第八話 中型との戦い
街はそれほど大きくなく、人口も都市とは言えず、おそらく一万人もいないだろう。
徒歩で街を一周するとしても一日もかからないだろうし、長距離のマラソンコースとして街一周する事も考えられるくらいだ。
そんな敷地でも街の周囲を守る防壁を築いているのだから大したモノだが、その防壁も簡単に乗り越えられるとは言わないが、おそらく二階建ての建物かそれより少し高い程度で障壁と言うより防波堤の方が近そうだ。
少なくとも人型の魔物に対する防壁にはなるだろうが、それより遥かに大きな生き物や空を飛ぶ魔物などに対しては無力そうな防壁だった。
それでも住人からすると安心感はあるのかも知れない。
街への道路の整備にも力が入れられているのが分かる。
ここまで力を入れているのであれば、近くに別の街があるのだろうと予想も立てられるが、その分この街路に出る魔物は無視出来ないと言う事なのだろう。
街からあまり離れるなと言う事ではあったが、こちらとしては『ティガー』と言う魔物を探さないといけない。
小型魔物の種類にオークが含まれていたと言う事は、中型魔物と言うのは人間より大きい事は間違いないと思われる。
ハンティングゲームの中でも中型と分類される種の敵はいるが、それなりに大きい魔物である事がほとんどだ。
そう考えていくと、だんだん不安になってくる。
戦うのは赤い眼の剣に任せればいいとしても、ダメージを受けるのは翔英と思われる。
オークや犬との戦いの時には危なげないどころか、まったく相手にもならないほどに圧倒していたので、ダメージを受けたワケじゃない。
手足が勝手に動かされている感触があった以上、ダメージを受けた場合には赤い眼の剣ではなく、翔英が受けると考えるのが当然だろう。
だんだん不安になってきた。
やっぱり下手に欲を出さず、裏山の美化活動か巨大昆虫採集に協力して手堅く稼いだ方が良かったのではないか、と考えてしまう。
「あの、ティガーと言う魔物はどんな姿なんですか?」
翔英は不安のあまり赤い眼の剣に質問する。
「あ? 戦うのは俺で、お前じゃないから気にするな」
確かにその通りかも知れないが、こちらにも心の準備と言うものがある。
出てきたのがスプラッター映画もびっくりな特殊メイク並の見た目であれば、全力で逃げ出そうとするか、心臓麻痺を起こす恐れもある。
「そうだな、見た目には頭があって、手があって、足があるな。わりと大きい。特に飛び道具も無いから、基本肉弾戦になる。接近戦で俺が負ける事は無いから、心配ない」
赤い眼の剣に教えるつもりがない、と言うより、とことん興味が無いと言うのが正直なところだろう。
街から離れるな、と言われなくても街からそれほど離れるつもりはなかったが、それでもそれらしい魔物が見つからない以上は、探して回るしかない。
ここにいるぞぉ、とか言いながら移動してくれれば見つけやすいのだが、それは期待出来そうにない事は分かる。
空を見上げると鳥の様な生き物が飛んでいるが、まず間違いなく翔英の知っている鳥ではないだろう。
こんな長時間になるとは思っていなかったので、空腹がいよいよシャレにならなくなってきている。街に戻っても良さそうだが、それでリタイヤ扱いになってペナルティーと言うのも面白く無い。
今回稼いだら最低でも水筒は用意していた方が良いな、と翔英は呑気に考えていた。
油断出来る様な状況でも経験も無いと言うのに、翔英は今の現実感の無さのせいで現実として受け入れられず、ゲームの延長と言う感覚になっていたのかもしれない。
だから、街路を道なりに進んでいるとき、大きな岩か誰かがカマクラでも作ろうとしたのかと言う小山があっても、まったく気にしなかった。
それが動き、こちらに顔を向けた時、翔英の体は恐怖で硬直していた。
五メートルはあるかと言う、巨大な生き物。
体を丸めて眠っていたのかもしれないが、起き上がるとその生物の歪さが分かる。
異常に発達した上半身に対し、頼りなげな下半身。頭を見る限りでは虎に見えなくもないが、それも無理矢理近い生物を探せばと言うところであり、上半身を歪に異常発達させた虎と言うのが一番近いだろうが、それはもう別の生き物である。
「お目当ての『ティガー』だ。良かったな、見つかって」
赤い眼の剣は気楽に言う。
確かにティガーは虎と言う意味であったと思うが、これは見た目には虎と言うより突進してくる巨大トカゲの方が近いかもしれない。
虎縞ではなく、岩と見間違う様な色合いなので、余計にそう思えるところがあった。
ティガーは寝起きの咆哮と言う訳ではないだろうが、大きく吠える。
大音量だけでもそうだが、獣の咆哮と言うのは恐怖心を煽る。
翔英であれば、ここでゲームオーバーだった。
ティガーは硬直している翔英に対し、異常発達した右手でなぎ払いに来る。
直撃すれば吹っ飛ばされるどころか、場合によっては上半身と下半身を切り離される事になりかねないような風切り音だったが、翔英の体はその攻撃を避ける事が出来た。
赤い眼の剣が翔英の体を使って、その攻撃を躱したのだ。
「もう少し戦闘慣れしてもらわないと、俺も体を動かしづらい」
赤い眼の剣は文句をつけてくるが、そんな事を言われても困る。
象くらいの大きさの猛獣が襲ってきているのだ。しかも現実では考えられないくらいの不気味で狂暴な猛獣が、プロボクサーの数十倍の大きさの腕を振り回しているのだから、慣れるとか言う次元の話ではない。
だが、それでも赤い眼の剣は余裕でティガーの攻撃を避ける。
翔英はあまりの恐怖に悲鳴すら出せなかった。
「もうちょっと力を抜け。動きづらいだろう」
そんな注文を付けられても困るのだが、それでもそれが出来なければここで殺される事になるかもしれない。
やはり迂闊だった、とさっそく後悔がこみ上げてくる。
調子に乗りすぎた。
文句ばかりつけずに、裏山の美化活動として雑魚オークや野良犬を相手に無双して、俺ツエーで満足しておくべきだった。
もしくは、虫が相手だったとしても、初級から順を追って経験を積んでいく事をやらないといけなかった。
赤い眼の剣にそそのかされたが、あまりにも簡単に流されてしまった。
翔英はネガティブな事ばかり考えていたが、その間にも翔英の体を操る赤い眼の剣は、大型生物ティガーを相手に一歩も引かない戦いを繰り広げている。
ティガーの攻撃のメインは、異常発達した二本の腕がメインであり、猫パンチに見えなくもない振り回しが主な攻撃である。
猫パンチ、と言っても物理的質量が違いすぎるので、動作も破壊力もその言葉には似つかわしくない殺人的なモノであり、地面に叩きつけた時には音もさる事ながら砂埃も舞う。
わずかながら地面も揺れている様な気がする。
直撃は絶対に許されない状況ではあるが、赤い眼の剣に操られる翔英は徐々にティガーの動きに慣れてきた様に、反撃に移り始める。
フックに近い横殴りの攻撃を避けると、赤い眼の剣を下から振り上げ、腕を大きく刻む。
切断は出来なかったが、かなりのダメージを与えた事は分かる。
さらに翔英は深く入ると、ティガーの腹部を抉ろうとする。
ティガーは逞しい腕で地面を叩き、体を起こして後ろに倒れる様にして攻撃を避けた。
驚く程大胆な動きに翔英は驚くが、赤い眼の剣はその時に晒された未発達な下半身に攻撃を仕掛ける。
そのまま後転しようとしたティガーに対し、赤い眼の剣は細い左足を切り飛ばす。
相変わらず素晴らしい切れ味ではあるが、左足を切り飛ばされたティガーは後転の途中でバランスを崩して倒れこむ。
その隙を逃さず、赤い眼の剣はティガーの眉間を深く突き刺す。
「しまった、失敗した」
赤い眼の剣はそう呟いて、ティガーから離れる。
ティガーは全身を激しく痙攣させ、血液や涎を撒き散らしているが、最期の力を振り絞って起き上がろうとしたが、そのまま力尽きて仰向けに倒れこむ。
「ああ、結果オーライか」
「え? 失敗って何だったんですか?」
翔英は赤い眼の剣に尋ねる。
「いや、あれだけデカいと心臓を抜き出すには仰向けにしないと大変かと思ったんだが、上手い事ひっくり返ってくれたものだ」
赤い眼の剣は少し笑いながら言う。
そんなところまで狙えるほど余裕があったのか、と思うと恐ろしくなってくる。
かなりのビッグマウスではあったのだが、それなりにと言うより、それ以上の実力があるようだ。