家庭教師、応援する
大姫と先師のお方は、池のほとりで火に当たっていた。
といっても、焚き火ではない。大型の火鉢が据え置かれ、上に網を乗せて、銀杏を炙っている。何人掛かりかで運んできたのだろうけれど、どえらく重かっただろう。
そろそろ銀杏も終わりの頃だ。大した数はなかったが、大姫は銀杏拾いは初めてだったようで、頬を真っ赤にして楽しそうだ。
周囲を大勢の女房達が囲んでいて、聞くともなしに、お方様と大姫との会話が流れてくる。
「……貴族の体面というものは、扱いが難しいのですよ、大姫様」
「扱い、ですか?」
「ええ。身分の高いお方ほど、なんでも許されると思いがちです。ですが、ご身分が高いからこそ、逆に許されないことも多くなるものですよ」
大姫が何か訊いたようだ。お方様が、ため息のような笑い声を洩らした。
「先師の殿も、もしも左府殿のご長男でなければ、もっと自由に致仕(宮廷の出仕を辞任すること)できたでしょう。あの方は、……本当は、学問がお好きで、人とのお付き合いは苦手なのです。もう少し下位の貴族に生まれていれば、ひとつの分野で学者になれたでしょう。そちらの方が、殿にはお幸せだったかもしれませんね。でもそれは、左府の嫡男には、許されないことです」
「それでは、今上も、ご不自由なのですか?」
お方様が言葉に詰まった。
院政の現実を知った今では、わたしも答えに困る質問だ。
たしかに、現在の鳥羽帝ほど不自由かつ不本意な帝もめずらしい。が、それは身分の上下ではなく、あくまでも祖父である白河院が原因である。
「……今上は、まだ治天の君ではあらせられませんから……。でも、大きな責任を負っておいでですね」
答えにならないお方様に、わたしは助け船を出すことにした。周囲の人の輪をかき分けて、大姫の近くまで行く。
「国の最上位の方というのは、ほとんどの場合、とても不自由な立場なのですよ、大姫様」
「あら、斎迩の君。見て! 銀杏を焼いているの。皮も、わたくしが自分で剥いたのよ」
「え。皮剥きのとき、手ににおいがつきませんでしたか」
「大丈夫よ。ちゃんと、銀杏用の手覆いがあったの。それをお借りしたわ。……それで斎迩の君、続きは?」
「身分と体面のお話ですね。あるとき、ある国の皇后様が蚤の色をお気に召して、その色のドレス……、着物を流行らせたそうです。宮中でも最初は驚いていたけれど、なにせみんなが皇后様の真似をするので、国中の着物の色が蚤の色になって、蚤の腹色とか蚤の頭色とか、新しい染めができて、蚤色を着ていないとオシャレではない、と言われたとか。身分が高いと、そういう突拍子もないことも、できちゃうんですね」
あるときある国、も何も、これから600年以上未来の、フランスの話なのだが。
「蚤? あの、ぴょんぴょん跳ねる蚤のこと? わたくしだって蚤のお腹の色なんて観察したことないわ!」
声を上げて笑う大姫に、周りの女房達もくすくすと笑いあう。お方様は、少し顔をしかめた。
「なんだか、かゆくなりそうなお話ですわね、斎迩の君」
「これには続きがあるんです、お方様。結局、その帝と皇后様の時代に、民を蔑にしたということで、その国はいったん亡びました」
平安貴族にフランス革命の理念が分かるとも思えないので、ものすごくざっくり説明しておく。
笑いさざめいていた女房達も、静かになった。
「高位の方は、やろうと思えば好き勝手できますけれど、相応の報いはある、ということですね。でも大姫様にとって大切なのは、突飛な格好をするには、皇后様くらいの身分が必要、という点ですよ?」
「なぁに、結局それが言いたかったのね! お方様、斎迩の君はいっつもこうなんです。おもしろいお話をしてくれてから、ちらっとわたくしにお説教するんですもの」
大姫がぷーっと膨れる。
でもお方様は、わたしが今上から話を逸らしたことを理解して、微笑んだ。
「大丈夫、今日の大姫様は、どこに出ても恥ずかしくない貴婦人ですよ。藤の少から聞いてはいましたが、こんなにかわいらしい姫君になるなんて、嬉しい驚きですわ。大姫の努力と、皆さんのご協力の賜物ですね」
膨れていた大姫は、ぱぁっと赤くなって、俯いた。大姫なりに、お方様の評価は気になっていたのだろう。
「あ、ありがとう、ございます……」
小さく呟く大姫を優しく見つめながら、お方様は改めて大姫の州浜を誉めた。
火鉢を囲んで和気藹々と話していたが、いかんせん、寒い。銀杏も、パチパチいいはじめた。銀杏は、焼き上がりに爆ぜると、けっこう危ない。
誰か男手は、と見まわしたら、ちょうどけら男と目が合った。
「お方様、大姫様。院の執事が、庫裏(寺の台所)でぜんざいを作ったそうです。いったん室内にお入りいただけますか」
今日のけら男は、下男の格好ではなく、父親の家宰の直衣を着ている。
「おぜんざい、嬉しいわ! あ、でも、銀杏が……」
大姫の言葉と同時に、ひき麿、いなご麿、雨彦がすっと現れた。手覆いを付けて、銀杏を皿に移す。無言のまま、火鉢を運んで行った。
るんるん、という感じで、方丈に向かう大姫の後ろで、こっそりお方様が話しかけてくる。
「あの下男達も、ずいぶんしっかりしてきたようですわね」
「大姫様のご成長に伴って、彼らにもそれぞれ自覚が出てきたようです。全員が望む道に行けるといいのですが」
「あら? みな、速足殿のお邸の家人になるのではないのですか」
「一人、あの体の大きい子は、相撲士になりたがっていますが、方法が分からなくて、困っているんです」
「ああ、相撲は神社の管轄ですものね……。よい折ですから、大僧正にお願いしてみたらいかがかしら?」
方丈には、湯気ほかほかのぜんざいが人数分、用意されていた。
小豆のぜんざいに、薄い黄色の粟餅が乗っている。
「これ、さっきの銀杏も乗せたら美味しいですよね」
「なに、銀杏を焼いとったのか。それはいただきたいの」
うっかり口走ったら、大僧正が乗り気になったので、先ほど大姫が焼いた銀杏がうやうやしく運ばれてきた。大した数がなかったので、大僧正とお方様、あとは身分順に回された。
「わたくしも! 入れてちょうだい!」
大輔の君がそっとたしなめた。
「大姫様。焼いた銀杏は、少し苦いです。大姫様のお気に召さないのでは……」
「え、でも、わたくしが焼いたのに……」
塩さえ振っていない、焼いただけの銀杏だ。子どもには苦味がきついと思うが、自分が調理(?)したモノを食べたい気持ちも分かるので、わたしのお椀の銀杏を、大姫に譲った。
「大姫様。苦かったら、私に戻してください」
そんなわたし達を見て、大僧正がお方様に、
「どうじゃの、先師の方。このふたり、本物の母娘にさせようかと思っとるのじゃが」
懲りずに、結婚話を持ち出していた。
お方様は、あからさまに反対はしないが、微妙な顔をしている。パパ殿の女性の好みを知っていれば、誰でもそういう反応になると思う。
張り切っている大僧正が、変なのだ。
わたしは大僧正の熱弁を、かまわず途中でぶった切った。
「大僧正。あの、相撲士になるには、どのようにしたらいいのでしょうか。どこで修業などするのですか」
土間では、ボーイズの3人が固まってぜんざいを食べていたが、ぴたっと止まって聞き耳を立てている。大姫もけら男も、真剣な顔を向けた。
唐突な話題に、大僧正は目をぱちぱちさせたが、
「相撲か? う、む。実技試験を受けて、神祇官から寺社に派遣される、のがよいかのう。各寺社で個別に雇い入れる場合もあるが。なんじゃ、相撲士になりたい者がおるのか」
大姫もチャンスだと分かったのだろう、声を上げた。
「はい、大僧正様。わたくしの従者なのです。ひき麿、立って」
ひき麿がのっそり立ち上がる。彼はずんずん背が伸びて、もう180cm近い。横幅も大きいので、ひき麿が立ち上がると、周りの下男や僧侶達がざわめいた。
「ほおほお。よい身体つきじゃのぅ。相撲はどうじゃ、やったことあるのか」
「は、はい。殿様のお邸で、少しは……」
「その体じゃ、敵はおらんじゃろ。訓練にならんの」
「あ~、はい。そ、それで、困っています」
大きな体を丸めるようにして答えるひき麿に、大僧正が笑いかけた。
「この三宮院なら、拙僧の推薦で入れると思うがの」
「「「「えっ」」」」
ボーイズと大姫が声を揃える。
「三宮院は皇族の寺院じゃ。年中行事の一環として、相撲も行われておる。しばらくは拙僧が責任者じゃからの、それくらいの融通は利かせられるわ。どうじゃの、執事殿」
執事は、もともとは寺の事務長のことだ。明治時代に英語の「バトラー」が「執事」と翻訳されたので、家宰と同じ意味になったけれど、本来は、仏教用語である。
「もちろん異論などございませんとも。今上と大僧正の大徳をもって当寺はお咎めなし、しかも予算はこれまで通り、という、ありがたい思し召しで。むしろ、前の阿闍梨様が使われていた金子の額を考えますと、力士のひとりやふたり増えても、まだ収支がつきます」
揉み手の幻が見えそうなほど調子がよくて、執事というより、商家の番頭のような坊さんである。どんな罰を受けるかと怯えていた反動で、喜びも大きいのだろう。
当然、この場面で、大僧正と中御門家に、小さくても貸しを作る有利さも計算しているはずだ。
ひき麿が望めば、ほぼ、本決まりである。
「あ、あの、オイラ、いえ、お、大姫様とお殿様にご相談します。もしお許しがいただければ、修業させてください!」
降ってわいた修業先に、ひき麿は顔を真っ赤にして答えた。ぐぐっと握った拳が、震えている。
「おお、気持ちが決まったなら、速足から拙僧に伝えてくれればよい。ゆっくり考えるとよいぞ」
「あ、ありがとうございます!」
ひき麿が勢いよくお辞儀すると、ぶんっと風が鳴った。いなご麿と雨彦が、ひき麿の肩を叩いたり腕を握ったりしている。3人とも、嬉しそうだ。
ふと見ると、けら男が、板の間の上から、そんな3人を見つめていた。口の端に笑みが浮かんでいるが、少し寂しそうだ。今の立場では、彼は、仲間と共に喜べない。
そんなけら男を、大姫もじっと見ていた。
その隙に、わたしはお方様の袖をそっと引いた。
なにげなく膝立ちで、輪から外れ、部屋の隅の几帳の陰に行く。わたしもお従き女房のように、付いて行った。
「すみません、お方様。余計なお世話とは思うのですが、これをお渡ししたくて……」
几帳の陰で、わたしは懐から料紙を取り出した。
――あしひきの山深くすむみみづくは 世のうき事をきかじとや思ふ
――螽斯いたくな鳴きそ秋の夜の ながき思ひは我ぞまされる
――松虫も鳴きやみぬなり秋の野に 誰よぶとてか花見にも来む
この3首は、お方様応援ソングだ。
この時代に存在している歌ばかり選んだ。最初の歌は、土御門院、藤原道長。2首目は古今和歌集からで、最後の歌は伊勢。古今にも出てくる、伝説の女性歌人である。
みみづくは、賢さの象徴だ。天下の賢者といわれた先師の殿を喩えてみた。「山奥に住んでいたら、世の中のツライことを聞かないで済むのだろうか」
隠遁生活を送っていても、先師の殿は今回の事件に巻き込まれたのだ。世の中の憂事から逃れられる方法なんてないと、腹を据えてほしい、お方様のためにも。
螽斯とマツムシは、お方様の喩えだ。
みみづくもツライけど、長く待っている身もツライですね、と、お方様を慰めたかった。
もちろん、先師の殿は、心底悩んでいるのだろう。大僧正も、不器用で依怙地と言っていた。自分でもどうしたらいいか分からなくて引きこもっているのだろうけれど、お方様だって、そんな先師殿をずっと間近で見続け、自分にできることがないか、悩み続けてきたのだ。
その立場も、けっこうツライと思う。
さらに、離縁された、ということは、お方様が先師の殿の役に立たなかった、と烙印を押されたようなものだ。
お方様の内面のショックは計り知れない。
だから最後の歌は、ちょっとだけ、背中を押してみた。
「ひたすら待っていたマツムシも、待つだけはもうやめて、花見にでも来ませんか、と誘ってみたら? もしくは、自分から行ってみたら?」
余計なお世話なのは、重々承知だ。お節介おばさんも甚だしい。
それでも、お方様本人の気持ちがまだ先師の殿にあるなら、応援したかった。
「ご夫婦の問題なので、他人が口を出すのもどうかと、分かってはいるんですが……。わたしが、お方様を応援していることだけでも、お知らせしたかったんです」
まったく表情が動かないお方様の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
ほんの、2、3粒。
それで、涙は消えた。化粧も落ちておらず、目も赤くなっていない。泣いた事実など、存在しないようだった。
お方様が、これまでどれほど精神的な修羅場を耐えてきたか、よく分かる姿だった。
「ありがとう、斎迩の君。あなたが大姫の師で、よかった。お知り合いになれて、本当に嬉しく思っています」
そして、無表情が崩れた。泣き笑いの顔になりながら、お方様は、晴れ晴れと言った。
「そうね。もうマツムシでいるのも飽きたわ。これからは私の好きなように、先師殿にお会いすることにします」
「そ、そうですよ、お方様! 返事がないのは全部、お方様の好きに解釈しちゃえばいいんです! お方様のペースで、元サヤに戻ってください!」
小さくガッツポーズしたわたしの手を、お方様の手が包み込んだ。




