家庭教師、おもてなしする 1
「権大納言家より、藤の少殿のお着きでございます」
家宰さんの声が響く。
しばらくして、大輔の君が、先導役として東の対屋に現れた。
後ろにいるのが、藤の少だろう。
たしかに、見覚えがある。先師の方の側にいた2人のうち、年かさの方の女房だった。
50歳は過ぎているだろうか、この時代では相当の高齢のはずだが、年齢を感じさせない身のこなしだ。当たり前だが、わたしよりずっと膝行が上手い。
豊かな白髪は、手入れが行き届いている。現代で流行りのグレーヘアーの見本のような、キレイな明るい灰色だ。
十二単の襲ねは、薄だった。
いちばん下がえんじ色の袿、その上に朱色、濃い緑、黄緑と重ねていって、上着が白という華やかな組み合わせだ。
撫子の君と他の女房達が、そっと安堵の目を見交わした。
今日の対屋は、至る所にススキが飾られているのだ。
――よかった、薄で、正解だった。
この日のために、本当に、みんな、おおわらわだったのだ。
まず、先師の方からの文を開いた大輔の君が、低く呻いた。
「あと3日で、準備を整えなければなりません。しかもお使いが、あの、藤の少殿だなんて」
「有名な方なんですか?」
「権大納言家の最古参の女房で、先師の方の乳母でもあります。今上に女御のいらっしゃらない今、当代一の貴婦人と称えられるお方様を、教育なさった方ですよ」
かつて先師の方の元で働いていた撫子の君が、心もち青ざめつつ、解説してくれた。
――それはまた、いきなりハードル高いな~。
大輔の君も、考え込む。
「甘蔓煮のお礼のお茶会ですから、栗色をテーマに統一しようと思っていたのですが、日程を考えると、菊を取り入れた方がいいのでしょうか……」
今日は神無月の10日。宮中で、移菊の宴が開かれているのだ。
晩秋の菊花を愛でる会だ。ついでに、月見の宴を兼ねていることも多い。
この時代あたりから、旬真っ盛りの自然よりも、少し時季が早い、もしくは盛りを過ぎかけた方が素晴らしい、という美意識が生まれてきた。
移菊も、別名を残菊とも呼んで、「最後の菊がもっとも色が深く美しい」と称えられるのだ。
「それを言ったら、藤の少殿のいらっしゃる日は、望月(満月)の前日ですわ。月も加えなければ」
同じ感覚で、完全な満月を愛でるのは野暮、少し前か後に月見をするのが粋、なのである。
「そんな、たいへんじゃないですか!」
若狭が悲鳴のような声をあげる。
そうなのだ。
「月」は、桜と並んで日本の美意識の頂点。月をテーマにするなら、雁、ススキ、雲、夜、星、虫の音、そして菊も。数えきれないほど縁語があって、テーマが絞れない。
混乱する場に、わたしは口を挟んだ。
「待ってください。あくまで主は、大姫様ですよ。月見の時間まで、滞在されるでしょうか」
ホストが子どもなのだ。月を見ながら一杯、という宴は、招待される側だって期待していないだろう。
「大姫様の、子どもらしい、素直なおもてなしで、いいと思いますが」
「そ、そうですわね。大姫様のご成長ぶりをご覧いただければ、当初の目的は果たせますもの」
大輔の君が我に返る。
珍しくもおとなしく、御座所に座り、さらに御簾まで下ろしている(!)大姫に、声をかけた。
「大姫様は、いかがお考えですか」
少し間が空いて、明るい声が返ってきた。
「わたくしは、わたくしの好きな自然のもので、おもてなししたいわ。栗と紅葉とススキ。あとは虫ね。月見や移菊は、背伸びしすぎな気がするもの」
慌てふためく大人達より、よほど落ち着いている。
実際、州浜を作るのは大姫なのだ。早くテーマを決めなければ間に合わないし、本人が作りたいものを作った方が、出来もいいだろう。
結局、大姫の鶴のひと声で、テーマは「栗、ススキ、紅葉、少しだけ虫」と決まった。そこに、「移菊」も、風味づけ程度に加える。
いくらホストが子どもといっても、今回のお客は、大姫の周りの女房達のレベルチェックも兼ねている。オトナ女子も、デキるところを見せないといけないのだ。
テーマが決まってからも、大騒動だった。
着物の色柄、おやつ、室礼(部屋の飾りつけ)、プレゼントの選定……、決めることがエンドレスだ。
「斎迩の君は、大姫様と揃えて、落栗の十二単をお召しになってくださいね」
栗の甘蔓煮のお礼を受け取りに来るのだから、藤の少は、栗色の襲ねは着ない。「そのような、これ見よがしのはしたないこと」は、しないのだそうだ。
大姫と、師であるわたしは、メインテーマの栗色の襲ねを着て、お出迎えする。他の女房達も、テーマから選んで、着物を決める。そして、筆頭女房である大輔の君だけが、移菊の襲ねを身に着ける。
――セレブのお茶会、めんどくさ~!!
おっとりと始まった挨拶合戦を聞きながら、わたしは戦争状態の3日間を思い出していた。
お茶会が開催できた時点で安心してしまったが、本番は、マサに今! なのだ。気が抜けている場合ではない。
「権大納言家の藤のお名前を持つ女房にお出でいただき、これほど光栄なことはありません」
大輔の君が歓迎の意を述べる。
――藤の名を持つ?
疑問が顔に出たらしく、撫子の君が、そっと懐紙に解説を書いてくれた。
いまや、高位の貴族は藤原家だらけなので、呼び名に「藤」を付けると、却って分かりにくい。そのため、そのコミュニティや組織で古参の人、ベテランの人、尊敬を集めている人ひとりだけに、「藤」を付けるのが習わしになった。
藤の少の「少」は、夫が少輔の地位だったところから付いたそうだ。
「こちらこそ、ご丁寧にご招待いただき、我が主ともども、楽しみに参りました」
にこにこしながら、藤の少が答える。声も張りがあって、若々しい人だ。今日のお茶会のデキは、きっちり先師の方に報告しますよ、と言っているにも関わらず、本当に楽しそうにも見える。
しずしずと、おやつが運ばれてくる。
よりより、薯蕷饅頭、水菓子(果物のこと)と、わりと普通のメニューだが、ちょっとだけ、ズルをした。
現代の知識を生かして、ブドウのコンポートを作ってみたのだ。もちろんワインなんてないので、できるだけ上等の酒で煮てある。邸の包丁人(料理人)が青ざめるほど、砂糖を入れさせた。
そして、飲み物は、例のウィダーイン○リー。もう寒いので、少し温めて、饗している。
甘味は、最強の贅沢だ。
美味しい食べ物は正義である。
「まあ……。初めていただくお味ですね。美味しいこと」
藤の少は、少女のように喜んだ。回りくどい表現もせず、可愛らしいおばさまだ。
ひととおり、おやつがお腹に収まって、場も落ち着いたところで、大姫の州浜の登場である。
ある意味、今日のお茶会のハイライトだ。
大輔の君が立ち上がり、奥から、大姫の州浜を持ってくる。
広いお盆に乗せた方が映えるのだが、今回はお持ち帰りを考えて、お重の中に作った。
大輔の君が蓋を開けると、
「あらあら、まあ!」
藤の少の華やいだ声だけで、出来が分かる。藤の少の後ろの、2人のお従きの女房達も、肩ごしに覗き込んで、歓声をあげた。
30㎝四方の重箱に土を薄く詰め、その中いっぱいに、紅葉が散り敷いてある。右上に、毬栗がひとつ。半分紅葉に埋もれている。イガは開いてあって、中の栗の実は三つだ。「三栗」は吉兆のしるしである。四葉のクローバーみたいなものだ。
真ん中よりやや左下に、小ぶりの石がひとつ。その上に被さるように、松葉が挿してある。その陰に、小さくコオロギが隠れている。
州浜は芸術作品だ。
栗のイガは、いちばんキレイに見えるように、大姫が小刀でいくつも切り開いた最高傑作だ。中の実も、大量の栗から美しい形と色艶のモノを、3つ厳選して、詰めた。
コオロギも、大姫の宝物の中から、保存状態のいいものを選び、油でそっと磨いてある。
昆虫標本を作っている大姫でなければ、この準備はできなかっただろう。
石は、ボーイズ達が探し回り、砥石で磨いた。この石にも、細工が施してある。ぽつん、と葛を置いて、露に見立てたのだ。
鮮やかな赤のグラデーションに、明るいグレーの石、栗とコオロギの茶色。松葉の緑がいいアクセントになっている。そして、秋といえば白露、というお約束も、守られている。
「本当に、素晴らしい州浜ですこと。この白露は? 葛? まるで本物のようですわね。こんな風に州浜に露を置く方法は、初めて見ましたよ。きっとこれから、流行るでしょうね。色合いも完璧です。それに、ススキの色にも合わせていらっしゃるのね、よく考えておられますこと」
現代人にはピンと来ないが、当時のススキは「花」なのだ。
実際、初めは、いわゆる穂の部分に赤い花が咲く。その後、花が枯れて、わたし達のよく知っているススキの穂になる。開花している状態を「薄」、ふさふさの穂になった状態を「尾花」と呼んで、区別しているのだ。
十二単の「薄」は、赤から緑、白へと、ススキのすべての色を網羅して襲ねる取り合わせである。
「このお歌も、とてもよいわ。ぴったりですね。大姫様は、万葉集も嗜まれるのですね」
――もみぢ敷く心もしぬに白露の置くこの庭に蟋蟀鳴くも
大姫が、この州浜に合わせて、何度も練習した歌だ。
元歌は、上五の部分が「暮月夜」だが、少しカスタマイズした。
さすが藤の少、すぐに元歌を把握したようだ。




