家庭教師、ご無沙汰する
「お、大姫、さま?!」
東の対屋で対面した大姫は、すっかり大人の女性だった。
身長は20cm近く伸びているだろうか。顔も指もすんなりと細く締まり、しなやかな女性の体つきになっている。
なによりも、腰くらいまでだった髪の毛が背丈以上になり、豊かに床をうねっていた。
「え、え?」
見慣れない美女(もはや美少女とは呼べない)を前にあたふたするわたしに、
「うふふ、お久しぶり、五年ぶりね、斎迩の君。本当にお会いしたいときには、いらしてくださるって信じていました。嬉しいわ」
いたずらっぽく笑う大姫は、しかし、眉はボサボサのままだし、化粧もしていない。お歯黒も塗っておらず、真っ白な歯が眩しかった。
大姫、あいかわらず、五年経っても自由な生活スタイルを貫いて……、って、
「ご、五年?! 五年も経っちゃってるんですか?!」
大姫はころころと笑う。横の大輔の君にそっと耳打ちする。
「姫様と私どもで、いつもお話していたんですよ。斎迩の君にとっては、どれくらいの月日が流れているのだろうかと」
大輔の君は、見た目がほとんど変わらない。いや、生え際に少し、白髪があるだろうか。
「わっ、わたしの方では、三か月、ちょっとで……」
五年……。
大人にもそれなりだが、ティーンがもっとも大きく変化する年数だ。
ローティーンからハイティーンへ。
12歳だった大姫が、17歳になっている。
「まあ、三月!」
「そんなものだなんて……、負けましたわ」
「いちばん近いのは、あら、大姫様ですね」
「さすがですわ!」
わたしの驚きや混乱とは対極に、周りの女房たちも大姫も余裕たっぷりだ。
どうも、わたしの方ではどれくらい間が空いているか、みんなで賭けていたらしい。胴元は、あの若狭である。すっかりベテランの貫録だ。というか、東の対屋全体の落ち着き具合が、わたしには違和感がありまくる。もっと騒々しくてガチャガチャした雰囲気だったのに。
「いえ、あの、わたしは何度かこちらに伺おうとしたのですが、なぜか扉が開かなくて……」
つい口調が言い訳がましくなってしまう。が、本当なのだ。
3月までは、現代で大学受験生を担当していた。とはいえ、受験日が近くなるほど、家庭教師の出番もなくなる。何度かタイムリープを試みたものの、なぜか平安時代に渡れなかった。
自宅のドアを開けて、普通にマンションの廊下に出てしまい、幾度マヌケ面をさらしたことか。
それなのに、今朝、いきなりスマホにメールが来たのだ。
大姫と、なぜかパパ殿の連名で、家庭教師のアポだった。「できるだけ早くお越しいただきたい」という内容だったので、とるものもとりあえず、玄関を開けたのだ。
門番の八助さんも本殿の家宰さんもにこやかに迎えてくれたので、まさか五年もの月日が経っているとは思いもしなかった。二人ともそれなりの年齢なので、見た目からは判断できなったせいもある。
「大姫様、本当にご立派な大人の女性になられましたね……。あいかわらず、お化粧もお歯黒もなさっていないようですけれど」
「あら。斎迩の君の教えを守って、お客様やお出かけのときは、きちんとしているわよ」
しゃらんと大姫が言い放つ。
「先師のお方様からご注意がきたりはしないんですか」
「だって、お会いするときはいつも、きちんとしてるもの。バレてるとは思うけれど」
「ええ。もちろんバレています。お方様がお目こぼしくださっているだけです。大姫様は、そういう姫ですね、と」
大姫がぺろっと舌を出して、笑う。
うわ、なに、めちゃくちゃかわいい、てか、美人のぺろっ、て、破壊力スゴイな!
「それだけおキレイにご成長されたなら、モテモテでしょう、大姫様」
あ、急きょ呼ばれたのは、縁談かな?
やっと、思い当たった。
わたしと大姫の家庭教師は、「大姫が幸せな結婚をするまで」という、ものすごくファジーな契約だ。
もしも大姫に縁談があれば、わたしとの家庭教師契約が正式に終了する。今までタイムリープできなかったわたしが、平安時代に渡って来られたのも、そういう理由かもしれない。
わたしの褒め言葉に、周囲の女房たちが、面白そうに笑いさざめく。その笑い声は、かつての、大姫をバカにするような響きではなく、純粋に噂話を楽しむもので、この対屋のまとまりの良さがよく分かった。
「鋭いですわ、斎迩の君。最近はこのお邸にも、不心得者がうろちょろして」
「速足の蔵人の殿の大姫といえば、都イチの美少女と有名ですもの」
「先師のお方様のお墨付きもありますし、縁談は引きもきなりませんわ」
「大姫様は、まったく頓着なさいませんけどねぇ」
「それはそうですわよ、ねぇ?」
「まあ、そこが大姫様たるゆえんですわ」
「それにしても、この間の右馬介ときたら……」
「ほんに、不届きな公達でしたわ。ま、大姫様にやり込められて、這う這うの体で逃げてゆきましたけどね」
「すっきりいたしましたわ!」
「ふふ、あの者、宮中でも恥をかいたようですわよ。虫愛ずる姫君を狙うなど、身の程知らずだと」
「いい気味だこと!」
きゃあっと盛り上がる女房たち。
けれどわたしは、見逃さなかった。大姫だけは扇の陰でこっそりため息をついていた。大輔の君も、表面上はにこやかにしつつ、目だけは大姫を心配している。
「ええ。わたくし、とても手ごわい求婚相手と噂らしいの。斎迩の君が、和歌の心得や使い方を教えてくださったおかげよ」
憂いを見せずにお礼を言う大姫に、さらに心配になる。
それだけ大人になったのだろうけれど、大輔の君以外は、大姫が悩んでいることさえ知らないようだ。
パパ殿と連名でわたしが呼ばれたことといい、けっこう面倒な案件かもしれない。いずれにせよ、大姫はこの場でわたしに相談する気はないようだ。
そこに、渡殿から足音が聞こえて、廂から密やかな声がした。東の対屋の家宰になったと聞いた、けら男だ。
同時に、庭からも元気な声が響く。
「大姫様。お呼びの者ども、控えております」
「うおっ、本物?! すげーっ、斎迩の君だぁっ」
階の下の姿を見るまでもなく、声で分かった。いなご麿だ。けら男も、大姫の室には入らず、階の端っこに控えている。
わたしは夢中で階まで駆け寄った。
「いなご麿! よかった、無事に帰って来れたのね!」
あの光の玉に近寄ったせいで、わたしとの関係を疑われたのではないかと、後から心配だったのだ。
が、いなご麿はきょとんとした顔で、その後盛大に吹きだした。
「無事ってなに? ってか、斎迩の君、いつの話してんの?」
「し、失礼だよ、いなご麿ってば」
横で必死にいなご麿の服の裾を引っ張っているのは。
「雨彦?! えーっ、めちゃくちゃ背が伸びてる!」
四人のなかでいちばん小さかった雨彦は、のっぽになっていた。痩せてはいるが、筋肉はしっかり付いている。庭師の仕事で細マッチョになったのだろう。
「今日は大姫様にお許しを得ている。しばらく室に上がって、斎迩の君とお話していくといい」
笑い含みの声に振り向くと、すっかり大人の男性になったけら男だった。以前ちらっと会ったときは、まだ元服し立てで、直垂も萎烏帽子もまったく似合っていなかった。今はどこからどう見ても、立派な家宰である。
しかも。
「うわ、けら男。めっちゃイケメンになったねぇ……」
わたしが呟いたら、退室しようとしていた女房たちがどっと沸いた。けら男は真っ赤になって俯く。
「はぁ……。斎迩の君、親戚のオバサンかっつーの。だいたい、なんだよ、その感想。久しぶりに会ってそれじゃあ、俺と雨彦はイケてねーっつーこと?」
――はっ、そうか。
「え、いや、いなご麿も雨彦も、いい大人になったなあって! 感無量だよ、わたし!」
「だから、オバサンかって……」
ぶつぶつ言いながらいなご麿が、対屋に上がってくる。雨彦は対屋に上がるのを遠慮していたが、大姫とけら男に強く言われて、おそるおそる室に入った。
わたしにとってはついこの間まで、子ども時代とはいえ、みんなで、大姫の室で昆虫を放し飼いにしていた。
彼らには、五年という年月以上の重さと変化があったのだと実感する。――いなご麿は、あまり変わっていないようだけれど。
大姫とわたし、それに大輔の君だけは残って、けら男、いなご麿、雨彦とおやつを食べた。
わたしはみんなの成長に驚いていたけれど、彼らは彼らで、わたしにとっては三か月しか経っていないことに仰天した。
そして、その後の説明をしてくれたのだ。
わたしが光の玉で現れてからすぐ、いなご麿とひき麿は醍醐寺を引き上げたそうだ。
ただでさえ怪異が続いて参っていたところに、座主が光の玉に襲われ、昏睡状態になった。命に別状はなかったが、天罰だと噂が広まり、多くの人が寺を去った。相撲士は一人残らず寺を辞めたので、怪しまれずに寺を出られたらしい。
ひき麿は、当初の約束どおり大僧正の引き立てで、内裏の神祇官に所属して、鍛錬している。この時代、相撲は勝負事というよりは神事だが、強い方が縁起がいいのは当然だ。めきめき強くなったひき麿は、今は、あしひき丸という四股名で活躍しているそうだ。
雨彦はあいかわらず無口だけれど、少し自分のことを話してくれた。八助さんは体力仕事がキツくなり門番に専念しているので、今やすっかりお邸の庭を任されている。16歳になって、パパ殿が簡単な元服をしてくれたけれど、名前は雨彦のままだそうだ。
とつとつと話す雨彦が、本当に庭師の仕事に誇りを持っていることが分かった。
「雨彦もひき麿、や、えっと、あしひき丸も、自分の道を自信を持って進んでるんだね。すごく嬉しいよ。……で? いなご麿は、今なにしてるの?」




