第5話 悪役に仕立てられる日
それは、本当に些細なことだった。
王宮内の回復魔法に関する手順を、リリアーナが修正した。
これまで曖昧だった責任範囲を明文化し、承認の流れを整理しただけ。
混乱を防ぐため。
事故を避けるため。
――いつも通りの仕事だ。
「リリアーナ様」
廊下で呼び止められ、彼女は足を止めた。
声の主は、聖女エミリアの側仕えの少女だった。
「聖女様が……少し、お困りで」
「内容は?」
即座に問うと、少女は言いにくそうに視線を伏せる。
「回復の場に、書類が増えてしまって……。
聖女様は、人を癒したいだけなのに、形式ばかり重くなったと……」
リリアーナは、状況を即座に整理する。
(正式な承認を経ない回復魔法を止めた。
それを“妨害”と受け取ったか)
「必要な手順です」
それだけ告げて、歩き出そうとした。
その瞬間。
「待ってください!」
少し高い声が、廊下に響いた。
振り返ると、エミリア本人が立っていた。
白い衣が、いつもより揺れている。
「私、間違ったことをしていましたか?」
真っ直ぐな目。
責める色はない。
ただ、疑問だけがあった。
「規則を整えただけです。
聖女の力を否定したわけではありません」
「でも……皆さん、困っているみたいで」
その言葉に、周囲の視線が集まる。
文官、侍女、騎士――誰も口は挟まない。
空気が、決まり始めていた。
「融通が利かない」
「聖女様がやりにくそう」
「前から厳しい方だった」
誰も声にしない。
だが、そう“思われている”のは、わかった。
「リリアーナ」
そこへ、アルベルトの声。
「少し、やりすぎじゃないか?」
困ったような笑顔。
責めるつもりはない、という態度。
――いつもの逃げ道だ。
「やりすぎ、とは?」
「聖女は特別な存在だ。
もう少し、配慮があってもいいと思う」
配慮。
便利な言葉だ。
誰の責任も、曖昧にする。
リリアーナは、ほんの一瞬だけ考えた。
ここで反論すれば、正論は通る。
だが、それは“空気”に逆らうことになる。
彼女は、選ばなかった。
「承知しました」
そう言って、一礼する。
それだけで、場の空気が緩んだ。
――悪役は、役目を引き受けた。
エミリアは、ほっとしたように微笑む。
「ありがとうございます。
きっと、皆さんも安心します」
その言葉が、決定打だった。
善意。
疑いようのない、善意。
だからこそ、誰も止めなかった。
リリアーナは、その場を静かに離れる。
背後で聞こえる、安堵の声。
小さな囁き。
「やっぱり、あの方は厳しすぎる」
「聖女様が可哀想」
――想定内。
廊下を曲がり、誰もいない場所に出たところで、彼女は足を止めた。
(これで、“悪役”は完成)
正しさを保ったまま、嫌われる。
それが、一番切りやすい。
リリアーナは表情を変えず、次の予定を思い浮かべた。
(次は、公の場だ)
婚約者としての立場が、
“問題視される”段階に入る。
それだけのことだった。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




