあげてくださいな」
「あら、当然じゃなくて。お父様があんな子どもっぽい意地悪をなさらなければ、斎迩の君があんなに急にお姿を消すこともなかったのよ。しかも光って飛んで行ってしまわれるなんて、尋常ではなかったわ。全部、お父様がお悪いのだから、少しは反省していただかないと」
大姫は、御簾は上げているものの、扇で顔は隠している。が、扇の上に見えた瞳はまったく笑っていなかった。
大輔の君はにこにこしているが、男性陣が全員、しん、と押し黙って空気が凍ったのを見るに、大姫はパパ殿にそうとう手厳しいペナルティを科したようだ。
――まあ、それならそれでいっか。
わたしにはこの前の冬の事件だけれど、みんなにとっては五年前のことだ。もう蒸し返さなくてもいいだろう。
「さすが大姫様、わたしの代わりに、殿様に諫言なさってくださったんですね。ありがとうございます。きっとわたしが申し上げるよりも分かっていただけましたよね」
わたしが口にしたその言葉に、男性陣は、一斉に安堵のため息をついた。
そのまま、少し慌てた様子で、けら男が、わたしといなご麿を交互に見た。
「あの、実は、次に斎迩の君がいらしたときに、ぜひお願いしたいと思っていたことがございまして……、いなご麿、お前からも申し上げろって」
「ヤだよ、別にいいって」
けら男がわたしの前で頭を下げる。
「どうか、いなご麿に名を付けていただきたいのです」
「へ? 名前?」
「はい。いなご麿は17になりました。お殿様が元服と名付けを、と再三仰っているのですが、必要ない、と。それで、斎迩の君に名を付けていただくのならばどうかと」
「いいんだって。もともと俺は捨て子だぜ? 元服なんてする身分じゃねーし、これからもお邸の草を続けるつもりだから、正式に顔をお披露目とかしない方がいいんだよ」
「いや、でも、名前は必要だろう。いつまでもいなご麿と呼ぶわけにもいかないし」
けら男が言えば、雨彦も静かに付け足す。
「……僕も下民だけど、お殿様は元服してくださった。お祝いの気持ちだと思う」
「いらねーって。だいたい、髪の毛切っちまったら童姿とか女装とか、変装できなくなるだろ」
いやいや、そろそろ童姿も女装もムリがないか。いなご麿はそれほど背は伸びていないけれど、鍛錬しているのか筋肉は付いているし、声も低い。
つらつら考えていると、けら男がわたしをかえりみた。
「こんな感じで、強情に拒んでいるのです。確かに大っぴらには顔をさらせないので、内内に祝いたい、とお殿様も仰せなのですが。――それで、せめて、斎迩の君に、名を付けていただけないか、と」
「いや、それこそ下民に名づけってどうなんだよ。雨彦だって、そのままだろ」
いなご麿は抵抗しているけれど、雨彦とは事情が違うと思う。
雨彦は、大人の名前としても充分通用する。けれど、いなご麿は、そもそも「麿」は幼名に付けるものだし、だからといって「いなご」という名前はひどすぎる。
「や、みんなの言うこと、一理あると思うよ? だっていなご麿、もう女装はムリがあるのに、それで名前が、いなごって……。仕事が草で、い、いなご、……ぷぷっ」
耐え切れず、言いながらふきだしてしまった。
しまった、と思ったけれど、けら男も雨彦も、肩を震わせている。大姫も、まったく遠慮なく笑う。
「い、いなご麿、それはダメよ。あなた目立ちたくないなどと言って、都じゅうで悪目立ちすること請け合いだわ! 女装の、いなご……、もう~、斎迩の君ったら!」
「そ、そうだぞ、いなご麿。おまえ、普段は下男でお使いとかしているだろ。速足の殿のお邸にはいなごって下男がいるって、そりゃ有名になる、よ、な……」
結局、全員が爆笑してしまった。
憮然としていた本人まで、苦笑している。
ひとしきり笑って、少し落ち着いたとき、雨彦が言った。
「いなご麿、斎迩の君に名前付けてもらえるの、今しかないかもよ」
「……だな。あ~っと、斎迩の君、面倒ですけど、頼んでもいいっすか」
観念したいなご麿が、口調とは裏腹に、丁寧に頭を下げた。
「もちろん。いなご麿の名付け親なんて、光栄だよ」
けら男がふっと力を抜いた。
「よかった。最近の懸案事項だったんだ。まさかこんな穏便に片付くとは」
「穏便どころか、たいへん楽しませていただきましたわ」
「本当、こんなに笑ったのって、久しぶり。涙が出て来ちゃった」
「腹筋も痛い」
目じりの涙を指で拭っている大姫に、素早くけら男が絹の手拭いを差し出した。
子どもの頃は、あれは、雨彦の役割だったなぁ、と、ぼんやり眺めていて、気づく。
今でも、これは家宰の仕事ではない。大姫のお付き女房である、大輔の君の役割だ。
ちらっと大輔の君を窺うと、やはり着物の袖口に手拭いが見えている。が、けら男が手拭いを出したのを見て、あえて引っ込めたようだった。
――あ。つまり、これって。
そういう目で見ると、手拭いを差し出すけら男の眼差しが優しいような。
柔らかく笑って手拭いを受け取る大姫の頬が赤いのも瞳が潤んでいるのも、笑いすぎただけではないような。
不自然にならないぎりぎり限度いっぱい長く、手拭いを渡す指先が触れ合っている二人を見て、
――大姫。本当に大人になったんだな。
しみじみ、実感した。




