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28 仄暗く光を失っていた瞳と清らかな猫の涙

「――……良かった」

 ルドルフ様の安堵の声が静かに場に溶けていく。

私も目に映し出された光景に、ほっと胸を撫で下ろす。

短剣は全て砕け地面へと小石と共に転がっていた。


「すっかり忘れていたわ」

それは彼が纏っている紺色のマントが打ち消してくれたおかげ。

そう。二人で過ごす夜に渡したあの防御マントだった。

「よくも私の猫王子を! そこにいるのはわかっているのよ。出て来なさい」

私は右手に広がる茂みへと体を向けると、息を大きく吸い込み声と共に吐き出した。  

それは凛と張りつめた空気を震わせ、どんどん伸びていく。

すると音もなく人影が現れた。

連なる木々の一番太い幹に隠れていたらしく、まるで幽霊のようにすっと。


――やっぱり、彼が犯人なのね。


それは港町の大時計付近で見かけた男だった。

ほんの数メートルと近いためか、今度は姿形まではっきりと見て取れる。

ルドルフ様のお兄様ということだが、野性味溢れる精悍な男だった。

肉食動物のような鋭い瞳をギラギラさせ、まるで今にもこちらを食い殺しそう。

それは全て猫王子、ただ一人へと注がれている。


そしてもう一つの影が。

それは青いフードを深々と被った男。

杖を持ち、右胸にコンクェストの紋章がある事から、どうやら宮廷魔術師のようだ。

他に人は見受けられない。

ただ、数人の気配だけは常に感じる事から、他にも仲間がいるのは明確。


「お前は、破壊の魔女も味方につけているのか」

第一王子こと、ストリッド様が忌々しそうに告げた。けれども私はそのフレーズが引っ掛かった。


――『も』ってどういう意味かしら? 対象者としてルドルフ様の事を指しているの?


「フィテス。お前を絶対に許さない」

「……ストリッド」

猫王子は、もの悲しい瞳で彼を映している。

それは見ているこちらが胸を痛めるぐらいにまで、仄暗く光を失っていた。

一筋の光さえ与えられれば、彼に希望を抱かせる事は出来ると思うけど、私にはそれを与える言葉なんて思いつかない。


「そんなに俺を憎んでいるのか……」

「当然だ。母親を殺害した犯罪者の息子だ。それにルカまで手に掛けようとした」

「まだあの事件の犯人は母上と決まってない! それにルカの件も、あれは俺じゃないって言っているだろう!」

「お前以外に、誰がいるんだよ?」

吐き捨てるように告げた言葉に、王子が目を閉じて首を左右に振った。

自分を守るように体を己の腕で抱きしめ、浮かべているのは苦悶の表情。

「ここで死んで償え」

それを目にしてもストリッド様は表情一つ動かすことなく、喉を傷付けそうなぐらいに叫び、腰元から剣をとりこちらへ駈け出して来た。

それに私は詠唱で対処しようとしたが、その前に彼らの間に影が差し込んだため、中途半端に唇を開いただけに終わった。

それは猫王子の前に立ち、大の字の壁となって守っているルドルフ様の姿。


「どけ! ルドルフ」

震える体で二人の間に入り、体を大きく広げ一生懸命、猫王子を背に庇っている。

「ストリッド兄上! もうお止め下さい。またあの頃のように、フィテス兄上と仲良くして下さい」

「ガキの頃なんて忘れた。俺達は大人になったんだよ。守られる存在から、守るべき存在に変ったんだ。こんなやつに王が務まるか」

「兄上……お願いです……」

そんな悲痛な声も届かない。

それでも彼は諦めなかった。正直、ここまで彼がやるとは思っていなかった。

ストリッド王子がルドルフ様を押しのけ、猫王子へと手を伸ばしたのを彼が体ごと止めに入ったのだ。

自身の体がナイフで傷つくのも構わずに、ストリッド王子の太い腕にしがみ付き動きを封じている。


そんな彼の兄を思う気持ちを目のあたりにし、援護しようと再度詠唱を。

そう思ったら、こちらに顔を向けたルドルフ様と視線が絡み合う。縋るように彼が叫び告げた。「サアラ様! 兄上を連れて先に進んで下さい!」と。


「でも……」

それに対して私はたじろいだ。

ここで猫王子を抱きかかえ、彼と先へ急ぐという事は、ルドルフ様を見捨てる事にならないだろうか? 

そんな葛藤が心で起こっていたが、人工的にざわめいた葉や砂利を踏みしめる音が耳に届き、判断は瞬時に行われた。先ほどまで気配のみで姿を露わさなかった者達も登場し始めたのだ。


「わかったわ」

私は頷くと屈み込み掻っ攫うように猫王子を抱え込み、先へ向かって駆けだした。








「もう大丈夫よ?」

優しくそう腕の中にいる猫王子へと告げるが、彼はしがみ付いたまま離れない。

私の首筋に顔を埋めているのだが、なんだかそこが湿っぽい。

泣いているのだろう。

清らかな雫が私の鎖骨を伝い流れていく。震える背を何度も撫でて、なんとか彼を落ち着かせた。

きっと彼は心の何処かで信頼していたのだろう。ストリッド様を。


猫王子とストリッド様の過去を私は知らない。

けれども、彼の中では色褪せない思い出だったのだろうと推測する事は容易だ。

だから、こんなにも深く傷ついている。


「どうしてこうなっちまったのかな……? 昔はこんなんじゃなかったのに」

「難しいわね。ありがちな答えかもしれないけど、一度こじれてしまった糸を解くのはやすやすと出来る事ではないわ。混沌の魔女を倒し、尋問しましょう。真犯人を。もし、ストリッド様が主犯ならば、腹をわって話し合うしかないわ。そして過去に終止符を」

「無理だ。見ただろ? あいつは俺を憎んでいる」

「諦めないで。真実を探しましょう。お兄様があちらにいらっしゃるから、もしかしたら手がかりを得ているかもしれないわ。大丈夫」

きっと何か糸口を掴んでいるかもしれない。あのお兄様の事だから――


書庫の本が全て頭に入っているんじゃないかって思うぐらいに明晰な頭脳。

それからずば抜けた観察力と洞察力。なんと言ってもカーツィア家の最強の跡取りだもの。


「俺、情けなくて自分が嫌になる。サアラの前では、カッコいい男でいたいのに」

「いつもカッコいい猫よ」

「人間の男だって言っているだろ!」

顔を上げ、目を細めて睨んだ猫王子。

すぐ間近のためほんの数センチ近づけば、お互いの肌が触れ合えるだろう。


「そうね。雄猫ね。きっといろんな雌猫にモテるわ」

「……もういい。なんかいつも通りでちょっと心も戻った。降ろしてくれ」

「えぇ」

言われるがまま私は彼を地へ降ろす。

すると猫王子は腕で涙を拭うと、ゆっくりと何度も新鮮な空気を吸い込み体に浸透させるようにすると、それをゆっくりと吐き出した。

それを二・三回程繰り返していく。

そしてこちらを見上げると、凛々しい顔つきをした。


「全て終わったら、あいつと話し合いしてみる」

「そうね。それがいいわ」

「だからその前に混沌の魔女と戦って、真実を暴き魔力干渉をなんとかする。力を貸してくれ」

 深々と頭を下げる猫王子を目にし、私は頷いた。

 


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