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27 敵の影

「お母様から? 素敵ね」

「でしたらあなたに差し上げますよ。こんな呪いの鎖」

そう冷たい針のように呟く彼の不気味なぐらいに上がっていた口角。

そしていつもの弱々しい雰囲気と違い、闇色の空気を纏っている。

いつもと違うそれは、ギャップのせいだろうか?

理由はわからない。

けれども言い知れぬ恐怖にぞくりと背中に悪寒が走り、反射的に彼と距離を取ろうと後ろに退いてしまう。


「貴方、一体……――」

「おい! どっちか手伝ってくれ! 猫の手じゃ、二個が限界だ!」

私の言葉が全て音となる前に、突然猫王子の声が私と彼の間に割り込んできてしまった。

それを合図のように、ルドルフ様もいつもの彼に戻ってしまった。

雰囲気も声もいつも通り弱々しい。


「今、参ります」

ルドルフ様はゆっくりと私へ頭を下げると、背を向け猫王子がいる方向へと向かって行ってしまう。

「……なんだったの? 今の」

ぽつりと私の呟きを空が吸い込んだ。







ラペヌの村にて全ての女神詣を終えた私達は、いよいよ最終目的地である混沌の森へと向かうべく足を進めていた。左右を深い木々に囲まれた、先の見えない道。

この綺麗な緑色の世界を抜ければ、黒い境界線が引かれた混沌の森へと辿り着く。

本来ならば安全を危惧して、全面立ち入り禁止区域。

そのため、全く人とすれ違う事はない。

ここは私有地ではなく国有。

そのため、今回は皇帝やお父様に出て頂き交渉。立ち入りを特別に許可して貰っていた。


「なんか、熊とか出そうだな」

左右を木々に囲まれる中、小石を踏みしめていく。

葉が触れ合い擦れているような囁きに混じり、獣の声も遠くから耳に届いてくる。  


「兄上。足元気をつけ下さいね」

「わかっている。でも、擦りむいてもお前が居てくれるから安心だ。王宮でも名のある薬師だからな」

「そんな大げさな……」

私の前方を仲良く歩いている二人。いつもと変わらない。

お互い顔を合わせながら、穏やかに話をしている。

そんな彼らを後方から眺めながら、私は先ほどの事を思い返していた。

ラペヌ村の女神像前にて、起こったルドルフ様の異変。

違和感を覚えたのは、あの時だけ。今はご覧の様に普通だ。


母親との確執。それが彼の心に影響を与えているのは確実だろう。私もそれは理解出来る。

それでも気になってしまう。あんな風な感情に乏しい姿。あれはギャップのせいか否か。

顎に手を添え、じっと凝視する。

するとふわりと彼の髪が大きく半円を描くように揺れ動いてしまった。


「あの……どうかしましたか……?」

どうやらあまりにも探るような視線を送り過ぎていたらしく、ルドルフ様が立ち止まり振り返ってしまったようだ。何の反応を示さない私に対して、小動物のように肩を小さく震わせている。


――前髪がもっと短ければ……


普段は別に気にも留めてなかったが、人の嘘は瞳を見ればわかるらしい。

そんな言葉を思い出し、それを如実に今感じる。

前髪に隠れる瞳は、一体何を語っているのだろうか。

溢れ出ている魔力もさっと見る限り、ランクも一から二なので普通。

ただ、違和感が拭いきれない。

許可を得ていないけれども、もう少し深く――……と、意識を集中させかければ、それを裂くような喚き声が私とルドルフ様の間へと割り込んで来た。

それに対して私は、「え」という間の抜けた声を上げてしまう。


「おい、なんだ!? その空気は!」

「なんでもないわ」

「嘘だ! 今、見詰め合っていただろ。人間には興味がないって言ったくせに!」

「言ったわ。でもルドルフ様はそういうのではないの。一体どうしたの? もしかして焼きもち? なら嬉しいんだけど」

「はぁ!? 何を調子に乗っているんだ。別にお前が誰と仲良くしようが、ちっとも関係ないに決まっているだろうが。決して、ルドルフに惚れたのか! なんて思ってないんだからな」

「そう」

 ほんの少しだけ残念。まぁ、でも気になるという事は嫌っていないという事なので良しとしよう。

「え、いや。そのさ……もう少し……」

やたら歯切れの悪い言葉を漏らしながら、猫王子は段々と俯き始めてしまう。

そして影ごと縫い付けられてしまったかのように、ぴくりとも動かなくなってしまった。

纏っている空気も心なしか、この薄暗い森のようだ。


「――っ」

「え?」

何か彼が言葉を漏らしたような気がする。でもそれは耳には届かないぐらいに粒子状。

そのため、私は聞き返すためにしゃがみ込んだのだけれども、彼は突然体を戦慄かせた。

かと思えば、「気づけよ! 馬鹿サアラっ!」と暴言を喚き散らしながら駆け出してしまった。

さすが猫。俊敏。

その背があっという間に小さくなっていく。それも可愛い。


「……って、ちょっと待って!」

関心している場合じゃない! 一人で先に進むのは危険だ。

人目のある町ならまだしも、ここは山道。死角も多い。そのため左右から攻撃を受けてしまう可能性だってある。

慌てて追いかけようと足を踏み出した瞬間、すぐ傍で魔力の発動を感知。

「猫王子っ!」

そのため、とっさに叫んだ。

けれども言葉が全て紡ぎ終わり間もなく、彼の周りには異変が生じる。

突然円形状の黒い物体が、頭上や肩、足元付近へと数十個浮かび上がってきたのだ。

それらは僅かの間に短剣に変形し、彼に刃を向け襲いかかっていく。

この状況では詠唱も間に合わないし、私が駆けつけるにも距離がある。

残された道は猫王子が全て避けきってくれる事だけれども、そんな事が出来る人間は暗殺者か何か特殊な人だろう。


彼では無理だ。絶望的な結末しか残されてない。

私はそれでも抗おうと、詠唱を――……と、唇を動かせば、何か硬い物を爪で引っ掻いたような耳を塞ぎたくなる音が響き渡り、たまらず動きを止めてしまう。

その音と共に猫王子を青白い光が包み守り、彼の体に刃が刺さる事は無かった。









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