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21 混沌の魔女VS破壊の魔女

弱くなりかけた心を首を左右に振ってなんとか奮い立たせると、カーテンを閉めた。

触れている厚手の天鵞絨のカーテン。

それのごわっとした質感だけがやたら強く感じていたその時だった。


「――あらぁ? 素敵な部屋ね」

というまるで世間話でもしゃべっているような、軽い声音が響き渡ったのは。

「なっ……」

弾かれたように顔を上げると、窓ガラスに見知らぬ女が映し出されている。

振り返れば、扉隣の壁に凭れるようにそいつがいた。

床まで届きそうな血の様に鮮やかなストレートの髪と、地上に降る初めての雪のような清らかな白い肌。

そのコントラストが対照的で美しさを通り越し、体全体に鳥肌が立つ。


「……どうして」

まるで数時間何も飲んでいなかったかのように、口の中が張り付いて言葉が上手く回らない。

鐘のように鼓動が一度大きく高鳴ると、段々とその間隔を縮めていく。

転移魔法は符と呼ばれる魔力を込めた紙が貼られている場所など限られている。

符の魔力はそれぞれ許可を与えられた者のみが利用可能。

それなのに何故ここへ辿り着く事が出来たというのだろうか。


「忘れて貰っては困るわ。私はランク七。これぐらい容易いことよ。貴方の魔力を辿ったの。そしてちょっとだけ魔力の形を変えただけ」

冷えきった夜に見るような月色の瞳を細め、彼女はふっくらとしたベリー色の唇を上げた。

「簡単って……そんな……」

私は首元に見えない剣先を突き付けられたかのような感覚に陥ってしまう。


「ねぇ。そこの猫ちゃん。私に殺させてくれない?」

「殺すなんてフレーズ、冗談でも聞きたくないわ」

「私、本気よ。だから、その子を渡して」

クスクスと笑っている彼女の瞳は揺らがず真っ直ぐ。

それだけで、彼女の本音だという事が理解したくなくてもわかってしまう。

純粋でその澄んだ彼女が纏うのは、狂気。


「断るわ」

私は即答し、右手を天へと翳した。そして紡ぐ。詠唱を。

「尊き世界よ。我の言葉を聞き、我の声に答えよ。天に輝く星々より放ち守れ」

全て音として形を成すと、絨毯の上に魔方陣が現れる。そして私の周りに浮遊する淡い青い光。その蛍のような発行体は、姿を変え矢の形に。


「いいのかしら? こんなに素敵な部屋が壊れちゃうわよ?」

「修繕費はコンクェスト国に払って貰うから問題ないわ」

なるべく攻撃力を加減し、破壊するならこの部屋だけにしなくては。他の宿泊客に怪我人を出してしまうのだけは避けたい。


――でも、そんな理想的な事、この女相手に無理ね。やっぱり、隙を作って逃げるしかないわ。


攻撃魔法後に、すぐ傍の窓から逃走しよう。転移魔法ではまた辿られてしまうから。

「光の矢よ、敵を滅せ」

私が手を前方へと振りかざすと、その矢が混沌の魔女に向かって放たれた。

それにも臆することなく、彼女も淡々と詠唱を紡いだ。

「真白き世界よ。主である私が命じる。清らかな純真な風よ、私の盾になり守り敵をひれ伏せ」

彼女が手を斜めに空を切るような仕草をすれば、突風が私達の間で発生。

まるで爆発でも起こったかのような強い風。

その攻撃のせいで光の矢がかき消されたかと思えば、姿の無い大きな壁みたいなものにより、私の体は窓枠へと押し飛ばされてしまう。

衝撃で体が弾み一度宙に浮き衝撃が内臓に伝わり、私の体が悲鳴を上げた。


「――っ」

「サアラ!」

猫王子が慌てて駆け寄る姿が瞳に映し出されたが、気管に何か詰まっているかのようにまともに呼吸が出来ない。逃げて。そう叫びたいのに。もどかしい。

「つまらないわ。こんなにあっさりなんて。もう少し頑張って欲しい所なんだけども。よくこんなに弱いくせに、私を倒そうと思ったわね。笑えるぐらい愚者。あの女……ルカみたい」

混沌の魔女はカツカツと小気味いいヒールの音を響かせ、こちらにやってきた。

そして猫王子へと手を伸ばす。彼を助けなければ! でも、指先すら動かせない。

それでも、なんとか荒い呼吸と共に彼らの名を吐くように呼んだ。


「――キシリ、ガラン」

「……っ」

混沌の魔女の後方に突如二つの大きな影が飛び出し、そのまま大きく口を開け首元と脇腹を噛んでいる。

それは私の使い魔である、黒豹達だった。

「どうかしら? 私の影、可愛いでしょ」

「全然。私、猫って嫌いなの。特に金色の賢いやつ」

それに私だけでなく、「え?」と王子もぴくりと反応した。

それって、たしかコンクェストの王族を守る神のはず。


「でも、いつの間に? 全くこの猫――あぁ、豹かしら? 存在に気付かなかったわ」

キシリとガランに首と脇腹を噛まれているのに、彼女は腕を組んだまま何食わぬ顔で肩を竦めた。

そして面白そうに器用に唇を片方だけ上げる。

「初めから。私の魔力はこの部屋に最初から感じていたでしょ? あれは残留魔力ではなく、この子達。だから貴方は気づかなかっただけ。この子達はずっとこの部屋にいたの」

留守中に泥棒対策にと残してきていたのが、まさかこんな風に役に立つとは。

行動が何処に繋がっているかなんてわからないものだ。


「意外となかなかやるのね。破壊の魔女も」

「その呼び方ではなく、猫狂いの呼名で呼んで欲しいわ」

「そうね。そちらの方がふさわしいかも。こんな縁もゆかりもないような王子を助けているのだから。でも、残念ね。これ、本体ではないの」

「……でしょうね」

彼女の肌も白い衣服も汚れが全くない。血が流れてないから当然だ。

そのため、それは幻視魔法と呼ばれる高度な魔法だという事を想像する事が出来る。

彼女を消すには本体を先に消すか、この幻影を魔力ごと吹き飛ばす以外道はない。

力の差がここまで大きいとなると、正直本体となんて戦いたくない。

勝負をするまでもなく、敗北は目に見えているからだ。


「まぁ、今日は帰るわ。挨拶だけのつもりだったから。それに、どうせなら纏めて消し去る方が楽だし」

混沌の魔女はそう言うと、パチンと指を鳴らす。

すると足元から薔薇の花が咲き誇り、その花弁が散ると光の渦になっていく。

そして混沌の魔女の身を包むように覆うと、そのまま弾くように消えてしまった。


残留魔力も感じず、目視できる限り何も異変は窺えない。本当に食えない相手だ。

――……あぁ、でも退いてくれて助かったわ。

やっとまともに息が出来る。完全に安全な領域を確保でき、私は安堵の息を漏らした。

緊張で固まっていた体も、少し力が抜け、今まで全く感じなかった床の冷たさも硬さも感触が戻ってきた。辺りを包む静寂すら優しく思える。


「サアラ」

そんな安らかな空間へ、再度魔力の歪みを感じ、私は身を起こそうとしたがそれが知った魔力だったので、そのまま寝ころんだままでいることにする。

草原のように優しげな色をした光の粒子が、目の前に集まりそれが人の姿を形成していく。

ふわりと靡くのは、王宮魔術師団長の証である深紅のマントだ。


「大丈夫かい?」

リンクス様によりかけられた言葉に私は頷いた。

彼はそれを見ると、安堵の表情を浮かべた。

かと思えば、倒れている椅子やテーブルを魔法で元へと戻していく。

そして今度は私の傍で屈み、こちらに手を伸ばして抱き上げると、椅子へと移動させてくれた。

ふかふかの背もたれは、痛んだ体を優しく包んでくれている。


「お互い無事のようで何よりです」

「あぁ。王子は無事かい?」

彼の言葉に、私は猫王子へと視線を向ける。

すると猫王子は先ほどのまま、あの場に佇み俯いていた。

返事のないその様子を怪訝に思ったのか、リンクス様は彼の元へと向かうと、しゃがみ込んで彼へと手を伸ばした。でも、それも寸前で止まる。それは、「もういい……」という彼の台詞によって。

酷く思いつめた猫王子の表情。まるで世界中の痛みを引き受けたかのよう。


「……ここで別れよう。今までありがとう」

「どうしたの? 急に」

「自分から巻きこんでおいてなんだけどさ、後は俺一人でなんとかする。だからもう帰れ」

「王子……」

どうやら彼も再度彼女と対峙して思い知ったのだろう。たった一ランクの違いの大きさを。

「それは出来ないわ」

その言葉に二人の瞳がこちらにぶつかった。


「俺が猫だからか!?」

「正直それが一番大きいわ。でも、何よりお姉様の予言。あれって当たるの。そうなれば、大変な事が起きるわ。だから、私は貴方を守り、力添えするつもり。そしてこれから出会うであろう、終焉の姫を止める。これは私がしたくてやっている事。だから貴方は一切気にしなくてもいいの」

そう言って手を伸ばして猫王子を抱きしめた。

小さい体でいろいろと考えてくれているのだろう。

元々可愛くて愛しい存在なのに。だから尚更切に思う。この存在を守らなければならないと。


「サアラ……」

ぎゅっと首元に何かふさふさのものが巻き付くと、首元にちくりとなにか当たった。

視線をそちらに向けると、何やら黒くて細長いものが触れている。どうやらそれは猫髭のようだ。


「あっずるい。僕も君の力になるよ」

とリンクス様もどさくさに紛れ、猫王子と私ごと抱きしめた。

彼は念願叶ったらしく、溶けた生クリームのような表情を浮かべている。


「ああっ。やっと抱きしめられるよ。可愛い王子」

そんな声がいつもより、一オクターブ高い。

「俺に触るな。って、おい! 何処触っている!?」






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