家庭教師、復帰する
「――はぁ。なんというか……、いろんな事があったんですねぇ」
邸じゅうの人を巻き込んで大騒ぎの再会劇が落ち着き、今は東の対屋で、この3か月間の報告を聞いていたところだ。
同席者は、パパ殿と家宰さんに、大姫とけら男だ。
わたしの腰にしがみついている大姫が、ぷっと頬を膨らませた。
「そんな他人事みたいに……。大変なことの大部分は、斎迩の君がいらっしゃらなくなったせいよ」
「え、それは違いますよ。今聞いたかぎりでは、べつにわたしがいなくても、計画は進んでいたようですし」
「そんなことなくてよっ。けら男は控えめだから詳しく言わないだけで、都じゅうのお邸を斎迩の君を探すの、本当に大変だったのだからっ」
「あ~、それは、重ね重ね、申し訳ないというか……」
また泣きそうになる大姫にもごもご謝りつつも、正直、わたしには実感がない。
今までどおり、三日ぶりに家庭教師に来てみたら、平安時代では三か月も経っていて自分が音信不通で捜索されていた。迷惑を掛けたのは間違いないけれど、わたしが悪いのか? という気もする。
いなご麿からの詳しい報告書は、大僧正の手を経て、パパ殿の元に届いていた。それに、大僧正自身が座主と対面したときの様子を加えたものもあった。
けっこう衝撃的な内容で、パパ殿以外は今回の計画を知らないはずなのに、3人とも当然といった顔で聞いている。
目で問うと、パパ殿が答えてくれた。
「もともと家宰は知っていた。僕がこんなだしさ、なんでも隠さず話してるんだよね。斎迩の君が来なくなって、都を探索するときに、けら男にも説明した。将来の家宰だし」
「わたくしは、けら男から聞いたの」
いばって胸を張る大姫を見て、けら男が苦笑する。そうとう強引に聞き出したに違いない。大姫の気を逸らしてくれる、いなご麿もひき麿もいないのだ。姫様大事のけら男と口が重い雨彦では、大姫の本気の追及をかわせるわけがない。
そしてパパ殿は、大姫のなだめ役をけら男に丸投げしたのだろう。
「殿様……。こんな危ないお話を大姫様にまでお聞かせするなんて、教育上どうかと思いますけど」
「いや、そなたには言われたくないね! 発案者は斎迩の君じゃないか」
「わたくしにばっかりナイショにしているなんて、ひどいわ!」
「えっと……、いなご麿にあんな役を与えておいて、今さら、という感じも……」
一斉に反論され、さすがにたじろいでいると、家宰さんが軽く咳払いした。
救いを求めてそちらを見ると、
「お殿様と大姫様がよく似ていらっしゃるところに、斎迩の君が加わっただけのことです。ふたりも三人も同じですが、仕える者は苦労が絶えません」
にこやかに責められてしまった。
――てか、いちばんディスられたよね。わたし、この変人親子と同レベル扱いってこと?!
人知れずショックを受けていると、庭先から八助さんが呼ばわった。
「殿様。触れを出した者たちが帰ってきとりますぞぃ」
わたしがお邸に姿を現した、という知らせは、最速で都のあちこちに届けられた。
パパ殿の口述を大勢で書き取り、その文を持って、使いの者たちが一斉に邸を出て行ったのだ。まさに蜘蛛の子を散らす、という感じだった。
内裏の大僧正、権大納言家、先師殿とお方様の隠居所、左府殿の邸、そして極秘に醍醐寺の相撲士の離れにまで文を届けてきた使いたちは、それぞれに返事を持って帰って来たらしい。
「よし。順次、持ってこさせよ。こちらで吟味する」
パパ殿はしれっと答えたが、わたしは口を出さずにはいられない。
「え、これからすぐにですか? では、せめて大姫様は……」
退室させてもらいたい、という気持ちを込めると、大姫がよりいっそうへばりついてきた。
「だめよ、斎迩の君。わたくし、絶対離れないんだから」
うわ目使いで睨んでくる大姫は、眉毛を抜いていて、平安風美少女バージョンだ。お歯黒も化粧もしていないので、わたしにもそれほど違和感がない。
本当にかわいい少女だなーと感心する一方、三日前の記憶からめっきり痩せたことにも気づかされる。
パパ殿がため息をついた。
「大姫はここしばらく、食事も睡眠もろくに取っておらぬ。斎迩の君がここにいる間は、大姫の好きにさせておくがよい。……次にいつ来られるか、そなた自身にも分からぬのだろう?」
ぴりっと空気が硬くなった。
わたしの腰に抱きついている大姫の手に、いっそう力がこもる。
「――う。はい。……あの、殿様、それはっ」
「よい」
パパ殿は手を振って、
「斎迩の君がそういう存在だと、僕は承知している。それに、これまでの付き合いで、そなたが安易に大姫に心配を掛けるとは思えぬ。つまりは、大姫の指導が終わりに近づいてきているということだろう」
わたしは言葉に詰まった。
実際、大姫は、見違えるほど成長した。外見だけでなく、中身もだ。課題だった和歌の暗記も、今では自分で歌を選び、覚え、復習までできている。
ひとりで勉強できるようになったら、家庭教師は不要だ。それが家庭教師側の最終目標でも、ある。
それは本来、とても嬉ばしいことなのだけれど。
だからこそ、大姫にこんなに悲しい思いをさせてはいけない。
「そうですね……。大姫様、あとできちんとお話しましょう。これからのこと」
大姫は顔を伏せたまま、ぴくっとしたが、
「今日は、泊まっていらしてね。足湯もしましょう。皆にとても好評なのよ」
これだけ時空がズレている今、平安時代に泊まるのは不安だけれど、ここで断れるわけがない。
「はい。とてもご心配をおかけしたようですから、今日は一緒に寝ましょうね」
大姫はホッとしたように手の力を抜いた。そのまま、わたしの膝に顔をうずめて動かない。
結局わたしは、膝に丸まった猫を抱くような形で、その後の報告を聞いた。
「先師のお方様からは、安堵のお言葉だけだ。大姫から、返歌をお送りしなさい」
大姫は、わたしの膝枕のまま、頷いた。
わたしを探している間、大姫は先師のお方様と何度か会っていたらしい。
「これは……、先師殿からか。あの方が直接面識のない者を気に掛けるとは、めずらしい。こちらには僕から返事をしておくよ。政治向きの話もあるし」
家宰さんがざっと文を確認し、パパ殿が整理していく。
けら男は大姫の室を出たり入ったりしていたが、使いの者たちに茶やおやつを振る舞ったり、大輔の君にわたしが泊まることを伝えたりしていたようだ。
髪型は子どものままだが、貫頭衣のような簡素な服ではなく、明るい紺色の直衣を着こなしている。
子どもの成長は早い。けら男の体も顔つきも、記憶とは比べ物にならないほどしっかりしていて、本当に三か月経ったのだ、と実感した。
「ほう……。いなご麿め、よほど心配だったのだな。ムリして返事を寄越してきた。これは斎迩の君でないと分かるまい」
渡された文には、ふた言。
『ぶじでよかた でんちきれた』
「あ、あ~、電池かぁ。そっか、三か月経っているんですもんね、当然だ」
黄金の鈴の再生機は単三乾電池だが、いなご麿に渡した楕円形のキーホルダータイプはボタン電池だ。
この三か月のいなご麿の活躍は、たった今聞いた。黄金の鈴は仕舞いこまれたようだし、電池切れはキーホルダーの方だろう。
とはいえ、
「まさか三か月も経っているとは思っていなくて、準備していないんです。一度戻らないと電池は手に入りませんけど……」
――次にいつ来られるか、分からない。
飲みこんだ言葉は全員に通じたようで、パパ殿が頷いた。
「いなご麿には、『声』ナシで頑張ってもらわなければならない、ということだな」
「でも、それは酷ですよね。座主が一度で見抜いたように、この計画の弱点は音だけ、という点です。その音も使えなくなったら、続行は難しいと思います」
「斎迩の君、怨霊の姿を出したりはできないの?」
膝上から、大姫が聞いてくる。
いやそんな、マジシャンじゃないんだから。というか、この三か月で、いったいわたしはナニモノだと思われるようになったのか。
わたしだって、怨霊の姿を映す方法をいろいろ考えた。
でも、どれだけコンパクトな映写機やプロジェクタを使っても、不自然なのだ。
まず、機械を設置するリスクが高い。スクリーン代わりに土壁とか板戸に映すにしても、映写機から一直線に光が出ていることは隠せない。しかも再生機と違って、映写機にはタイマーがない。映写機に、いなご麿が張りついて操作することになる。
恐怖感を煽るには最適だろうけれど、隠密捜査には向いていない。これ以上、いなご麿の危険を増やすわけにはいかない。
そういうことを踏まえて、
「いなご麿とひき麿を、醍醐寺から引き上げる潮時じゃないでしょうか」
「ふむ……。すでに仏罰は充分だと?」
「いえ、そう言われると微妙ですが……。大僧正の報告を見て、座主を怯えさせたり反省させたりするのは、想像以上に難しいな、と」
座主・勝覚は、現代でいえば、反社会性パーソナリティ障害、ソシオパスに近いと思う。世間の常識に捉われず、他者への興味も関心もない。反省や後悔を感じたことがなく、罪悪感も持たない。しかも、カリスマ性があって、頭がいい。
計画を立てた時点で、座主のモンスターっぷりを甘く見ていたことは否めない。
「脅せるとしたら、左府殿のお邸にいた、霧舟という女房の件でしょうか。彼女の死に、座主は直接関わっているはずです」
左大弁の死の3日後に、令子内親王のお邸に投げ文があった。翌日、千手丸は逮捕されている。
座主に頼まれて霧舟が投げ文をし、その後殺されたのなら、座主には使える人手がなかったはずだ。何らかの手を下している可能性が高い。
「ふむ。内裏では醍醐寺の執事を疑っていたようだが、いなご麿の報告では、執事は座主に心酔しているが、あくまでおべっか使いだと。座主のために手を汚すほどの胆力はないとみているようだな」
「とすると……、あの、例のカツラババさん、でしたっけ。羅生門で髪の毛とか抜いている、あの人に聞いて、霧舟の着物とか見つかると、少なくとも女房失踪事件の証拠にはなるかもしれないですよね……。弱いですけど」
パパ殿も難しい顔をした。
「だいぶ時間も経っているしな……。しかし左府殿の女房なら良い着物を着ていたはず。どこかで売られていた可能性はある。検非違使にも頼んでみよう」
と、一転、にやにやし出して、
「それで? 斎迩の君はその着物を見つけて、どうするつもりかなぁ。それを着て、醍醐寺に侵入するとか? 院も脅した君のことだから、座主なんて赤子の手を捻るようなものか」
「「「えっ?!」」」
「ちょ、ちょっと殿様?!」
「最近の院のしおらしさときたら、内裏でも噂の的だよ。すっかり信心深く、今上にもお優しくなられてね。大僧正がたいへん感謝されていたなぁ」
「え、バラしたんですか、殿様! ていうか、同ざぃ……」
「まさか、僕がそんなこと言うわけないじゃない。大僧正が勝手に推測なさっておられるだけさ。ま、それほど院の変わりようがすごいってこと」
家宰さんとけら男が、まじまじとわたしを見つめ、
「斎迩の君……。院を脅し奉るなんて、いえ、あなたなら何をしてもおかしくはないですが、それでも……。というか、あなた、邸の外では、いったい何をなさってたんです」
深いため息をついた。そんな、珍獣を見るような目をしないでほしい。
だいたい、院御所侵入の件に関しては、パパ殿が主犯ではないか。わたしばかり責められるのは筋違いだ。
パパ殿を睨むと、そっぽを向いて笑いを堪えていた。




