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婚約破棄された悪役令嬢ですが、仕事を奪った王宮が先に崩れました  作者: 水城ルナ


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101/109

第101話 番外編 契約にない話

完結後の、小さな後日談です。

大きな事件は起きません。季節がひとつ巡っただけの、静かな話です。


・本編の結末のあと

・恋愛は最後まで控えめのままです

 王都を離れた街に、春が来ていた。


 リリアーナ・エヴァレットは、借りている小さな家の窓辺で、届いたばかりの書簡を整理していた。


 各地から回ってくる報告は、以前より穏やかだ。神託を巡る混乱が消えたわけではない。ただ、どこかで誰かが線を引き、別の誰かがそれを引き継ぐ――その繰り返しが、少しずつ形になりつつある。


 (……回っている)


 彼女が表に立たなくても、だ。

 それでいい。最初から、そう望んでいた。


 書簡の束を仕分け終えたとき、扉が叩かれた。


 規則正しい、迷いのない叩き方。


 リリアーナは、手を止めた。

 この叩き方を、彼女は一人しか知らない。


「――どうぞ」


 入ってきたのは、第二王子カイエル・ルーヴェンだった。


 供も連れず、飾りもない。ただ、まっすぐに立っている。


「久しぶりだな」


「ええ」


 リリアーナは、すでに次の動作に入っていた。

 机の上を片付け、白紙を一枚、手前に引き寄せる。


 カイエルが直接ここへ来る理由は、一つしかない。

 案件だ。誰かが決めきれない何かを、彼女の前に置きに来る。それが、二人の間にある形だった。


 (また、線を引く仕事)


「座ってください。……それで、何が起きています?」


 カイエルは、椅子には座らなかった。


「何も」


 短い答え。


「……何も?」


「今日は、案件を持ってきていない」


 リリアーナは、引き寄せたばかりの白紙を見た。

 使う場所のない紙が、そこにあった。


 彼女が、白紙を前に手を止めるのは、初めてのことだった。


「先月、中央神殿の一斉通達は空振りに終わった」


 カイエルは、窓の外に目をやった。


「命令が届く前に、各地がそれぞれ判断していた。止めようとしても、もう止まらない」


「……連鎖ですね」


「ああ。お前が“別の形”と言ったやつだ」


 彼は、こちらを見た。


「うまくいった、と言いに来た」


 それだけのことを、彼はわざわざ、自分の足で運んできた。


 リリアーナは、少し考えた。


 (報告書で済む話だ)


 書面で送れば、一行で終わる。彼は、それをしなかった。


「……なぜ、直接?」


「聞きたいことがあった」


 カイエルは、言葉を選ぶふうでもなく、率直に言った。


「これが片付いたら、お前はどうする」


 リリアーナは、答えようとして――止まった。


 いつもなら、即答できる。

 どんな問いにも、彼女は用意している。責任の所在。優先順位。次に起きること。すべて、先に想定してある。


 だが、その問いには、用意がなかった。


 (……私は)


 役目が終わったあとの自分を、彼女は一度も想定していなかった。切られる前提で動くことには、とうに慣れていた。だが、切られたあとに“何をしたいか”を、誰かに問われたことは、一度もない。


 自分でさえ、問わなかった。


「……分かりません」


 初めて、彼女はそう言った。


 カイエルは、その答えに、ほんの少しだけ、表情を緩めた。


「珍しいな。お前が“分からない”と言うのは」


「……ええ」


「なら、考えておけ」


 彼は、扉の方へ向かった。


「また来る」


「案件ですか」


「いや」


 カイエルは、振り返らずに言った。


「案件がなくても、来る」


 扉が、静かに閉まる。


 リリアーナは、しばらく白紙を見ていた。

 結局、一度も使わなかった紙。


 (……契約にない)


 彼女が結んだ契約に、この時間の項目はない。表向きの役職も、判断整理権も、拒否権も――どこを探しても、これは書かれていない。


 線の、引きようがなかった。


 彼女は、白紙を、そっと引き出しにしまった。

 捨てはしなかった。


 窓の外で、春の光が、床に長い影を落としている。


 かつて王宮の廊下で、同じ影を見ながら、彼女は「切られる前提で動こう」と決めた。あのとき、影は去っていく背中を照らしていた。


 今、同じ影が、留まる部屋の床に伸びている。


 ――今度は、何と答えよう。


 その問いにだけ、彼女はまだ、線を引けずにいた。


 その音が、次に扉を叩くのは――思っていたより、ずっと早かった。


彼女がずっと得意だった「他人のための線引き」を、初めて自分に向けた話でした。


答えが出るまでには、もう少しかかります。

第二部から、その続きを書いていきます。


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