家庭教師、所望する
極秘裏に設けられた協議の場に、パパ殿が入って来た瞬間、わたしはイヤな予感がした。
しまった、事前に口止めしとくチャンスが、なかった。
「うおっ、斎迩の君! そなたがなぜ此処に?!」
――あ~、やっぱり、名前、言っちゃった。
もともとうまく隠せていたわけでもなかったし、驚いて、言っちゃうんじゃないかと、思いはしたけれど。
あまりに予想どおりで、パパ殿、なんだかお久しぶりな感じのわりに、相変わらず、で、嬉しい、のかな。
まあ、本名でもないので、別にいいけどね。
「そなた、斎迩の君とかいう名じゃったのか」
「はあ……、便宜上、付けていただいたんです」
誰に、とも言いにくい。速足の蔵人とわたしは、それほど深い知り合いではない、ということになっているのだ。もはやその設定は怪しくて、崩壊寸前だとは思うけど。
そこに居並ぶメンバーは、先ほどと変わらなかった。プラス、パパ殿だ。
右近衛府長官、蔵人頭、検非違使別当、検非違使隊長の左兵衛督、大僧正。
そこにわたしが混じっているのだから、そりゃパパ殿が驚くのも当然である。
「よい名ではないですか。こちらのお方、というのも、呼びにくいですからね」
この面子に馴染んでいるわたしに、パパ殿は口をぱくぱくさせている。
蔵人頭が、今日の投げ文にまつわる件を、説明した。
「内親王家と内裏では、そのような事態になっていたのですか……。しかし、それで分かりました。左大弁の日記に何度も、『千』という者が出てきたのです」
パパ殿は、気を取り直して、報告を始めた。
が、さすがパパ殿、報告が下手くそである。
順番があっちこっちするし、ただでさえ複雑な人物関係が、さっぱり分からない。全員でさんざん質問した挙句、やっと事実が整理された。ほとんど「20の扉」ゲーム状態だ。
この時代、宮中に出仕している男性にとって、日記はプライベートな物ではない。業務内容や、やたら細かくて忘れたら恥をかく宮中の仕来りや慣例などを書いておく、備忘録だ。
そのため、ほとんどの殿上人は、日記を付けている。必要があれば、宮廷に提出するほどの、公の記録なのだ。
現代でもそのうちの何冊かが残っていて、訳されているけれど、びっくりするほど、つまらない。延々と業務が羅列されているのだから、当たり前だ。
そして別の意味で驚くのが、平安貴族って、意外と忙しかったのだ。出仕は、夜明け直後から正午までだが、けっこう残業もある。
当時の貴族は、文武両道が常識なので、蹴鞠や武道の鍛錬も欠かせない。午後は、楽器とか和歌とか漢詩とか、貴族の嗜みを磨かなければならない。人脈作りの意味合いもあって、あちこちでサークルが開かれている。これらに参加しないと、宮中でハブられる。
そして、日が落ちたら、恋のハンティングに出かけるのだ。
……タフだな~。
しかし、亡くなった左大弁、藤原高大クンは、超怠け者だったらしい。
出仕をズル休みしたり、自分の仕事を後輩に押し付けたり。それならアフターファイブが充実していたかというと、得意な芸事も武道もなかったようだ。
しかも公的記録であるはずの日記に、いっぱい愚痴やら悪口やらが書き込みしてあって、そこに「千」という名前が散見された。
三宮院とは親しく付き合っていたようで、度々訪れているし、贈り物の目録や、阿闍梨の仁覚とやり取りした文だけは、キレイに文箱に整理されていた。
「千とは当然、千手丸でしょうね。
左大弁と千手丸は、三宮院で初めて引き合わされた。千手丸は、西の市で仲間を雇い、速足の牧場で大雀蜂を盗んできて、泥団子と一緒に、左大弁に渡した。そこから少し飛んでいますが、呪詛でとり殺されるのはイヤだと、三宮院に呪詛返しを頼んだら断られたので、醍醐寺に行った、と」
「最後の辺りは、近衛士が監視していましたしね」
蔵人頭がまとめ、右近衛府長官が補足した。
まとめ方はキレイだったが、パパ殿が持ち帰ってきた日記では、ボロクソの書き方だった。
これによれば、本当の計画では、袍も泥団子も蜂の死骸も、左大弁が持ち帰って、邸で焼くことになっていたのだ。失敗したのは、なにもかも千手丸のせいだ、と、口汚く、罵り言葉とセットで書かれている。
「当初の計画どおり、すべて燃やされていたら、告発は難しかったかもしれないですね」
たしかに、最初、内裏では今上が蜂に刺されたとすら、認識していなかったのだ。アナフィラキシーショックだと知らずにずっと温めて、脱水症状を加速させていたら、本当に命を落としていたかもしれない。
彼らの暗殺は、成功していた可能性が高いのだ。
「左大弁が阿呆じゃったのと、速足が蜂好きだったのが、幸いしたの」
「でも……。これだと結局、醍醐寺の座主、勝覚殿が関与していたかどうか、分かりませんね」
わたしはいちばん気になったことを、言ってみた。日記の最後のページの書き込みを指差す。
――藤に会う。なんとか助けてくれるかもしれない。
「この『藤』って、藤原氏でしょうか。でも、出家した座主のことを、名字では呼びませんよね。誰なんでしょう」
藤原一族かもしれないが、自分も藤原氏なのに、こんな呼び方をするだろうか。
氏族の代表、と考えれば、やはり、左府のこと? でも、宮廷臣下最高位の人を、こんな略称で示すだろうか。
「そうですね。が、心配はないでしょう。ここまで証拠が揃えば、この先は、公の場での捜査、裁きになります。まず、千手丸と仁覚の身柄を抑えれば、その二人から証言が取れるはずです」
全員が、深く頷いた。
今上暗殺未遂事件から数えて一か月強、呪詛騒ぎまで遡れば二か月の間、今上を心配し、支え続けてきた人達だ。
ゴールが見えてきた、という達成感と安堵感が、どの顔にも漂っていた。
――パパ殿を除いて。
左大弁と同様、千手丸も、口封じされる危険がある。
そのため、捕縛はできるだけ早く行われることに決まった。これは逮捕と同時に、千手丸の安全を確保する意味もある。
そして並行して、緊急で、陣議も開かれることに決まった。
陣議とは、限られた上層部の執政者達だけの会議である。
参議が国会だとすると、陣議は内閣の閣議のようなイメージだ。陣議では、重大な犯罪に対する裁きの話し合いも行われる。最高裁も兼ねているのだ。
「陣議となれば、もちろん、院も同席されますな」
パパ殿が質問する。参議ですらないパパ殿は、今日以降、捜査には関われなくなる。
「そうですね。議長は、臣が務めると思いますが」
右近衛府長官が答える。
「左府はどうするのじゃ。陣議の構成員じゃが」
問うた大僧正も、陣議には出席できない。
こちらの質問には、みんな、困った顔をした。
もともと陣議は、帝(今回は、院)と少数の最上級の臣下で行う合議だ。左大臣は当然参加すべきだが、裁かれる罪人の親でもある。
「――院の、お考え次第、でしょうな」
苦しい口調の右近衛府長官に、他の3名も、ゆっくり頷いた。
「わたしがこの件に首を突っ込んだのは、今上の身が心配だったのと、先師の殿とお方様のお悩みがお気の毒だったからです。投げ文の情報を提供した功を考慮して、連座などで罪を問われないよう、できるだけ、ご助成ください」
お方様に「連座を回避しましょう!」とか偉そうに言っておいて、わたしにできるのは、せいぜい、この口添えまでだ。
でも、蔵人頭は優しく答えてくれた。
「今上への薬の献上から始まって、斎迩の君の功績は大きい。私からも院に、できるだけご説明し、お願いしておきます」
「すべて片付いたら、斎迩の君、あなたは褒美に何を望むのかな。速足の蔵人にも、おそらく昇格を賜るであろう。院に上奏しておくので、考えておくとよいぞ」
右近衛府長官の言葉も、善意からだとは分かるのだけれど、要するにすべての判決が、院次第、なのだ。
「特にご褒美はいらないので、できるだけ、連座で罪人を増やさないでいただきたいと……。あっ、でも、ひとつだけ、お願いしていいでしょうか!」
忘れていた。
わたしはタイムリープするとき、消耗品しか持ち込まない。紙はぎりぎりセーフと、勝手に決めている。
今回、今上に献上した物の中で、クーラーボックスだけは、どうしても回収しておきたい。
あれは後世で発掘とかされたら、危険である。そうでなくても、氷が溶けない不思議な葛籠なので、うっかり天皇家の宝物なんかにされてしまったら、目も当てられない。
「褒美がいらぬとは、やはり、薬師如来のご使者は奥ゆかしいというか、欲がないのう。あの葛籠なら、安福殿に置いてある。なんじゃ、次の冬、雪を詰めておこうと楽しみにしとったのに……」
大僧正が立ち上がったのを期に、お開きとなった。
これから全員、陣議と逮捕の準備で大忙しなのだ。
わたしとパパ殿、大僧正は、先に後涼殿を退出した。




