学年一可愛い令嬢三姉妹は、護身術の練習でもそれぞれ性格が出すぎる
次の放課後、俺は本当に川沿いの公園へ来ていた。
自分で言い出したわけでもないのに、気づけば護身術の基礎を教える流れになっているあたり、最近の俺は押しに弱すぎると思う。しかも場所まで決まっている。学校から少し離れた河川敷沿いの公園は、夕方になるとジョギングしている大人や犬の散歩をしている人がぽつぽついる程度で、広さのわりに人が少ない。ベンチと遊具、それから少し開けた芝生があって、体を動かすにはちょうどいい。
六月の風はまだ湿気を含んでいたが、校舎の中よりはずっとましだった。川面の方から抜けてくる風が、制服の裾を軽く揺らしていく。
三姉妹はすでに揃っていた。
涼花はやる気が服を着て歩いているみたいな顔で、その場で軽く屈伸までしている。さすが運動部だけあって、こういう場になると無駄に準備がいい。優里は少し動きやすそうな格好に着替えてきていて、いつもより落ち着いた色のカーディガンを脱いで腕へかけていた。龍華はというと、最初から「別に私はやらなくてもいい」と言っていたくせに、一番動きやすい格好をしている。そういうところがずるい。
「で、何からやるんだ」
龍華が腕を組んだまま聞いてくる。
「最初に言っとくけど、殴り方とかはやらない」
「えー」
涼花が露骨に不満そうな声を出した。
「今の『えー』はどういう意味だ」
「だって、なんかこう、ばしっと決めるやつかと思ってた」
「お前、それは護身術じゃなくて漫画だ」
「でも、強い感じするじゃん!」
「強くなるのが目的じゃない。逃げるためだ」
俺がそう言うと、涼花は「うっ」と少しだけ言葉に詰まった。
優里は真面目な顔で頷く。
「その方がいいです」
「だろ」
「私は最初からそういうの想像してました」
「嘘つけ」
龍華が横から切る。
「さっきまで『投げ技とかあるのかな』って言ってただろ」
「龍華」
「なんだ」
「余計なことを言うな」
「事実だ」
この長女、本当に空気を選ばない。
俺は小さく息をついて、三人の前へ立った。
「まず、一番大事なのは距離だ」
「距離?」
涼花が首を傾げる。
「そう。変な相手に近づかない。近づかれそうになったら、まず一歩下がる。捕まられてからどうするかより、捕まられないようにする方が先」
そう言いながら、自分で半歩だけ引いて見せる。
ほんの少しの動きだが、相手との間合いはそれだけで変わる。
「これ、意識してないと結構できない。特に、相手に話しかけられた時」
「たしかに」
優里が静かに呟く。
「足が止まりますよね」
「止まる。だから、止まったまま聞かない。少し斜めにずれて、いつでも逃げられる角度を作る」
「おお……」
涼花が妙に感心した顔をする。
「地味だけど、賢いやつだ」
龍華まで素直に言った。
「地味で悪かったな」
「悪いとは言ってない」
それから実際にやらせてみると、性格がそのまま出た。
涼花は反応が速い。足も軽いし、体の移動自体はすぐできる。ただ、考えるより先に動くせいで勢いが大きすぎる。少し引けばいい場面で、必要以上に距離を空けてしまう。逃げるというよりスタートダッシュだ。
「お前、下がりすぎ」
「えっ、だって距離取るんでしょ!?」
「取るけど、全力疾走の準備じゃない」
「むずかしい!」
優里はその逆だった。動きは丁寧で、重心もぶれない。言ったことをきちんと頭の中で整理してから体へ落とすタイプだ。だから形はきれいになる。ただ、判断が少し遅い。実際の場面では、その一拍が命取りになることもある。
「優里、綺麗すぎる」
「綺麗すぎる、ですか?」
「考えてから動いてるだろ」
「……そうかもしれません」
「それが悪いわけじゃないけど、もっと反射でいい」
「反射、苦手なんですよね」
そう言いながらも、優里はもう一度同じ動きを繰り返して、さっきより確実に速くしてみせた。
飲み込みが早い。
龍華はというと、最初から妙に形になっていた。
「お前、ほんとなんなんだよ」
「何が」
「なんで一番それっぽいんだ」
「勘」
「雑だな」
「あと、こういうのは相手の重心見れば分かるだろ」
言っていることは適当なのに、実際その通りだから困る。
龍華は自分から積極的に学ぶタイプじゃないが、感覚で掴んだものをそのまま再現するのが上手い。たぶん、考えるより先に体が答えを見つけるんだろう。
「龍華お姉ちゃん、ずるい!」
涼花が不満そうに言う。
「なんでそんな普通にできるの!」
「お前が大振りすぎるんだよ」
「うー!」
「涼花は素直すぎるんです」
優里が少し笑う。
「相手の言葉に全部反応しそうですし」
「それは……あるかも」
そこを自覚しているだけまだいい。
次に、手首を掴まれた時の外し方を教えた。
真正面から力で振りほどくんじゃなくて、親指の向きに合わせて細い方向へ抜く。言葉で言えば簡単だが、実際にやるとなるとタイミングと角度がいる。
まずは俺が見本を見せることになって、優里が少しだけ遠慮がちに手を差し出した。
「じゃあ、掴んで」
「……少し緊張しますね」
「そんな強くやらないから大丈夫」
「はい」
優里の指は細いくせに、意外とちゃんと力が入っていた。
それでも角度を作って抜くと、驚くほど簡単に外れる。
「わ」
「こんな感じ。真正面に引っ張ると外れないけど、ここなら抜ける」
「本当ですね……」
優里は自分の手を見下ろして、少しだけ真剣な顔になった。
「すごいです」
「すごくはない」
「でも、知ってるか知らないかで全然違う」
その言い方は、たしかに正しかった。
涼花はこれにも食いつきがよく、俺の説明を聞いたあとすぐにやりたがった。
ただ、やっぱり勢いが強い。
「えいっ!」
「違う、雑すぎる」
「なんで!? 今のよくなかった!?」
「今のは“技をやるぞ!”って気合いが前に出すぎてる」
「技をやるんだから気合い入るでしょ!」
「入れなくていい。さらっとでいい」
「さらっとって難しい!」
それでも何度かやるうちに、涼花は少しずつコツを掴み始めた。さすが運動神経がいいだけあって、体の使い方そのものは覚えるのが早い。理解した瞬間、一気に良くなる。
「できた!」
「今のはよかった」
「ほんと!?」
「うん」
その一言だけで、涼花は満面の笑みになった。
分かりやすい。分かりやすすぎる。
龍華は俺が言う前から、似た動きで自然に外してみせた。
「こんな感じか」
「……そう」
「なんだその反応」
「いや、お前もう教えること減るなって」
「便利だろ」
「腹立つ便利さだな」
龍華は鼻で笑っただけだったが、どこか少しだけ得意げだった。
しばらく練習しているうちに、制服の上からでもじんわり汗ばんできた。河川敷の風はあるが、動けばそれなりに暑い。三姉妹もさすがに少し疲れてきたらしく、いったんベンチで休憩することになった。
自販機で飲み物を買って戻ると、三人が並んで座っていた。
龍華と優里が同じ高さで足を組み、涼花だけが前のめり気味にペットボトルを振っている。姉二人はやっぱり同学年らしい落ち着き方をするのに、涼花がそこへ混ざると空気の密度が少し変わる。その差が妙に面白かった。
「で、どうだった」
俺が飲み物を渡しながら聞くと、涼花が真っ先に口を開いた。
「思ったより地味!」
「最初に言っただろ」
「でも、ちゃんと役立ちそう!」
その評価は正しい。
優里はキャップを開けながら、川の方へ視線を向けた。
「こういうのって、もっと派手なイメージでしたけど」
「実際は地味な方が使える」
「納得しました」
「私は案外嫌いじゃない」
龍華がぼそっと言う。
「無駄がないし」
「お前、そこだけはほんと相性いいよな」
「褒めてる?」
「半分くらい」
休憩している間、周りを走る小学生や犬の鳴き声が遠くに聞こえた。
日が少しずつ傾き始めて、川面が薄く光っている。学校とも部屋とも違う場所で、三姉妹とこうして並んでいるのは、まだ少しだけ不思議だった。
「神谷くん」
不意に優里が呼ぶ。
「なんだ」
「教えるの、上手ですね」
「……またそれか」
「今日は本当にそう思いました」
優里の言い方は静かだが、冗談っぽさがない。
だから余計に照れる。
「わたしも思った!」
涼花がすぐに乗ってくる。
「説明分かりやすいし、変なとこちゃんと見てるし!」
「変なとこってなんだ」
「足の向きとか、体重の乗せ方とか!」
「そこを変って言うな」
龍華はペットボトルを膝の上で転がしながら、少しだけ目を細めた。
「お前、自分ができることをそのまま押しつけるタイプじゃないんだな」
「どういう意味だよ」
「もっと『見て覚えろ』系かと思ってた」
「昭和の部活か」
「そういう感じ」
それはたしかに、自分でも少し意外だった。
教えるのが上手いかどうかは分からない。けれど、相手によって躓く場所が違うのは、見ていれば分かる。涼花と優里と龍華で、全部違うのも面白いくらいだった。
「まあ、お前ら三人とも違いすぎるからな」
「どう違うの?」
涼花が身を乗り出す。
「涼花は動きすぎ。優里は考えすぎ。龍華は勘でやりすぎ」
「ひどくない!?」
「言い方はひどいですけど、当たってます」
優里があっさり頷く。
「私は?」
龍華が聞く。
「お前は、自分でできるから雑になる」
「……ああ」
それには少し思い当たることがあったらしく、龍華は珍しく素直に納得した。
「じゃあ、わたしは?」
「お前は勢いで全部解決しようとするな」
「うっ」
「でも飲み込みは早い」
「……ほんと?」
「ほんと」
涼花の顔が明るくなる。
だから分かりやすすぎるんだよ。
優里は小さく笑いながら、俺を見た。
「神谷くんって、ちゃんと見てますよね」
「見てないと教えられないだろ」
「そういう意味じゃなくて」
そこで言葉を切るあたりが、この人はずるい。
深く踏み込む前に止めるから、こっちだけ少し意識してしまう。
結局、そのあと少しだけ足の運びと、肩を掴まれた時に体の向きを変える練習までして、その日の講座は終わりになった。
さすがに一日で全部は無理だし、そもそも本格的にやるつもりもない。ただ、それでも三人は思っていたより真面目にやっていた。特に優里は、自分が必要だと思ったことに対しては驚くくらい集中する。龍華は飽きるかと思ったが、理屈が通っているものは嫌いじゃないらしい。涼花は最初から最後まで一番騒がしかったが、一番楽しそうでもあった。
帰り道、空はほとんど茜色を失っていた。
そのまま解散かと思ったのに、涼花が当然みたいに俺の方を見た。
「で、今日は部屋行っていい?」
「なんでだよ」
「復習会!」
「今やったばっかだろ」
「だからだよ!」
意味が分からない。
「私は少しだけ反省したいです」
優里が真面目な顔で言う。
「何が難しかったか、ちゃんと整理しておきたいので」
「私は別にどっちでもいいけど」
龍華が一拍置いて続ける。
「お前の部屋で座って話す方が楽だな」
「お前らの中で俺の部屋の位置づけ、完全におかしくなってるだろ」
だが、三人とも帰る気配は薄かった。
俺はため息をつきながら、結局またアパートの方へ足を向ける。
川沿いの風の匂いがまだ制服に残っている気がした。
部屋へ入ると、さっきまで公園にいたせいか、六畳一間が妙に狭く見えた。けれど三姉妹にとっては、もう十分に居心地のいい場所らしい。涼花はラグへ座って「つかれたー」と伸びをし、優里は買ってきたお茶を並べ、龍華は勝手にクッションを背中へ回している。
ほんの二か月前なら、こんな光景は絶対に想像できなかった。
「神谷くん、次はいつやるの?」
涼花が開口一番それを聞いてくる。
「次って決まったのか」
「決まってないけど、やるよね?」
「圧が強いな」
「だって、今日だけだともったいないし」
「まあ、基礎なら何回かやらないと身につかないのは本当だ」
そう答えた瞬間、三人の視線が一斉にこっちへ向いた。
「じゃあやるんだ」
龍華が確認する。
「……時間あえばな」
「やった!」
涼花が素直に喜ぶ。
優里もほっとしたみたいに表情をやわらげた。
「ありがとうございます」
「礼を言われるほどじゃない」
「でも、神谷くんが教えるって言ってくれると安心します」
その言い方も、やっぱりずるい。
「それにしても」
龍華が麦茶を一口飲んでから言った。
「お前、強いだけじゃなくて案外面倒見いいよな」
「なんだその褒めてるのか貶してるのか分からない言い方」
「褒めてる」
「珍しいな」
「たまにはな」
涼花がすぐに口を挟む。
「たまにじゃなくて、もっと褒めなよ!」
「お前がやれ」
「やってるよ!」
「知ってる」
そのやり取りを見ながら、優里がくすっと笑う。
「でも本当に、神谷くんが教えてくれると安心します」
「優里まで同じこと言うのか」
「本当のことなので」
逃げ道がない。
俺はコップを持ち上げながら、小さく息をついた。
護身術の練習をするなんて流れ、どう考えても俺の高校生活には似合わない。けれど、そのきっかけになったのが三姉妹で、その三人が当たり前みたいに部屋へ集まってきて、当たり前みたいに次回の予定まで組み始めている。
もう何をどう抗えばいいのか分からなかった。
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