家庭教師、威圧する
院の案内で、そこから二つほど離れた殿舎の座敷に落ち着いた。見たところ、院のプライベートな部屋のようだ。
板戸は閉め切ったまま、懐中電灯を照らす。眩しい光にいちいち「ひえっ」と怯える院を御座所に座らせ、灯明にライターで火を点ける。
「そ、そなてゃは……、陰陽師か打ち伏しの巫女か。あの声は、……あれは、今上の生霊か。そなた、今上の魂魄を切り離したのか」
パパ殿に対してはわりと落ち着いた態度だった院は、わたしにはあからさまに怯えた。「そなてゃ」って、噛んでるし。
そうだよねぇ。物の怪扱いされて腹が立ったけれど、この時代の人々は、呪いも祟りも呪術も物の怪も、信じているのだ。
蔵人も北面の武士も、武力と呪術、両面の護衛なのである。弦打もそうだが、「呪い返しの術」なども彼らの業務だ。ちゃんと教科書もあって、訓練もする。どうやるんだろう……、見てみたい。
ねずみ花火はともかく、スタンガンとかICレコーダーとかバル○ンの説明ができるわけがないので、せいぜい凄腕の呪術師に見えるように、にたあっと笑っておいた。
「ひ、ひいいいいいっ」
サービス精神を発揮したのに、院は、御座所に丸まってがたがた震え出してしまった。失礼な。
「やりすぎだ。これ以上怯えられたら、口がきけなくなってしまわれる」
そっとパパ殿から窘められる。
――くっ、まさかパパ殿から、まるで非常識な人のように、諭されるなんて……。
なんだか遠い目をしたくなったわたしを放っておいて、パパ殿は、今上暗殺未遂の真相を問い始めた。
すかさず、わたしはICレコーダーで録音する。役に立つかは分からないけれど、保険は取っておいた方がいい。
「ち、違う、濡れ衣だ。儂は、今上を弑せなどと言ったことはない……ほ、本当だ!」
涙目でちらちらわたしを窺いながら、院は叫んだ。
「院ともあろう御方が、そんなあからさまな仰りようをなさるはずがないでしょう。何を餌に、どう唆したのです」
なるほど。いつの世も、権力の中枢の政治家ってのは、仄めかすだけなのね。周りの者が、真意を「忖度」して動くってことか。ふーん。
つい冷めた目で見てしまったら、びくっと飛び上がった。本当に座布団から浮いたよ、このおっさん。
「そ、唆してなどおらぬ。儂は……っ、あと5年、今上の様子を見て、宜しからぬようなら、然るべき者に譲位させる、と、申した、だけだ」
以前にも聞いたことだけれど、院は、今上の摂政が気に入らなかった。
実際に政治を執るほどの力はないのに、権力の中枢に居ることを好む俗物、と。
うーん、この院に俗物呼ばわりされるとは、ホント、どんな摂政なのか。
院は、今上を見て、あと5年待とうと思ったらしい。
既に結婚相手も決まっている。15歳になってもまだ親政とかごたごた言うようだったら、もう子どももできているはずだし、さっさと禅譲させ出家させて、その子、自分にとっての曾孫を帝位に就けて、自分が院政を続けるつもりだった。
――え、でも。この話のどこに、輔仁親王が出てくるのか。
「勘違いさせたままにしておいたのですね、前の左大弁に。『然るべき者』とは、輔仁親王だと」
「ま、待て。儂は、前の左大弁などいう者には、会うたこともない。わ、儂が、茶飲み話をしたのは、三宮院阿闍梨の仁覚じゃ。勝手にあの者が勘違いしおったのだ。自分の都合のいいようにな」
正直なところ、院は、輔仁親王のことなど、思い出しもしなかったらしい。院にとって、「然るべき者」とはあくまでも、自分の血統の子である。
これからの5年で、今上に皇子が生まれ、その皇子が東宮に就けば、仁覚の勘違いも自然に正されるだろう。そう考えたので、放置していた。
「それなのに、あの者、先走りおったのじゃ。どうせ5年後に譲位されるなら、今でもよかろう、とな」
――今上は、儂にとっても最初の孫じゃ。殺そうとなど、考えたこともない。
そう呟いた院の気持ちも、嘘ではないだろう。
それでも、わたしはブチ切れた。
どの面さげて、被害者祖父さんぶりっ子しているのか。
別にこのおっさんは、孫が帝にふさわしいのか、為政者として厳しい目で見て、涙を飲んで決断した、というわけではない。
なんか自分の気に入らないことを言い始めた10歳のお子ちゃまを、「そんな子はもういらないもんね」と放り出しただけだ。
血筋だの家系だのにこだわるくせに、このおっさんは、家族を自分の駒としか思っていない。
院にとっては、血統も政治も家族も、自分の思いどおりになるもの、それだけなのだ。
「……10歳の子どもにだって、自分の意志ってもんがあるんですよ。あなたはそれ、一回でもちゃんと聞いてみたことあるんですか」
怒りのあまり、えらくドスの利いた声が出た。
「あの子は、摂政に吹き込まれた事を、考えなしに口に上せているだけだ! そんな精神の弱い者が、帝位にふさわしいわけなかろう!」
顔面を蒼くしたり白くしたりしながら、院は叫んだ。
「ふざけんな! 世の中には他の考え方もあるって、あんた以外の誰が教えるのよ!」
ちょっと育ちの悪い植物の芽を摘むように、孫を切り捨てたのだ。
「違う……。違う! あの子の父親もそうだった。あれらには悪い血が流れているのだ。きっと母親が悪かったのだ……、儂の期待を、二人続けて裏切りおってっ」
――あ、こいつ、ダメだ。
唐突に、スコーンと抜けた。
家庭教師になって、子どもを自分のアクセサリーのように思っている毒親を何度も見た。彼らは、自分が子どもにとってどれほど害になっているか、気づかない。自分の気に入るように子どもが育たないと、周囲に責任をなすりつけ、自分の非を決して認めない。どんなアドバイスもカウンセリングも聞かない。
まさかの毒祖父か。
歳食ってる分、こいつの人格矯正はもう無理。ていうか、わたしの責任範囲外である。
パパ殿が、ぐっと鞘を握りしめた。
「――では、やはり先帝の御病も、本当は……っ」
その絶望的な声音に、わたしも院もぎょっとした。
「いや、な、なななな何を言うておるのだ、先帝は本物の御病で身罷られたのだ! 先帝が平癒されることを最も望んでいたのは、この儂ぞ! どれだけ長う祈祷し続けたか、どれほどの薬をかき集めたことか!」
「存じております」
食いしばった歯の隙間から、呟きが洩れる。
ふと、院が我に返って、パパ殿をまじまじと見た。
「そなた……。北家中御門家総領の二男か」
「いかにも。先の帝お側近くに仕えておりました。笛宋、速足の蔵人、といえばお分かりあるか」
ええっ、パパ殿、この状況で、院に名乗っちゃうの?!
それに、中御門家総領って! 藤原一族のなかでも五摂家に入る名門である。いくらなんでも、パパ殿、それで五位じゃあ、ほかに示しがつかなすぎだよ!
「おお、先帝の幼馴染、近習だった者か。覚えておる。なかなか見所あると思うておったが、このような無礼を働くとはの。先帝が嘆かれるであろう。あれは親思いの子じゃったから」
このおっさんのセリフ、いちいちムカつくな~。
身分社会の権化のせいか、院は、パパ殿と話し始めると、いきなり態度がデカくなる。傲岸不遜な顔を取り戻すのだ。
「臣もこれまでずっと、先の帝は御病だったと思っていました。――今度の事件が起きるまでは。ですが、先の帝も、親政を志しておられました。志半ば、若くして身罷られましたが」
ああ、そうか。
パパ殿は、今上の姿に、先帝を重ねていたのか。
それであれほど必死に犯人を探していたのか。
もし、黒幕が院だとしたら。
院政のために、先帝の死がもたらされたとしたら。
その疑いに決着をつけるために、こんな無茶な侵入計画を立てたのだ。
「院、一度しか聞きません。あなたは、前の左大弁、ひいては、醍醐寺座主、三宮院阿闍梨が、今上の暗殺を謀っていることを、把握していらっしゃったのですか」
「知らぬ! 知らなかった!」
院が必死で叫んだ。




