まったく別の、言伝(ことづて)
佐渡に流されることが決まってからも、我が醍醐寺に帰ることは許されなかった。
配流は重刑だ。普通は家族との顔合わせが許される。
我は、母のことは心配していない。座主様がお守りくださるはずだ。
だが、取り調べられる経緯で判明したことや座主様への容疑について、一度はご報告したかった。座主様はまだ警戒が必要だと、ご注進申し上げねば……。
いや、……正直になろう。本音を言えば、最後にもう一度だけ、座主様にお会いしたかった。
もはや取調官も訪れない牢の中で、日にちも分からず鬱々と過ごしていたある日、面会人があった。
取調室で会ったのは、まったく知らない官吏、……、いや、男装した女だった。
――なぜ、女が? なんのために我に?
予想もしなかった事態に、頭に警報が鳴るが、何を警戒すればよいかすら、思いつかない。
「初めまして。あなたが千手丸ね。わたしは、あなたが望む相手に伝言を届けるために、来ました」
「は?」
思わず、素の声を出してしまった。
目の前の女は、自分の性別を隠すつもりはないらしい。いっそ楽しげとも言える笑顔で、はきはきと喋った。
付き添いの近衛士も蔵人も、苦笑はしているが、特に止める素振りもない。この女に全権が任されていることだけは、分かった。
「伝言ですか? 座主様に?」
「あ、醍醐寺の座主様宛ね? いいわよ。他にいるかしら」
遅ればせながら、やっと頭が回り始める。
――しまった。ここは当然、初めに母者を言うべきだった。
そして、理解する。
内裏はまだ、座主様を主犯として捕えることを諦めていないのだ。配流が決まった我が、最後の報復とばかりに座主様を断罪するのを、期待しているのだろう。
――そんな愚かな手に、引っかかるものか。
「もちろん、母にも伝言をお願いしたいのですが……。できれば、母には直接会いたいのです。流罪人は、家族とは面会できると伺ったので……」
「えっ、そうなんですか?!」
女は、背後の近衛士と蔵人を振り返った。
「どうしてお母様に会わせてあげないんですか?! それって人権侵害ですよ、ひどいです!」
我は、呆れて女を見た。
この女は、特に律令、刑法に詳しいわけでもないようだ。
しかも、ジンケシンなんとか、とやらは分からないが、どうも本気で怒っている。
口調も知識も振舞いも、高位の貴族とはとても思えないが、近衛士も蔵人も、この女にまったく太刀打ちできないようだ。
「いや、もちろん、千手丸と母親は会わせる予定だ。だが、時期というものがあって……」
「そうなのだ。千手丸も母親も読み書きができる。誰かに伝言など託されたら……」
あたふたと説明されて、我が座主様に密書を送ることを警戒していたのだと、分かった。
ならば、母に会えるのは、おそらく、佐渡に旅立つ当日だろう。越後までは官吏に連行され、その後佐渡島までの囚人船に乗せられる。そうすれば、密書を届ける隙などない。
だが、女はそんな思惑をばっさりと切った。
「意味ないですね。千手丸と面会した後、お母様の身体検査を厳重にすればいいじゃないですか。そもそも、わたしが今、座主様宛の伝言を預かる、と言ってるんですよ?」
――この女は、阿呆なのか? 我がこの面子の前で、正直に話すとでも?
女は、くるっと我に向き直り、
「聞くところによると、千手丸は、醍醐寺の座主様には深い恩があるそうですね。当然、これまでのお礼など、伝えたいことはあるでしょう。遠慮せず、話してください」
「……はい。座主様には、これまでのお礼と、ご迷惑をおかけしたお詫びを、重々お伝えいただき、」
「あ、そういうんじゃなくて。それだと臨場感がないでしょう。座主様ご本人に話しかけるように、あなたの言葉で話してください」
我の言葉は途中でぶった切られた。
この女は、何様だ。
名のある尼寺の庵主かなにかだろうか……まったくそうは見えないが。いや、しかし、では何に見えるかというと、何者にも見えないのだが……。
男装した女といえば普通は白拍子だが、官吏の格好をする白拍子など、いない。芸事に長けているようにも、遊び女にも見えない。
そもそも、どんな女であれ、宮中で、なぜ、好き放題しているのか。
認めたくはないが、我は混乱していた。
混乱しつつ、口を開いたのは、これを逃せば、どんな形であれ、座主様とつながる機会はないと分かったからだ。
「座主様……、幼きときより、学問と武芸を授かり、これほど深いご恩を賜ったこと、厚く御礼申し上げます。また、座主様の温かい御心、高い仏徳に、どれほど我と我が母が救われましたことか。
我は高慢と強欲により、三宮院の阿闍梨様の申し出に乗って、許されない罪を犯しましたが、母には何の罪もありません。座主様の深いご温情により、我が母の今後をお守りいただけると確信しております。
そういえば、長月(9月)の晦日(月末)に醍醐寺に突然いらした左大様は、あの夜に急にお亡くなりになられたそうです。かなり錯乱して、意味の分からないことをまくし立てておられましたが、どこかご病気だったのでしょうか。世の無常を感じ、御仏のご加護があるように祈っております。
罪人の身ではありますが、我も座主様の元を離れるのは辛く、悲しく、今後どのように生きていけばよいか想像もつきません。座主様のお情けを心の支えに致します。
そして、座主様が御仏の化身としてこの世の迷える衆生を救われること、その光が佐渡にまで届くことを、心よりお待ちしております」
情けないことに、途中から本気で語り出し、言葉も途切れがちになってしまった。が、少なくとも、左大弁があの夜死んだこと、我と座主様がその罪に問われるはずがないことは、お伝えできたと思う。
座主様が宗教界の頂点に立つことは、我に残された唯一の希望だ。座主様の至高のお姿を直接拝見することはもはや叶わないが、目をつむれば、いつでも頭に浮かべられる。
それで、いい。
それが我の喜びだ。
それだけは、どうしても伝えたかった。
唇を噛みしめ、涙をこらえる我に、女は微笑みかけた。
「真情が伝わる、よい伝言でした、千手丸。わたしが責任を持って、醍醐寺の座主様にお届けいたします」
女は聞いていただけだったが、後ろで、近衛士と蔵人が必死で書き取っていた。
――ああ、我の言葉は、座主様に遺される。
自分でも不思議なほど、満たされていた。
牢に放置されていた間、我は、何とかして座主様に警告をお伝えせねば、と思っていた。
だがこの場になって、分かる。
我は、ただ、もう一度だけ、座主様と言葉を交わしたかったのだ。
座主様からのお言葉はいただけない。だがもともと、座主様は多くを語られない方だ。我の話を聞きながら、温かい眼差しを、優しい頷きを、返してくださる。
目の前に座主様がいるかのように話したためか、座主様の微笑みまでが見えるかのようだった。
――この女は、そこまで分かって、あのような話し方をさせたのかも、しれぬな……。
我は、穏やかな気持ちで、目の前の女にも感謝した。




