無視された警鐘
薄暗い室内に、紙の擦れる音だけが響く。
ここは、裏社会をさらに裏から監視する組織、SIRENの執務室。そこに、一人の女ーーー波多野真凛が座り、資料を眺めている。
普通ならば、アイドルと見紛うほどの美貌を持つ、清楚な黒髪を結い、ポニーテールにした若い女。だが、その表情は、非常に苦々しいものだった。
「…全く…」
手元の資料に記されているのは、とある組織が、青少年を暴力で支配し、強盗致傷を強制しているという実態。
資料を一枚ずつめくる。その度に、女の眉間に、深くしわが刻まれていった。
「失礼します。お茶が入りましたよ。少し、お休みされては?」
静かな声とともに、扉が開く。そこには、紺色のメイド服に身を包んだ、小柄な女性ーーー月乃友奈がいた。肩まで伸ばされた銀髪が、薄暗い室内の中では妙に白く浮かび上がって見える。
「…えぇ、そうさせてもらうわ。ありがとう、月乃」
波多野はようやく資料から顔を上げ、月乃の方へと視線を向けた。その表情には、わずかに疲れたような笑みが浮かんでいる。
月乃はカップを置き、自然な動作で資料へと視線を落とした。
「…ご覧になられたようですね、真凛」
「えぇ…。個人的にも…いい気分にはならない案件ね」
そう言うと、波多野は再び資料へと目を落とし、かすかに苦笑した。
この組織には、すでに警告文を二度に渡り、送っている。だが、記録によれば、SIRENからの警告を送った後、活動を休止するどころか、むしろ加速させていることも確認されている。
ーーーどうやら、自分達の鳴らしているサイレンを聞く気は、微塵もないらしい。その事実が、余計に波多野の顔を険しくしていた。
「…この連中、災害時に鳴らされる警報などを何だと思っているのでしょうね」
「さぁね…。ただ、少なくとも、自分に都合が悪ければ聞かないということだけは分かるわ」
波多野はそう言うと、月乃の淹れた紅茶を一口含んだ。良い茶葉を使っており、自分の好みの味になっている。
「…月乃。締め切りは、もう過ぎたのよね?」
「はい。昨日付で、最終締め切りは過ぎています」
「そう…」
警告も行った。猶予も与えた。だが、相手は改善するどころか、むしろ警告を嘲笑い、活動範囲を拡大してきた。
ーーーもう、穏当に解決する必要はなさそうだ。
「…月乃」
「はい」
波多野は、確認していた資料を、机の上に置いた。その様子を見て、月乃は何かを察知したようだ。だがそれでも、一ミリも動じる様子はない。
「未来ある若い少年達を暴力で支配し、本人達から選択の余地を奪った上で、自らの手を汚さずに犯罪行為を行っている…」
「はい」
「これは、明確な『意志の剥奪』…と認定せざるを得ないわ」
「えぇ」
「今回は、あなたにお願いするわ。行ってくれるかしら?」
「承知いたしました」
月乃はそれだけ言うと、軽く頭を下げる。
二人の間に、それ以上の言葉は不要だった。
月乃は空になったカップを回収すると、そのまま執務室を後にした。
一人になった波多野は、息を吐きながら、椅子の背もたれに寄りかかった。
「私達は、SIREN…。この裏社会に、『警鐘』を鳴らす者」
警報は、危険を知らせるためのもの。そして、逃げる時間を与えるためのものだ。だが、それを聞いてどうするかは、聞き手次第だ。
だからこそ、それを意図的に無視すればどうなるのか。その結果を選ぶのも、彼ら自身の意志だ。
「…『警鐘』は、もう二度も鳴らされた。その先の行動は、あなた達の意志よ」
波多野は静かにそう呟くのだった。




