番外編 「明日も、誰かのもとへ」
【 scorpion - 星々の世界 - 】の番外編です。
是非本編を読んでからまたお越しください。
――二年前、イヴェール領。
その年、各地で食料不足が深刻化していた。
市場に並ぶ品は日に日に少なくなり、値段は上がり続けている。十分な蓄えのない家庭では、食事の回数を減らしてしのぐ者もいた。
イヴェール家の執務室には、各地から届いた報告書が積み重なっていた。
「こちらの村では、先週から穀物の配給量を減らしているそうです。隣の集落も、備蓄がほとんど残っていません」
報告を受けたルカは、眉を下げた。
「……そうか。間に合わなかったか」
「まだ間に合います」
セレナが地図の上に指を置いた。
「備蓄を開放しましょう。領内だけではなく、周辺地域にも支援を送れるように。食料だけでなく、薬や毛布も必要な場所があるはずよ」
「そうだね。各地の状況を確認しながら、必要なものを届けよう」
ルカはすぐに書類を引き寄せた。
支援を決めるだけなら、執務室にいてもできる。
けれど、どこに何が必要なのかは、書類だけでは分からない。
「私たちも現地へ行きましょう」
セレナの言葉に、ルカは迷わずうなずいた。
「うん。直接、話を聞きたい」
そのとき、扉の向こうから控えめなノックが響いた。
「失礼します。特殊部隊への指示について、ご相談があると伺いました」
入ってきたのは、ヴェルマリスだった。
二年前。今より幼さの残る顔立ちをしていた彼は、手にした報告書を机に置いた。
「ルカ様、セレナ様。部隊の準備は進められます。輸送路の確認と、物資の護衛、それから配給場所の警備を担当させてください」
「ありがとう、ヴェルマリス。助かるよ」
ルカが微笑むと、ヴェルマリスも嬉しそうに笑った。
「はい! 任せてください」
それから、地図に目を落とす。
「……この村、道が狭いですね。荷車を何台も連ねると、途中で詰まりそうです。手前で分けて運んだ方がいいと思います」
さっきまでの明るい表情が、仕事の話になった途端、真剣なものに変わっていた。
セレナはその様子を見て、小さくうなずく。
「では、あなたの部隊に輸送経路の調整もお願いするわ」
「分かりました、セレナ様。先に道を確認しておきますね!」
ヴェルマリスは書類を抱え直し、部屋を出ようとした。
「あ、そうだ」
扉のところで振り返る。
「お二人も現地へ行かれるんですよね?」
「ええ。そのつもりよ」
「じゃあ、僕たちが先に行って、危ないところがないか見ておきます! 足元が悪い場所もあるみたいですし」
「分かったわ。気をつけてね」
「はい!」
返事だけは、いつもの彼らしい軽やかさだった。
扉が閉まると、ルカがぽつりと言った。
「頼もしくなったね」
「そうね。でも、無理をしていないかは見ておかないと」
「……セレナは、ヴェルマリスのことになると心配性だね」
「あなたもでしょう?」
「それは、そうだけれど」
二人は顔を見合わせ、静かに笑った。
*
数日後。
イヴェール家の支援物資を積んだ荷車が、領内の小さな村へ到着した。
村の広場には、朝から多くの人が集まっていた。
食料が届くと聞いて駆けつけた人々。しかし、喜びだけではない。これまでの不足が長引いていたせいか、誰もが不安そうに荷車を見つめている。
「順番にお配りします。どうか、押し合わずにお待ちください!」
特殊部隊の隊員たちが声をかけ、配給の列を整えていく。
別の隊員は荷車から穀物の袋を下ろし、村の担当者と数を確認していた。
その様子を見届けてから、ヴェルマリスは広場の端へ歩いていった。
列から少し離れたところに、幼い子どもを連れた女性が立っていた。
女性は列を眺めているものの、並ぼうとはしない。
「どうかしましたか?」
声をかけると、女性は驚いて振り返った。
「あ……いえ。私たちは、後でいいんです。小さい子がいる方が先でしょうから」
ヴェルマリスは、彼女の隣にいる子どもを見た。
子どもは母親の服を握り、広場に並べられた食料をじっと見つめている。
「でも、あなたたちにも必要でしょう?」
「それは、そうですが……」
「だったら、受け取ってください。皆さんに届けるために持ってきたものですから」
彼は特別扱いするでもなく、ごく自然にそう言った。
「順番にお渡ししています。こっちですよ!」
女性はしばらく迷っていたが、やがて小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「いえいえ!」
ヴェルマリスは笑って、配給場所へ案内した。
その途中、子どもが彼の服の裾をちょんと引いた。
「お兄ちゃんも、これ食べるの?」
「オレ? うん、食べるよ!」
「おいしい?」
「おいしいよ! ……たぶん、いつも食べてるのと同じようなものだけど」
子どもは少し考え、それから笑った。
「じゃあ、ぼくも食べる!」
「うん! いっぱい食べて、大きくなってね!」
ヴェルマリスは、子どもの頭を軽く撫でた。
その光景を少し離れたところから見ていたカールが、隣のノアに小声で話しかける。
「隊長、ああいう子どもには本当に弱いっすよね」
「そうか? 大人相手でも、困ってるのを見つけたらすぐ行くけどな」
ノアが穏やかに返すと、エマもくすっと笑った。
「隊長、見つけるのも早いんですよね。さっきも、あっという間にあちらへ行ってしまいましたし」
「聞こえてるよ!」
ヴェルマリスが振り返った。
三人がそろって口を閉じる。
「そんなところで話してないで、手伝ってよ。まだ荷物あるんだから!」
「はーい!」
「了解です、隊長」
三人は笑いながら、それぞれの持ち場へ戻っていった。
ヴェルマリスも、もう一度子どもに手を振ってから、荷車の方へ駆けていった。
*
広場の反対側では、セレナが村人たちの話を聞いていた。
「食料だけでなく、薬も足りていないのですね」
「はい。薬草を採りに行くにも、食べ物を探すにも時間がかかってしまって……」
「分かりました。医薬品も追加で手配します。今、体調を崩している方はいらっしゃいますか?」
セレナは一人ひとりの話を聞き、必要な物資を記録していく。
遠くからその姿を見つけたルカも、別の家族の話を聞いていた。
「家に小さな子が三人いて、妻も最近はあまり食べられていないんです」
男性は申し訳なさそうにうつむいた。
「どうか、謝らないでください」
ルカは穏やかに答えた。
「困ったときに支え合うのは、当然のことですから。必要なものを教えていただけて、こちらこそ助かります」
その言葉に、男性は顔を上げた。
「……ありがとうございます、侯爵様」
「どうか、ご家族を大切になさってくださいね」
ルカは配給担当者に必要な量を伝え、男性を見送った。
その後も二人は広場を回り、村人たちの声を聞き続けた。
決して、物資を渡して終わりにはしなかった。
何が足りないのか。次に何を届けるべきか。支援が本当に必要な人へ届いているのか。
現地でしか分からないことを、一つずつ確かめていった。
*
日が傾き始めた頃。
ヴェルマリスは最後の荷物を確認していた。
「これで、この村への配給はひとまず完了です。追加で必要な物資については、報告書にまとめてあります!」
「ありがとう。ご苦労さま」
ルカが声をかけると、ヴェルマリスは顔を上げた。
「いえ! まだ隣の集落もありますから。明日には届けられるようにしますね」
「そうね。引き続きお願いするわ」
セレナも報告書を受け取り、目を通した。
「……よく気づいてくれたわね。薬が必要な家庭も、きちんと記録されている」
「村の人に聞いたんです! 食べ物だけじゃなくて、薬も足りてないって。まだ気づいてないことがあるかもしれませんね」
ヴェルマリスは報告書をのぞき込むセレナを見上げた。
「……よく気づいてくれたわ。いい仕事をしたわね、ヴェルマリス」
「本当ですか?」
ぱっと顔が明るくなる。
「やった! ありがとうございます、セレナ様!」
嬉しそうな彼を見て、ルカも微笑んだ。
「帰ったら、みんなで食事にしようか」
「えっ、本当ですか? やった! 今日、いっぱい動いたからお腹空いちゃいました!」
「ふふ。そうね。あなたもちゃんと食べないと」
「あ、でも、その前に部隊の報告をまとめないと……」
ヴェルマリスは腕に抱えた書類を見下ろした。
「それなら、食事の後にすればいいんじゃないかな?」
ルカに言われ、彼は少し考えてから、ぱっと顔を上げた。
「……そうします! ジャンにも、先にご飯にしようって言ってきますね!」
「ええ。お願いね」
ヴェルマリスは元気よく返事をすると、仲間たちの方へ駆けていった。
広場の向こうでは、村人たちが受け取った食料を抱えて家路についていた。
朝には不安そうだった人々の表情にも、少しずつ安堵が戻っている。
ヴェルマリスは、荷車のそばで手を振る子どもの姿を見つけた。
「あっ、さっきの子!」
彼も大きく手を振り返す。
子どもは母親の隣で、嬉しそうに笑っていた。
その姿を見て、ヴェルマリスも自然と笑顔になった。
*
帰りの荷車の中。
セレナは集めた報告書を整理し、ルカは次の支援計画について考えていた。
その向かいで、ヴェルマリスは窓の外を眺めている。
「ヴェルマリス、疲れていないかい?」
ルカに尋ねられ、彼は振り返った。
「大丈夫です! まだまだ動けますよ!」
そう言ってから、自分のお腹に手を当てる。
「……あ、でも、お腹は空きました!」
ルカが小さく笑った。
「ははっ。そうだね。帰ったら、みんなで食事にしよう」
「本当ですか? やった!」
ヴェルマリスは嬉しそうに声を弾ませた。
「セレナ様、今日のご飯、何でしょうね?」
「さあ、何かしら。帰ってからのお楽しみね」
「えー、気になります! ジャンたちにも聞いてみようかな」
「ふふ。ジャンも知らないと思うわよ」
「そうかなあ……」
ヴェルマリスは少し考え込んだあと、すぐに窓の外へ目を戻した。
「……あっ、でも、明日の準備もしないとですね。隣の集落までの道、もう一回確認しておきます!」
「頼りにしているよ。ただし、無理はしないこと」
「はい、ルカ様!」
セレナも、優しい声で続けた。
「あなた自身も、きちんと食事を取るのよ」
「もちろんです! いっぱい食べます!」
「ふふ。それなら安心ね」
荷車は、夕日に照らされた道を進んでいく。
窓の外には、帰りを待つ屋敷がある。
そして明日には、また別の村へ向かう。
まだ支援を必要としている人はいる。今日だけですべてが解決したわけではない。
それでも、今日出会った子どもが笑ってくれたことは、ヴェルマリスの心に残っていた。
明日も、あんなふうに笑ってくれる人が増えたらいい。
そんなことを考えながら、彼は仲間たちの待つ屋敷へと帰っていった。
ヴェルマリスの隊員達を徐々に出していく予定です!お楽しみに!




