家庭教師、お仕置きする
久しぶりの休みの日。
向こうでは霜月(11月)に入ったばかりだが、現代はクリスマス商戦まっただ中だ。街に流れるクリスマスソングに微妙に違和感を覚える自分に、苦笑する。
わたしはコタツでぬくぬくしながら、大姫の「指導報告ノート」を読み返していた。
家庭教師の業務の一環として、わたしは、授業後の「指導報告」を提出している。
内容や長さ、形式、頻度などは、相手の家庭の要望に合わせるが、自分用の記録はかなり細かく付けている。
コツは、必ず教えた当日に、記憶が鮮明なうちに書くことだ。
指導内容はもちろんだが、重要なポイントは、生徒さんの反応。どの部分で飽きていたか、どんな雑談にノってきたか、眠そうだったのは疲れのせいか飽きたせいか。分からないとき、質問するのか投げ出すのか、黙ってスルーするタイプなのか、などなど、当日あれっと思った小さなことも記録しておく。
これが、その後の指導に、驚くほど役に立ってくるのだ。
大姫の家庭教師を受けたとき、パパ殿は、そんなもの必要ない、と興味もなさそうだったが、本殿の家宰さんと大輔の君からは、提出するように言われた。
タイムリープ先の家庭教師だけは、毎回、すぐに指導報告を送っている。いつ時空が閉じて行き来できなくなるか、分からないからだ。形式は、もちろんメール。なぜか届いているので、よしとする。
「やっぱり、そうだ……。え、でも、それって……?」
気になっていることがあって、ノートを確認した。疑問は解決したけれど、いっそう引っかかる点が増えてしまった。
データ不足のまま、結論の出ない問題をあーだこーだこねくり回すのは、危険だ。
自分にそう言い訳して、わたしは頭に浮かんだ考えに、フタをした。
そうはいっても人間、すっきり割り切れるものでもない。
悶々としながら、翌日大姫の家庭教師に行ったわたしは、本殿に着いてすぐ、パパ殿につかまった。
そして、悩んでいた気分なんぞは、一瞬で吹っ飛んだ。
「……はい? 今、なんと仰いました?」
笑顔が引きつる。もうこれ、おでこに怒筋、出てるね。
パパ殿が怯えているが、構うことはない。この人、わたしがなぜ怒っているのか、分かってないから、絶対。
「え、えーと、あの、さ、ものすごーく頑張ってみたら、斎迩の君と妻夫になるのも、どうしても無理ってわけでもない、んじゃないかな~、なんて気が……」
ぷちっ。
あ、今、なんか切れたね。なんの音だろ。ていうか、堪忍袋の緖って、どんなモノかな~。緖って紐だよね。袋が破けるんじゃなくて、紐がぶっち切れるんだ。それって相当の力だよね~。
――いやいや、現実逃避してる場合じゃない。
「殿様。大僧正に、きちんとお断りしてくださいと、あれほど! 入念に! セリフまで練習して! お願いしましたよね?! 殿様も、賛成されてましたよね?!」
わたしの剣幕に、パパ殿はずざざざーっと後ずさり、同じ室に控えていた家宰さんを盾にした。
その家宰さんは、肩を落として眉間を揉んでいる。
当然だ。
どこの世界に、こんな失礼極まりないアホな結婚の申し出をするヤツがいるのか。
――そうだよ! これって、わたしの、人生初の、プロポーズだったんじゃ?!
28歳にして人生初のプロポーズが、「ものすごーく頑張ったら、君と結婚するの無理ってわけでもないかも」!
…………。
少しは抱いていた、プロポーズやら結婚やらへの憧れを、返してくれ……。
虚ろな目で天井に向かって力なく笑うわたしに、先ほどとは別の意味で怯えつつも、家宰さんが前に出てきた。いや、パパ殿が背中を押し出したんだけどな。
「さ、斎迩の君、お怒りはごもっとも。あ、いやっ、え~、わが殿におかれては、求愛や求婚などの色事に慣れておられず……」
ふん、だ。
知ってるんだからね。
パパ殿は、大姫を筆頭に、実は、かなりの子だくさんなのだ。が、正式な結婚をしたことも正妻を持ったこともない。全員、本殿のロリロリ美少女ハーレムが相手だからだ。
メンバーには、高位の貴族の娘もいる。ぶっちゃけ、姪っ子までいる。中御門宗忠の娘だ。宗忠とパパ殿は異母兄弟なので、母方の血がつながっていない叔父と姪の婚姻は、この時代ではタブーではない。
それでも、この邸に住んでいるパパ殿の実子は、大姫一人。あとはすべて、母親が子どもを連れて、実家に戻っている。
子どもを産める年齢になったころ、パパ殿はその女性に興味を失くす。そして次の恋人を見つけるのだ。かつて自分も所属していた、本殿のハーレムで。そんな邸に住み続けたいと思う女性がいるだろうか。
要するに、パパ殿は、普通の平安貴族のように、和歌やプレゼントを贈って恋人をゲットし、正式な露顕(結婚披露宴)をやったことがないので、大人の女性に求婚するのが下手くそだ、ということなのである。
「そんなの、言い訳になると思います? ていうか、そこが、わたしが殿様と結婚しない根本的な理由なんですけど」
「は、はぁ。まったく仰るとおりで……」
それでも、冷や汗を拭いながら必死で主をかばう家宰さんを見ていたら、頭が冷えてきた。
家宰さんの後ろでびくびくしている情けなさも含めて、それがパパ殿だ。そもそも、この人と結婚する気は毛頭ないのだから、発言に振り回される必要もない。
まっとうな家宰さんをこれ以上困らせるのも、かわいそうすぎる。
「分かりました。先ほどの殿様のお言葉は、聞かなかったことにいたしますね」
――そう、あれはノーカン! わたしの初プロポーズは、まだだから!
何か言いかけようとしたパパ殿を、家宰さんが慌てて止める。
おおかた、大僧正に断りに行って、逆に丸め込まれたのだろう。場面が目に浮かぶようだ。パパ殿と大僧正では、役者が違いすぎる。
「わたしと殿様が妻夫になるなど、金輪際、あり得ませんもの、ね?」
氷のような笑みを向けると、さすがのパパ殿も口を閉じた。
次に大僧正に会ったとき、パパ殿は、大僧正からもしこたま叱られるだろう。自分でもその未来予想図が見えたようで、青ざめている。いい気味だ。
「殿様は最近、左府殿のお邸の霧舟という女房の行方をお探しになっていたのですよね」
きれいさっぱり、これまでのことはなかったことにして、わたしは話題を変えた。
パパ殿も家宰さんも、目に見えてホッとする。
家宰さんは、政治向きの話と察知して、座を外した。
「あ、ああ、そうなのだ。うむ、なかなかたいへんであった」
食い気味に意味のない発言をするパパ殿も、いったん落ち着いたら、事件の話に集中してきた。
なにせ、令子内親王のお邸に投げ文がされたのは、神無月朔日(10月1日)。霧舟がその直後に殺されたとしたら、すでに一か月が経過している。
千手丸の蜂泥棒のときのようにモンタージュがあるわけでもないし、足取りをたどるのも、簡単ではなかっただろう。
「だけど、検非違使と僕が聞きこみをしたところ、羅生門の辺りに住まうカツラババが、心当たりがあると。カツラババに尋ねる、というのは斎迩の君の考えだそうだな。みな、感心してたよ」
パパ殿が、さっきの余波のせいか、一生懸命わたしを持ちあげる。
わたしは芥川龍之介の『羅生門』を思い出しただけだ。あの小説には、カツラにして売るために、死人の髪の毛を抜く老人が出てくる。
カツラババというのは、そういう人達の元締めのようなお婆さんらしい。
霧舟と思われる女性の遺体は、都の南東の外れ、現在の東山区の鴨川に捨ててあったそうだ。
「盗まれたか、もともとはぎ取られていたか、着物はなかったらしい。だが、手も足も白くて荒れておらぬし、髪の毛も手入れが行き届いていてキレイだった、と。また、はふにの白粉を塗っていたので、とても庶民とは思えなくて、よく覚えていたらしい」
なるほど。女性ならではの視点だ。
「だが、重要なのは、捨てられていた場所だ。東山は都の南東、そしてさらにその先に、醍醐寺がある。もし人目を避けて、都の近くまで死体を運んできたのなら、ちょうどあの辺りになるだろうな」
今でこそ東山は観光の一大名所だが、それは室町時代に銀閣寺ができてからだ。正式名称、東山慈照寺。政治に疲れた足利義政は、適度に都から離れているものの、都が一望できるこの一帯を選んで、開拓した。義政が別荘を建てるまで、何もないド田舎だったのだ。
そして、都と醍醐寺のちょうど中間に、山科がある。パパ殿の料地と牧場があるところだ。千手丸は、土地勘のある場所で、蜂を探したのだろう。
「その頃、霧舟がお使いに外出したことはない。だが、神無月に入る前、霧舟がうきうきと次の休みを楽しみにしていた、と女房仲間が話していた。もしも、醍醐寺の勝覚に呼び出されたのなら、話が通る」
「お休み明けに霧舟が戻ってこないことについて、左府殿のお邸ではどう思っていたんでしょう」
「それが用意周到でな。たしかに霧舟の手蹟で、家族が病いになったのでしばらく休みを延ばしてほしい、と文が来たそうだ。主人の了承も得ず、一方的な申し出だから、みな不愉快に思ったようだが、帰ってこないことについては、不思議に思わなかった。……その文使いを頼まれたのも、醍醐の物売りだった」
これは、もう、勝覚、有罪確実じゃない?
勝覚は、醍醐寺の座主という責任ある地位に就いている。めったに寺を離れられないし、千手丸も使えなくては、秘密の手駒がいたにしても、動きにくかったはずだ。物売りを頼ったり、醍醐寺周辺でなんとか事を済ませたのだろう。
「でも、……傍証ばかりですね」
現代なら、証拠不十分で不起訴になるレベルだ。
パパ殿も、難しい顔でうなずいた。
「そうだな。それに、なんとか罪に問えそうなのは、あくまで霧舟の行方不明までだ。霧舟に投げ文を書かせたとか、さらには、今上暗殺未遂に関わっていたとかまでは、つなげられない」
勝覚と、仁覚や左大弁とをつなぐ糸は、手繰れない。注意深く、糸は切られている。
「悔しいですね。唯一の糸が、千手丸なのに、彼は勝覚を庇い続けている」
「実行犯の証言は重いからなぁ」
実際、取調官のなかにも、千手丸の自白が正しくて、仁覚は弟を陥れようとしているのでは、と考えている者もいるらしい。
千手丸は、そうとう知能が高いようで、尋問の意図を読み切っている。また、さすが勝覚の弟子というか、人心掌握も得意で、取調官が心理戦を仕掛けられて、ハマることもあったそうだ。
「また、仁覚殿も、いかにも弟を道連れにしそうな、お方だからさ。千手丸の証言、説得力があるんだよね」
とパパ殿は肩をすくめた。
「以前も言ったけれど、内裏では、これで幕引きにしたい雰囲気なんだ。左府殿もお気の毒だし、主犯を2人もスピード逮捕した。もう充分だろうってね、……なにより、院が、これ以上の捜査をお望みでないし」
「う、うーん、それって、少しはわたし達の責任でもあります、よね」
「大僧正なんか、怒り爆発で、なだめるのがたいへんなんだよ」
そこで、パパ殿は、自分も大僧正から怒られることを思い出したようだ。一気に顔色が悪くなる。
わたしは知らんふりして、考えた。
現代で調べても、「永久の変」の犯人は、仁覚と千手丸の2人だ。つまり、勝覚は、このまま法の網を逃げ切る可能性が高い。
「それなら、せめて、お仕置きしてやりませんか、勝覚殿に」
白河院を脅せたのも、現世の病気の恐怖と、来世への不安だった。
「坊さん相手に、物の怪を方便に使って、こってり恐怖を味わってもらいましょう」
「さ、斎迩の君。なんか、目が据わってるけど……」
「殿様、大僧正を味方に引き入れていただけませんか。僧侶のことに詳しい人が必要です。あと、わたしを、千手丸に会わせてください」
「そんなムチャな! 千手丸に訊きたいことがあるなら、僕が聞いてくるけど? それに、大僧正って……」
「いえ、わたしが千手丸と直接会わないと、仕込みができないんです。それに、大僧正は、勝覚殿を罪に問えそうになくて、イライラしているんですよね。仲間に入れて計画に忙しくなったら、殿様も、いろいろと、怒りの矛先を逸らしやすくなると思いますよ?」
一も二もなく、パパ殿は、何度も頷いた。




