第84話 暴動の境界
「……分かりません」
その一言のあと、音が消えた。
広場にいた誰もが、動かなかった。
神託官が答えを持たない。
それは、これまで存在しなかった状況だった。
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「……は?」
誰かが間の抜けた声を出す。
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「分からないって何だよ」
別の声が重なる。
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ざわめきが戻る。
だがそれは、さっきまでの怒りとは違う。
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不安。
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「神託じゃないのか」
「どうすればいいんだ」
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支えが消えた。
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アルノーは一歩踏み出しかけて、止まる。
胸がざわつく。
今なら、整理できる。
言葉を並べれば、
選択肢を示せば、
少なくとも崩壊は防げる。
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だが。
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視界の端で、リリアーナが動かない。
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何も言わない。
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見ている。
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それだけだった。
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アルノーは歯を食いしばる。
「……今は」
言葉を飲み込む。
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その間に、空気は崩れ始める。
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「じゃあ決めろよ!」
若い男が叫ぶ。
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誰に向けてか分からない。
だが、その声に別の声が重なる。
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「軍だろ!」
「将軍がいるじゃないか!」
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矛先が、動く。
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レオンハルトへ。
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彼は一歩も動かない。
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「決めろ」
群衆の中から声が飛ぶ。
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「助けるって言っただろ!」
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レオンハルトはゆっくりと視線を巡らせる。
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その目は冷静だった。
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「決めれば」
低く言う。
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「従うのか」
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沈黙。
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その問いは鋭かった。
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誰もすぐには答えられない。
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だが、誰かが言う。
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「従う!」
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その一言で、流れが決まる。
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「従う!」
「決めてくれ!」
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声が揃い始める。
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アルノーの背筋が冷える。
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それは、
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神託と同じ構造だった。
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ただし今度は、
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**人に向いている**
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レオンハルトは短く息を吐く。
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「……分かった」
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その一言で、空気が引き締まる。
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「港の再編を行う」
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「リュミアへの流れを一部止める」
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「ヴェルクに回す」
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ざわめきが広がる。
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「そんなことできるのか」
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「やる」
即答。
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「責任は俺が取る」
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その言葉に、群衆が揺れる。
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明確な責任。
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神ではない。
目の前の人間。
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「……やれるのか」
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「やる」
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再び同じ言葉。
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それだけで十分だった。
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群衆の中に、安堵が広がる。
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だが。
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「ふざけるな」
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低い声が割り込む。
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振り向くと、別の商人が立っていた。
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「リュミアの契約はどうする」
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「勝手に止めれば違約だ」
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その言葉に、空気が一変する。
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現実。
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レオンハルトは答える。
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「軍が保証する」
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即答だった。
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「損失は王国が引き受ける」
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ざわめきが広がる。
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それはつまり、
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国家が介入するということ。
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アルノーは息を呑む。
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「……そこまで」
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リリアーナは小さく言う。
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「踏み込みましたね」
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これはもう、
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都市の問題ではない。
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国家の問題だ。
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その時、
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群衆の中から怒号が上がる。
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「遅いんだよ!」
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別の男が叫ぶ。
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「もう潰れた店があるんだ!」
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「今さら何だ!」
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怒りが、戻る。
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今度は明確な対象を持って。
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神ではない。
リュミアでもない。
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**目の前の決断そのもの**
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アルノーの鼓動が早くなる。
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「……止まりません」
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「ええ」
リリアーナは答える。
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「ここからは」
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「もう」
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その先を言う前に、
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誰かが石を投げた。
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乾いた音。
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倉庫の壁に当たる。
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その瞬間、
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空気が壊れた。
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「やれ!」
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誰かが叫ぶ。
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人が動く。
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押し合う。
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怒号が一気に広がる。
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レオンハルトが即座に命じる。
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「止めろ!」
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兵が動く。
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だが間に合わない。
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広場の一角で、殴り合いが始まる。
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アルノーは息を呑む。
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崩壊。
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それは、
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今、目の前で起きている。
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その時、
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誰かが叫んだ。
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「神託はどうした!」
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その一言で、
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空気が再び揺れる。
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人はまだ、
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答えを求めている。
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神か。
人か。
それとも力か。
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三つの選択は、
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もう分離していない。
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すべてが混ざり、
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ぶつかり、
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そして今、
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ヴェルクを壊そうとしていた。
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