家庭教師、懇親する
平成最後の日です。
歴史的にも、個人的にも、事件が多い時代でした。
令和も、楽しく平和な時代になりますように。
正式に大姫の家庭教師になったら、直接、送り迎えされることになった。
マンションの前まで、巨大なリムジンがやって来た。路地をふさいでいて、見物の人だかりが、すごい。
そして。
乗ってしばらくすると、リムジンは、牛車に変わった。
スーツ姿も、上等な十二単に見える。髪の毛もスーパーロングになって、牛車の座布団にとぐろを巻いている。
A4用紙の教材を入れられるように使っているビジネスバッグは、大きな巾着袋になっていた。
試しに中を覗くと、わたしが作成したプリントも、和紙の巻紙に変わっていた。印刷したはずなのに、えらく達筆な毛筆だ。わたしにも読めるのが、ありがたい。
大姫の東の対屋に通されると、案の定、部屋に姫君はいなかった。
まあ、想定の範囲内である。
庭から、明るい声が流れてきていた。
案内してくれた女房はおろおろしているが、わたしは気にせず、庭に下りた。
対屋の真ん前に大きな池があり、橋も架かっている。普通の貴族なら、船を浮かべて、管弦の宴とか催しちゃうような池だ。
広大な庭は、形だけ見れば、典型的な回遊式日本庭園である。
ただし、貴族の理想からは、だいぶ、自然のままに放置されすぎの状態だった。
鑑賞に堪える限られた草花だけを残して、あとは根こそぎ除く。水辺も、ほんの少し水草やスイレンなどを残しておいて、それを和歌に詠むのが、貴族の美学である。
その観点からいうと、このお邸の庭は、まず草木が多すぎる。そして、草も木も成長しすぎだ。
虫大好きな姫君のために、こういう環境にしてあるのだろう。
その姫君と、4人の男の子が、池を覗き込んでいた。
ひとり際立って体の大きい子が、棒を持っている。棒の先に何か括りつけてあるようだ。
わたしは、さくさく草を踏みしだいて、近づいた。
「こんにちは、大姫様」
「あら、ごきげんよう、斎迩の君」
うん、挨拶できるだけで、充分だ。
わたしは担当する生徒さんに、妙な期待を持たない。
大姫は、知らない大人と口がきけるので、やりやすい部類である。
過去に受け持った中には、人見知りのあまり、4日間、ずっと無言どころか、首を振ることも頷きさえもできなかった生徒さんもいた。
話す、というだけで、相手の気持ちはかなり掴める。
家庭教師なんて、まずはそこからなのだ。
力士のような体つきの男子の、棒の先には、蜻蛉が括りつけられていた。鮮やかな朱色の細い体。アキアカネである。
「あら、先日見た螻蛄では、ないですよね。あの蜻蛉はどうしたのですか」
挨拶だけして、大姫は、わざとらしくわたしを無視していた。
いちばん背の高い男の子は、そんな大姫を心配そうに見ているけれど、細くてすばしっこそうな男子は、にやにやしている。
棒を持っている力士クン(仮)が、体を縮めるようにして、「あの、あの蜻蛉は……」と言いかけると、大姫はすごい勢いで遮った。
「だめっ、ひき麿! 斎迩の君とお話したらだめと、言ったじゃない!」
「あら、そうだったのですか。でも大姫様、わたしにご挨拶なさいましたよね」
「挨拶は別よ。大切なことだもの」
「大姫様、今、わたしとお話なさってますね」
「……っ!」
大姫は真っ赤になって、いきなり駆け出した、のだけれど、なにせ水辺。すべって、池に転げ落ちそうになる。
あっ、と手を伸ばしたが、周りの男子達の方が素早かった。
背の高い子と細い子が、二人がかりで、がしっと大姫を掴み、草地まで下がらせる。
力士クン、改め、ひき麿が正座し、その上に大姫をちょこんと座らせた。安定感抜群だ。
ほぼ同時に、いちばん小柄な男子が、キレイな絹の手拭いで、大姫の濡れた裾や足元を丁寧に拭いていた。
なんというか、超絶手慣れた、連携プレーである。
「すっごいわね、あなた達」
ほお、とため息が出た。
「いつもこうやって、大姫様をお守りしているのね。偉い! 家臣の鑑! 大姫様、お礼を言わなければ」
「斎迩の君には関係ないわ。わたくしの子分ですもの」
つん、と、大姫はそっぽを向く。
「じゃあ、大姫様の師であるわたしから、言います。大姫様を守ってくれて、ありがとう。君がひき麿ね。あなたは?」
とりあえず、背の高い子に聞いてみる。いちばん年上のようだし、リーダーだと思ったのだ。
しかし彼は、大姫の意向が気になるらしく、ちらちら大姫を窺って、口を開かない。
「ここの池はずいぶん深そうだし、すべってたら、大変だったわね。大姫様は泳げるのかしら。わたし実は、水泳が得意なのよ。それはともかく、命を助けてもらってお礼を言わないなんて、そんな主人に仕えていたら、そのうちいやになるのではないかしら」
わざと、いぢわるおばさんモードで、突っついてみる。
基本的には、素直なお子達らしく、一斉に顔を上げた。今にも口を開きそうだ。大姫だけは、悔しそうに、俯いている。
「……違う」
いちばん小柄な子から、思いもよらない低い声が聞こえた。
何が違うのか。待ったのだが、続きがない。
「違うって何が? ああ、大姫様に仕えるのは、いやにならないということ?」
その子は、少し困ったようにあちこち見てから、
「違うけど、それはそう」
それで、彼の中では完結したようだ。
言い切った! という満足感が漂っている。
おそろしく無口な子だ。
でもこの子は、手拭いで大姫の裾と足を拭いていた。用意万端で、大姫のあらゆる状況に対応できるようにスタンバっているのだろう。
「あ~、めんどくせっ。大姫様、いい人じゃないすか。今までの教師達とは違うんじゃね。俺は、しゃべっちゃうよ、もう」
細身のすばっしこい子がそう言うと、ひき麿が、
「いなご麿がしゃべるの我慢するなんて、無理だと思ってたよぉ」
と頷いた。膝の上に乗っている大姫は、「もう! ダメなのに!」と腕を振り上げる。ひき麿の顎に、ゴンッとぶつかったけれど、「姫様、痛いよ~」と笑う。
「そ。俺、いなご麿ね。あ、この小っこいのは、雨彦。雨彦が言いたかったのは、俺もだけど、姫様は、いつもは俺達にお礼も言うし、謝りもするってこと。威張りくさったいやな主人なんかじゃ、ないぜ」
「そうなの。素敵な関係ね」
大姫が、さっとわたしを見つめた。
カモン、大姫! 懐く直前の子猫を前にした気分である。
「本当に? 斎迩の君は、皆と仲良くしちゃだめって言わないの」
「わたしは大姫様の家庭教師ですから、大姫様に害を与えるような者は、もちろん排除します。でもこの子達は、大姫様を守る従者として、充分以上に役に立っているようですし。大姫様も、彼らに感謝して、良い主人であろうと思っていらっしゃる。それでよろしいのでは?」
「虫を捕ることは、姫様の害になるのではないですか」
年上リーダー格の子が、静かに聞いた。
彼は、大姫がわたしに話しかけるまで、一言もしゃべらなかった。あっぱれな忠義心である。
「あなたが、けら男ね。大姫様のお話に出ていた、ヤゴを取ってきた子でしょう」
「あ、はい」
「なあなあ、なんで、ひき麿が持ってる蜻蛉が、前の蜻蛉と違うって分かったんだ? 螻蛄の姿しか見ていないはずだろう?」
いなご麿が割り込んでくる。
「あ、それは、俺も知りたかった、です」
「わ、わたくしも」
「先日の螻蛄は、頭を下にして枝につかまっていましたね。ああいう羽化をするのは、ヤンマ系、あ、いえ、大きくて銀色の蜻蛉になるのです。これは、秋茜ですよね。種類が違います」
おおお~っ、と、歓声が上がった。
単純だけれど、子どもから尊敬の念を向けられると、やっぱりちょっと得意になる。嬉しいものだよね。
「そう、銀色の大きな蜻蛉だったわ。でも、飛べなくて、死んでしまったの」
大姫がしゅんとする。
一斉にボーイズが焦り、心配する姿が、微笑ましい。
「ああ……、もしかして、羽化してから、触ってしまったのでは?」
「え。触ったけれど、完全に羽が開くまでは、ちゃんと待っていたわよ」
「いえ、蜻蛉は、羽が開いてから完全に乾くまで、とても時間がかかるのです。その間に触ってしまうと、羽が変な形に固まってしまって、飛べなくなります。そうですね……、最低でも一刻(2時間)。できれば2刻、必要ですね。実際、蜻蛉は、羽化直後がいちばん鳥に食われやすいのですよ」
「じ、じゃあ、わたくしのせいで……」
たちまち、大姫はベソをかき始めた。
四人の男子達が、必死で慰める。
「いえ、大姫様。本当なら、俺がお教えしなければいけなかったのです。羽化してから、そんなに時間がいるなんて、知らなかった。すみません」
「姫様、泣くなよ! また俺が、螻蛄を取ってきてやるからさ!」
「うん、これからは、姫様の蜻蛉は、もうずっと元気でいられるよ~」
雨彦は黙って、姫様の涙をそっと手拭いで拭いている。さっきとは別の手拭いだ。何枚用意してるんだ、君は。
姫君と甲斐甲斐しい騎士達を見ていると、癒される。
「大姫様、初めて知ったことは、書き留めておくとよろしいですよ。人の記憶は、案外あてにならないものです。できれば、図解入りにすると、分かりやすいですね」
「わたくし、絵は得意なのよ! 先日の螻蛄の姿も描いておくわ、頭を下にして!」
大姫は、ぱっと笑顔になった。
四人四様ながら、大姫を笑顔にしたことに、感謝の視線と表情を向けられる。
予想どおりだが、子分の男子達は、大姫が名付けたらしい。名前についている虫が、得意分野である。
雨彦は、水辺の昆虫、雨上がりに出てくる虫に詳しいのだそうだ。
わたしは心の中で、この四人のナイト達を、「四虫ボーイズ」と名付けた。
そう、こういうことなんだよね。
「大姫様と、虫は、切っても切り離せないでしょう。虫愛ずる姫君でこそ、大姫様ですからね。それなら、大姫様らしくお勉強なさればよいと、わたしは思っています」
もちろん、交換条件で、いやな勉強もしてもらう。
やる気のないお子さまに、やる気スイッチなど存在しない。
ぽちっと押せば勉強したくなる言葉やイベントなど、あるわけないのだ。
初めは強制でも、何かと交換でも、少しずつ勉強して、興味を持たせる。もしくは、勉強が何かの成果につながる。
そういう経験をして、徐々に、本当に少しずつ、勉強してもいいかな、という気分になっていくのである。
「けら男達は、確かにウチの下男だけれど、それだけじゃないわ。わたくしの大切な仲間なの。斎迩の君が、わたくしとこの者達を引き離さないのなら、とても嬉しいわ」
明るく言った姫君を、四人のナイト達も、嬉しそうに見つめていた。




