家庭教師、脅迫する
……本当かなあ。
わたしが疑ぐり深いだけだろうか。でも海千山千の政治家が、しゃらっと自白するとも思えない。
えーと、何か使える物、ないかしら。ごそごそと巾着袋をあさる。もうねずみ花火も使い切っちゃったし、手持ちの物でハッタリをかますしかない。
わたしは虫よけスプレーを、おもむろにしゅっと院の顔に向けて、噴きかけた。
「な、何をすっ、げほげほっ」
「ふっふっふっふ。これは遠い異国の毒薬じゃ。吸ったな? これを浴びた者は、全身が赤く腫れ上がり毛穴から血を垂れ流し、かゆみと痛みに泣き叫びながら、死に至るのじゃ~。そのうえ、死後も祟り続け、極楽浄土には決して行けぬ。永久に煉獄で責め苦を受けるという、優れものなのじゃ、ぞ?」
なるべく悪役口調で恐ろしげに言いたかったのだけれど、途中で挫けた。パパ殿が、肩を震わせている。
が、院は、そんな様子に気づく余裕もなかった。
うん、やっぱりこの時代の人には、現世の恐怖と来世の絶望のセットが効くね。
ほとんど白目を剥いて、口をパクパクさせている院に、わたしは巾着袋から茶色い小瓶を取り出して、見せる。
「だがしか~し! ここにただ一つの解毒薬があるのじゃ。本当のことを言えば、この薬をやろう」
必死で手を伸ばす院から、小瓶を遠ざける。
「嘘をつけば、わたしには、すぐに分かるのじゃ。心して答えよ。――暗殺計画を知っていたのか」
「知らぬ。本当じゃ!」
「では、前の左大弁とも三宮院とも、なんの連絡も取っていないのだな」
沈黙が返ってきた。
虫よけスプレーを宙に向けて、しゅっとひと噴きする。
「ひっ! じゅ、呪詛が為された時、寺男が文を伝えてきた。呪詛を止めてほしくば、禅譲を早めよと!」
院が悲鳴を上げる。その後ろで、パパ殿が息を飲んだ。
寺男は、千手丸だろう。とすると、
「その文の差出人は」
「前の左大弁と、三宮院、阿闍梨、仁覚」
実行犯と、黒幕、ということ?
今のところ、醍醐寺座主は、まったく表に出ていない。
これまでの経緯で、関係ないわけがないと思うんだけど、ここで尋問を止めるわけにいかないし、先に進む。
「なぜ二人を捕えなかったのか。自分でやらずとも、近衛府に訴えてもよかったはず」
「呪詛ごときに、院たる儂が屈してはならぬ。院御所で、高僧を集めて、呪詛返しを祈祷させておった。実際、呪詛が返されたから、今上には何事もなかったのじゃ」
えーと、この時代では、この対応って、正しいのか? 呪詛を信じているなら、呪詛返しの術も、当然、信じられているはずで……。
いやでも、人情として、脅迫されたら、今上の身が心配だよね?
ダメだ、わたしには判断できない。でも。
「呪詛返しが成功したら、次は直接、今上を害する手段に出るとは思わなかったのか」
実際、彼らは暗殺という手段に移った。院が、それをまったく予想しなかったとは思えない。
院は、目を伏せた。座布団を握りしめた拳が震えている。
わたしは虫よけスプレーを、院の目の前に突き出した。
「ひいっ。あ、頭をかすめた! が、内裏は強力に守られておる! 要求は禅譲だったのじゃぞ、まさか殺そうとするとは思わなんだ! 蔵人や滝口の怠慢じゃろうが! 今上も、少し怪我をするくらいなら、かえって儂の言うことを聞くようになるだろうと思ったのじゃ!」
つまり、襲撃の危険性に気づいていたのに、放置したのだ。
この、人でなしジジイ……。
頭に血がのぼりすぎて、一瞬くらっとした。
「それで、暗殺に失敗した後、口止めのために、左大弁を殺したってわけ?」
「ち、違う! なぜ、儂が左大弁を殺すのじゃ! そのような事は思いつきもしなかった!」
バカのひとつ覚えのように、虫よけスプレーを掲げかけたら、パパ殿に手を押さえられた。
「この状況で、この一点だけ嘘をつくとも思えない。それに、院が口止めをする、必要性がない」
「そ、そうじゃ! もともと儂が政務を行っているのじゃぞ。もはや儂の手元には、前の左大弁らの文もあるのじゃ、わざわざ殺す必要などない!」
「輔仁親王は?」
「知らぬ。儂は出家して以来、あの義弟には会うておらぬ。が、計画自体、知らされていなかったと思う。今上が身罷られていたら、担ぎ出されたのではないか。あれは、政治に向いておらぬ。そのような能力も関心もない。それは、仁覚がもっともよく分かっておるはずじゃ」
パパ殿と同じタイプなのかしら。わたし、輔仁親王とは友達になれそうな気がするよ。
パパ殿の顔を、見た。
もともとこの襲撃は、パパ殿の計画だ。彼の用が済めば、引き上げるのみである。
パパ殿は頷いて、院の背後で、刀を収めた。
院の前に移動し、片膝をついて、頭を下げる。
「ご無礼を致しました。先帝の近習として、いえ、幼馴染としての、臣の願いを、最後にひとつ、お聞き届けいただきたい」
今回の事件が明るみに出るのは、これからだ。今上の体調が戻っても、実質的に刑罰を決めるのは、院である。
首謀者の何名かは仕方がないとしても、できるだけ温情のある裁きにしてもらいたい。
輔仁親王や左府の家族にまで、連座が及ばないようにしてほしい。
実際、いちばんの実行犯は、すでに死んでいるのだ。
「願いも何も、儂に拒否できるわけがなかろう」
「そうですね。先ほどのお話は、すべて、院のお声の言霊とともに、この筒の中に閉じ込めておきました。院がお考えを変えるようなら、これを近衛府長官に、うっかり、聞かせてしまうかもしれません」
にっこり笑って、わたしはICレコーダーを見せた。
「そ、それは、今上のお声を込めていた、あの技か? 誰にも余計なことは言わぬ! できるだけ、罪人は減らす!」
「そうしてください。――院、あなたは、どうしてそんなに、親政に反対なのですか? 本来、政は、帝の領分でしょう」
ふと思いついた質問だったが、院の反応は、激烈だった。
「好きで、院政などしておると思うのか! 儂は、早う引退したかった。もともと、政は嫌いじゃった。白拍子や催馬楽、歌会、蹴鞠の会、さっさと隠居して、遊び三昧を楽しみにしておったのじゃ!」
この時ばかりは、虫よけスプレーの恐怖も、吹っ飛んだようだ。
「先帝は、子どもの頃からよく出来た息子じゃったよ。儂は、あの子にすべてを任せる日を、指折り数えとった。だが、儂の父君は、東宮は輔仁親王に、と言う。宮中も半分に割れた。義弟本人は嫌がっておったのにな、皮肉なものよ。これ以上、反対勢力を押さえられなくなって、儂は急きょ禅譲し、あの子を帝位に就けたのじゃ。まだ8歳じゃった。政は、儂が見るしかなかった」
パパ殿が、得心したように、頷いた。
「そういえば、先帝が元服なされてからは、院はまったく内裏にいらっしゃいませんでしたね」
「当たり前じゃ。政は帝がやればよい。ようやっと、待ち望んだ楽隠居生活が来たのじゃぞ。儂は、あの頃、本当に楽しかった」
遊び三昧、男色三昧、ゴホゴホ、だったわけね。
「あの子は賢王と称えられ、親孝行でもあり、何の不満もなかった。あの愚かな関白が就くまでは、な」
「確かに、あの関白殿は、お人柄も政治的な能力も、いかがなものかと思われました」
「そうじゃろう!? そなたも、そう思うじゃろう。あの頃、先帝の周りにおる者は、皆、危惧しておったものよ」
パパ殿が特定の人を悪く言うのは、この関白、現在の摂政についてだけだ。それにしても、この人に「政治的能力がない」と判断されるなんて、どんだけダメダメな摂政関白なのだろうか。
賛同者を得て、院は嬉しそうに、哀れっぽい声を出す。
「ほとんど同時に、先帝が御病になられた。今上はまだ赤子。またぞろ、輔仁親王を、という一派が騒ぎ始めたので、急いで東宮に立てたのじゃ。だが、政は、儂が見るしかなくなった」
う~ん。
そうやって、院政は始まっちゃったのか。
結局のところ、院の、「自分の血筋に帝位を継がせたい」という執着のせいである。
自業自得という気が、しないでもない。
政がキライとかぬかしているけれど、権力は好きなんだろうな、このおっさんは。
不幸中の幸いは、院が、遊び人のわりに、政治的能力に恵まれていたことだ。彼は、3代に渡って執政し、院政を確固たるものにした。
それはこの後、歴史を変えるターニングポイントになるのだけれど、治世が安定していたこと、そのため文化芸術が盛んになったことは、間違いない。
まあ、何事も、ほどほどにね。
やり切った感で、わたしは立ち上がった。パパ殿も無言で、お辞儀をする。
「じゃっ、引き上げるとしますか」
「ま、待て!」
「はい?」
「く、薬! 解毒剤を、くれっ」
あ。すっかり忘れていた。
その場しのぎのでたらめだったので、頭から抜け落ちていたけれど、院にしてみれば、そりゃ必死である。
茶色の小瓶を渡すと、一気に飲み干した。
「げっほげほっ、ごほっ。おお……、何やら高貴な、甘き苦み……、これで、儂は助かるのじゃな?!」
「はい。お体には別状ありません」
保証して、そのまま、スタンガンを押し当てた。
バチッ!
崩れ落ちる院を、パパ殿が、丁寧に御座所に寝かせる。
殿舎を出て、ロケット花火を立て、火を点けておいた。
派手に花火が上がって、院の居場所を北面達に知らせてくれるだろう。
茶色い小瓶の中身は、強力栄養ドリンク、ユン○ル黄帝液である。
院は今晩、心身ともにストレスフルで、最後にスタンガンまで当てられたけれど、これでプラマイゼロになったらいいな、と思う。おもに、わたしの罪悪感を減らす意味で。
どんだけ寝ていても、虫には刺されないだろうしね。
でも、結局。
「勝覚の関与は、実証できませんでしたね。……それに、前の左大弁を殺したのは、誰なんでしょうか」
「さて。案外、本当に、祟りかもしれないな」
夜道を走りながら、パパ殿は、静かに言った。




