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 噂のグランフロントはバーから歩いて数十分もしない範囲にそびえ立っていた。

 そびえ立つ、という表現がまさにピッタリ当てはまるこの複合型商業施設は、北館と南館の2棟から成り、中にはそれぞれショップやレストラン、ショウルーム、オフィス、ホテル等、とにかくさまざまな施設が詰まっている。お洒落な広場も併設され、縦にも横にも大きな造りになっているので、1日で回りきるのもなかなか大変な規模ではないかと思う。

 時刻は既に深夜帯で、辺りを通る人も車も少ない。街頭さえ薄暗く、とても静かだ。本当に営業している店などあるのかと疑念が湧いたが、見上げるとレストランフロアだと思われる上層階の明かりが輝くように点っていた。

「本当に営業してるんですね」

 私が言うと、男性が頷いた。

「こんなに遅くまでやってる商業施設、俺もここ以外では知らないな」

 周りがひっそりしているので自然と小声になってしまう。私たちは上層階へ急ぐように、エレベーターに乗り込んだ。



 エレベーターはそのフロアにしか停まらないように設定されているらしい。窓ガラスの向こうで一気に眼下へ遠ざかる風景を楽しんでいるうち、到着したレストランフロアは、階下の静けさを忘れてしまうほど、たくさんの人で賑わっていた。

 フロアの照明が少し暗めに落とされているなかで、各店舗の明かりがやわらかな光を放っている。お祭りの夜に浮かぶ提燈のようだと思ったが、祭囃子の代わりにメロウなジャズが流れ、洗練された大人の空間という感じだ。

「ここで良いかな?」

 私がキョロキョロと見とれている間に、男性は適当な店を見付けたらしい。私は頷いて彼に付いて行った。

 ちょうどフロアの中央辺りに位置するその店は比較的、照明も明るく、今更ながら男性の顔がよく見えた。キスしたときから思っていたが、やはり男らしく端正な顔立ちをしている。大和男とはこういう男性を指すのだろうか。そんな彼のほうから誘い出してくれたのだから、棚の下で寝ていたらぼた餅が落ちてきたような気分だった。


 互いのグラスを、小さく鳴らして乾杯する。一口、呑むと甘い果実の味が広がった。ほっと落ち着いて、テーブルにグラスを置く。

 その何気ない一連の動作の最中も、私はずっと男性の視線を感じていた。

「なんですか?」

 白々しくも私は訊ねてみる。

「可愛いな、と思って」

 男性の答えに照れて見せながら、心のなかで少しだけ反省する。

(今日はむやみやたらと知らない人に付いて行かないようにしよう……って今朝、決めたのに!)

 出ていきそうになる溜め息を流し込むように、カクテルを飲み下す。前の店から既に酔っている自覚があったので、ここはノンアルコールカクテルにしておいた。

 パイナップル、レモン、オレンジのジュースをシェークして作られるシンデレラというカクテルである。自分で頼んでおいて何だが、幸福の象徴たるお姫様の名前を持つカクテルはなんだか皮肉めいて見え、私はこっそり苦笑してしまった。



 男性はカワノと名乗り、私より1つ年上の会社員で、経営者を目指して勉強中だと話してくれた。

「道のりは遠いけどね。今はいろんなこと学ぶのが、すごく楽しいよ」

 瞳を輝かせながら夢を語るカワノさんは実に眩しい。眩しすぎて、何処かの物陰に隠れたいくらいだ。

 そんな卑屈な部分を悟られないよう、笑顔を取り繕うけれど、カワノさんが話せば話すほど、いずれ表情を崩してしまいそうでヒヤヒヤする。

 それは、なんばでハルさんと話したときの感覚にとてもよく似ていた。



 いつだったか、恭太郎が仕事の話をしてくれたことがある。

 私も恭太郎も、酒の席でそういう話をすることを、あまり好ましく思わないタイプだったので、彼の口から仕事に関する話を聞くことは珍しかった。だからこそ私は、そのとき恭太郎が話した言葉を、今でも覚えているのだと思う。

 恭太郎はいつものように次々と杯を空け、静かな調子でぽつぽつと語った。

「なんでも良いから成果を出して、会社に俺の名前を残したいんだよね」

 そう語る恭太郎の声は、私と全く別の世界に暮らすひとのものであるように感じられた。

「だから3年は辞めない。どんなつらいことがあっても」

 声に宿った強い意志は、そのまま私の胸に突き刺さるようだった。

 その夜に限らず、恭太郎の隣に居ると、幸福感の陰に肩身が狭いような感覚があった。

 胸の奥にずしりと常駐していたその感覚を、いわゆる劣等感と呼ぶのだろうか。

 世間一般的に辿るべき道を真っ直ぐ辿れていないから、こんなに自信が持てないのだと、当時の私は思っていた。

 恭太郎と同じ正社員になれば、自信がついて、そんな感覚も消えていくと思っていたけれど、そんなことは無かった。

 むしろ会社員になってからのほうが、その感覚は強くなっていったかも知れない。



 学生時代から、やりたいことやなりたいものは特に無かった。

 とりあえず大学を卒業したら、何となくどこかに就職して、平々凡々に暮らしていくのだと思っていた。

 まさか最初から躓くとは予想外だったが、それでもなんとか正社員になって、経済的にも精神的にも生活は楽になった。

 けれど、それと引き換えに、派遣社員をしていた頃のような熱が消えてしまった。

 思えば『恭太郎に近付きたい』という『やりたいこと』があって、『正社員』という『なりたいもの』が出来て、そのために努力していたあの頃の私のほうが、よっぽど生き生きと毎日を過ごしていたような気がする。

 努力の甲斐あって環境は変わったけれど、きっと実質はなにも変わっていない。

 恭太郎やハルさんや、カワノさんが眩しく見えるのは、中身が空っぽの自分に引け目を感じているせいに他ならない。



 近くの席に座っていた客が席を立った。そのまま伝票を片手にレジへ進んで行く。

 終電はもう、とうに無いはずなのに、何処へ行くのか気になり、なんとなく目が追ってしまう。そんな私に気付いたらしいカワノさんが「俺たちもそろそろ行こうか」と言った。


 彼に付いて店を出ると、私たちは広場に向かった。

 南館の隣につくられたうめきた広場は、昼間であれば休憩する人や噴水で遊ぶ子どもたちの声で、さぞ賑わっているのだろう。

 しかし今はシンと静かで、私のヒールがコツコツと石畳を打つ音がよく響く。滑らかな石畳の美しさは、少しだけ冷たく見えた。

 広場の脇から延びる階段には電飾が施され、その1段1段がきらきらと夜の闇に浮かびあがる。まるで天国へ続く階段のようだと思ったが、上った先は天国ではなく、大阪駅北口へ繋がっている。

 駅前広場としては国内最大級の規模を誇るという、うめきた広場のベンチに並んで腰掛けると、誰も居ない空間の広さが迫るように目に映った。

「明日……ていうか今日はどうするつもりなの?」

 訊ねられ、視線を石畳からカワノさんに移す。

「太陽の塔を見てから、戻る予定です」

 私が答えると彼は頷きながら言った。

「ああ、店でムタさんが勧めてたもんね」

 ガイドブックの写真を指して、大好きだと言っていたムタさんの表情を思い出し、私は小さく笑った。

「太陽の塔には、もともと行くつもりだったんですけどね。あの人を見ていたら、ますます行きたくなりました」「ムタさんは確か、あれをつくった芸術家が好きなんだよ。岡本太郎だっけ?君もそうなの?」

「いえ、そういうわけではないのですけど……」

 曖昧に言葉を濁すと、カワノさんはそれ以上なにも聞かなかったが、代わりの申し出に私はちょっと驚いた。

「もし良かったら、俺も一緒に行って良い?出来れば、君が帰る時間まで一緒に居たい」

 ストレートにそう言われ、もちろん悪い気はしなかった。彼の整った顔を見返して、ドキドキしなかったと言えば嘘になる。映画のワンシーンのようだと内心、浮かれながら、しかし私は迷った。けれど特に断る理由も思い浮かばなかった。否、迷う理由をなんと説明したら良いのかわからなかったと言ったほうが正しいだろう。

 そこで私は一旦ホテルに、カワノさんは近くのネットカフェに入り、数時間後に待ち合わせる約束をした。


 大阪で見る最後の太陽が、辺りを白々と照らし始めていた。

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