7.新米騎士ロイ・スチュアート、降下
7.新米騎士ロイ・スチュアート、降下
「モンゴメリ卿が亡くなられた!?」
武侠を迎撃するべく準備を進めていた王国騎士ロイ・スチュアートは、突然の訃報に横面を張り倒された。その報せを持ってきた、専属鎧技師ミシェル・バーカーは、鼻をすすりながら報告を続ける。
「モンゴメリ卿は、敵武侠との一騎打ちに臨まれたものの敗北。死を悟った伯爵は、中央情報室ごと武侠を排除したとのことです……!」
「そんな、そんなバカな!」
ロイは、血が出るほどに固めた拳を、遠慮抜きに壁にぶつけた。壁を這う細い配管が、わずかに歪む。拳から肩口まで鈍い痛みがひびき、ロイは気付かれないように下唇を噛んだ。
モンゴメリ伯爵との付き合いは、それほど長くも濃くもない。しかし、貧乏男爵家の三男だったロイが、若干16歳ながらこうして騎士として取り立てられたのには、モンゴメリ伯爵の後押しがあったからだ。少なくとも、師からはそう聞いている。
その恩を返すことさえできないうちに伯爵の死を聞くことが悔しかった。なにより、英雄と名高いモンゴメリ伯爵が、薄汚い帝国の武侠一人に敗れたという現実に我慢がならなかった。
ロイは、目の前で肩を震わせている、年下の鎧技師に命じた。
「ミシェル」
「は、はいっ」
「俺の機械重騎兵を降下用装備に換装してくれ。武侠を追う」
ミシェルは泣くのも忘れて目を見張った。
「ですが、降下命令なんて……」
「このままヤツを放っておけるか! モンゴメリ卿の無念を晴らすには今しかない。相手は地虫なみにしぶとい武侠だ。中央情報室ごと墜落したって、死ぬものか。追ってとどめを刺すんだよ!」
「しかし、それではロイさまが咎められます!」
「モンゴメリ卿の仇を打つんだぞ。それ以上に大事なことがあるかよ! ……それに、今うけている命令は『敵の掃討』だ。武侠のやつはまだ、切り離された中央情報室にいるんだろ? それをやっつけに行くんだ。命令違反にはならない」
我ながらどうにも苦しい言い訳だった。たとえ首尾よく武侠を倒したとしても、戻れば厳しく処罰されるだろうことは間違いない。だが、目の前で不安げにしているミシェルを見ていると、なんとかして理屈を付けてしまいたかった。そして何より、自分を納得させるためには屁理屈だろうがなんだろうが構わなかったのだ。
「頼む。義を見てせざるは勇なきなり、だ。ここで動かなけりゃ、騎士とはいえない」
「……しかし」
なお渋るミシェルにロイが苛立ってきた頃、いきなり横合いから高圧的な声が飛んできた。
「貧乏男爵の末っ子が、こんなところで何をじゃれあっているのかな? 邪魔なんだ、道を開けたまえ!」
ロイとミシェルが振り向いた先には、数人の部下を率いた細身の男がいた。柔らかな金の巻き毛を、指先で弄んでいる。多分、本人も意識していない癖だろう。
騎士アルフレッド・スターリング。スターリング伯爵家次男の16歳である。歳こそロイと同じだが、家柄も、騎士団での地位も、ロイとは比較にならなかった。ミシェル以外に部下のいないロイに対して、アルフレッドはすでに五人の騎士を率いているし、今後の出世も約束されているだろう。本来ならば相手にもされないはずなのだが、しかしどういうわけかアルフレッドは事あるごとにロイを敵視していた。
「ロイ・スチュアート。モンゴメリ伯爵が中央情報室をパージしたことは聞いているだろう。我が『輝龍隊』は機密保持のために、墜落した中央情報室を処理するべく降下命令を受けた。緊急だ」
「降下命令、そんな……!」
ロイの反応に、アルフレッドは少しだけ得意げな顔になったが、すぐに表情を引き締めた。
「何か不満でもあるのか貧乏男爵家。貴様がそうして遊んでいるうちにも事態は動くのだよ。さあ、早く道を開けたまえ!」
そう言いながらアルフレッドは、わざわざロイを押しのけ、部下を引き連れてハンガーへと向かった。去り際に、わざと聞こえるように言う。
「モンゴメリ卿が亡くなっても呑気にしていられるとは、さすが卑しい貧乏男爵だ。騎士の気概も誇りも、古道具屋に売ってしまったと見える。無理にこんな飛行船に乗らずとも、地べたを這っている方がよほど似合いだろうに」
部下たちが、調子を合わせてどっと笑った。重い怒りと屈辱が、ロイの胸にじわりと広がる。ただ侮辱されたからというだけではない。降下命令が、自分の頭を飛び越えてアルフレッドに下ったことが不本意であり、それを悔しく思うこと自体が、自分の未熟さを思い知らされるようで気に入らなかった。
想いに任せるならば、追いかけてその横面を殴りつけてやりたいとさえ思う。しかしスターリング伯爵家を本格的に敵に回せば、かろうじて男爵位にすがりついているようなスチュアート家など簡単に吹き飛ばされてしまうのだ。ここは、どうあっても抑えねばならない。
しかし、その怒りを抑えきれない者がいた。
「ロイさま」
ミシェルである。去っていくアルフレッド一行の背中を、殺意さえこもった目で睨みつける。
「急ぎ、ご準備を。機械重騎兵を降下用装備に換装します。あんな奴らに、先を越させるもんですか」
ロイは意外さにを丸くした。ほんの少しだけだが、「もう、降下できなくてもしょうがないか」とさえ思っていたのだ。ロイは慌てて、その気弱さを振り落とした。
「よし、10分でできるか」
「5分で結構!」
二人は揃ってハンガーへと走った。そしてきっかり5分後、ミシェルは機械銃奇兵の換装を終えたのである。当然大急ぎでのことではあったが、それを確実になせるだけの腕があることもまた確かだった。ロイは、この15歳の鎧技師が自分についてくれている幸運を、主神イフセスに感謝した。
背部モーターが唸りを上げ、ロイの体を重騎兵の装甲が包んでいく。新米騎士にすぎないロイに与えられたのは、最新の第三世代機とは名ばかりの、ごく軽量の機体だった。巨大な発動機を背負い、それに見合った爆発的な力を振るうモンゴメリ伯爵のそれとは、出力も、装甲の厚さも比較にならないほど貧弱である。しかし、それだけに整備も調整も容易ではあった。
「ロイさま、どうかご無事で」
それだけ言い残して、ミシェルはハンガーを離れた。敵武侠はおそらく傷ついているだろうが、それでもモンゴメリ伯爵を破った強者である。相まみえて、無事ですむという保証などない。それでも、
「義を見てせざるは勇なきなり、だ」
そう自分に言い聞かせながら、ロイは面頬をおろし、体を保持するハーネスのフックを壁際に掛けた。
降下用のハッチがゆっくりと開く。内外の気圧差にごうごうと吠える風が渦をまき、寒気が面頬ごしにロイの顔を打った。アルフレッドたちの降下に備えて、飛行船の高度はぐっと下げられている。気圧差で鼓膜をやられる心配はしないですんだ。
ちら、と、背部のパラシュートを確認する。さっきから何度確認したかわからないが、ただそこにある、という以上のことはわからなかった。
ひとつ、唾を飲んだ。ハーネスを外す。
「ロイ・スチュアート、降下する!」
誰にも聞こえないだろうその言葉が、彼の背中を押す。新米騎士ロイ・スチュアートは、一人、死地へと飛び込んでいった。