1-17 現代魔法使いの油断
「……ふう。まだもう少し観察してましょう」
セシリアの視線の先では、ブラックベアが狩りを終えている。
てっきりすぐに食事をすると思っていたセシリアだったが、どうやらこのブラックベアは獲物をどこかへと持ち帰ろうとしているらしい。
もしかしたらどこかに住処にしている場所があるのかもしれない。
だとしたらそこを見つけて、ブラックベアが一番油断しているところを叩くのが間違いなく最善策だ。
「日が暮れる前に何とか……」
徐々に沈み始めている陽の光に、セシリアは焦りを零す。
しかしそれでも何とか冷静さを保ちながら、獲物を運ぶブラックベアを追った。
「見つけた……!」
それから数分後、セシリアは、ブラックベアが住処にしているだろう場所を何とか見つけることが出来た。
草や木で巧妙に隠してはいるが、さすがにブラックベア本人が入っていくところを見られてしまえば隠し通せるはずもない。
「…………」
セシリアは息を静める。
ここから先は、それこそ命のやりとりになる。
いくら魔法学院で優秀だとは言っても、まだ子供と言っても過言ではない年のセシリアが、これまでにそんな経験をしているはずもない。
「……でも、やらなきゃ」
だがこんなところで立ち止まるわけにはいかない。
少なくともサムに古代魔法を認めてもらうまでは、立ち止まるなんていう選択肢を選ぶわけにはいかないのだ。
今、セシリアが使えるのはここ数日、嫌というほど繰り返し練習した古代魔法のみ。
これまで王立魔法学院で必死に研鑽してきた、自分の実力とも呼べる現代魔法はそもそも本を持ってきていないので使うことが出来ない。
つまり本当に、今セシリアが頼ることが出来るのは古代魔法だけなのだ。
自分の古代魔法がどれほどのものなのか。
もちろんブラックベアを一瞬で倒すことが出来るほど古代魔法を極めているなんて自惚れているわけではない。
というよりも古代魔法を極めたとしても、ブラックベアを簡単に倒すことが出来るのかどうかさえ微妙なのだ。
だが少しずつでもブラックベアにダメージを積み重ねていけば、倒せる可能性は全然ある。
もちろんダメージを重ねるにしても、相当な危険が伴ってくるだろう。
しかしそれを切り抜けなければ、古代魔法を認めさせるなんて夢のまた夢だ。
「……よし」
セシリアは一度息を整える。
そしてその掌を、今しがたブラックベアが消えていった空間へと向けた。
「全てを貫く氷の刃」
詠唱を始めたセシリアの掌には魔法陣が浮かんでくる。
今回、セシリアが初手として選んだ古代魔法は氷刃。
こんな木々が生い茂る場所では火の古代魔法を使うことは出来ない。
その状況では、古代魔法の中でも比較的攻撃力の高い氷刃を選んだのは、さすがの判断力と言うべきだろう。
「我が怨敵の灯を凍らせ――――ッ!?」
セシリアの詠唱がもう一瞬で終わる。
しかしその時、自らに降り注ごうとする危機を察したのか、ブラックベアが住処かから飛び出してくる。
そしてすぐにセシリアに視線を向けると、怒涛の勢いで突っ込んでくる。
詠唱を中断し、咄嗟にその場から離脱するセシリア。
その判断が功を奏したのか、それまでセシリアがいた場所はブラックベアの一撃が突き刺さっている。
「……っ! す、全てを貫く氷の刃、我が怨敵の灯を凍らせたまえ!」
目の前の光景に思わず身震いが隠せないセシリアだが、何とか逃げながら詠唱を終わらせる。
掌の魔法陣から放たれる氷の刃は運良くもブラックベアの肩に刺さった。
氷の刃が刺さったところからは生き物特有の真っ赤な血が溢れ出し、その場を鉄の臭いが支配する。
「雷撃よ、数多の槍となりて降り注げ!」
ブラックベアの動きが一瞬止まった期を逃すまいと、セシリアが追い打ちをかける。
しかしブラックベアに間一髪で避けられた雷撃は地面に被弾し、土煙を引き起こす。
一瞬で視界が奪われてしまったことにセシリアは自分の早計さを呪う。
(このまま力押しでいけば何とかなる、なんて甘かった……! もっと慎重にやらなくちゃいけないのに……!)
セシリアは視界が悪い中で、何とか目を細めて敵を窺う。
実戦経験などほとんどないといっても過言ではないセシリアに、気配だけで敵の居場所を特定するなんて芸当は出来るはずもない。
「————ッ!?」
だが日々を危険な森のなかで過ごすブラックベアにしてみれば、それは難しいことではなかった。
セシリアがブラックベアの存在に気付いた時、ブラックベアはセシリアの目と鼻の先にいて、既に大きな爪をセシリアへと振り下ろそうとしている。
(避けられない――っ!?)
セシリアは一瞬でそれを悟った。
今から何か身を守るための古代魔法を唱える――そんな時間はない。
振り下ろされてくる明らかに鋭い爪を生身で受けるなんて、それこそ死一択だ。
だが今のセシリアには古代魔法も何も使うことが出来ない。
(もっと慎重に古代魔法を使っていれば……)
それはあまりに遅すぎる後悔。
(自分の魔法で、自分が不利になる状況を作ったなんて先生に知られたら、馬鹿にされるなぁ)
既にどうしようもないと諦めてしまっているからか、やけに時の流れが遅く感じる。
徐々に近づいてくるブラックベアの鋭利な爪を見つめながら、セシリアはぼうっとそんなことを考えていた。
「全てを貫く氷の刃、我が怨敵の灯を凍らせたまえ」
――そんな詠唱が聞こえてくるまでは。
「……まったく、お前は油断しすぎなんだよ」
誰かの聞きなれた呆れ口調が聞こえてくる。
「え……」
セシリアの視線の先に、不敵な笑みを浮かべるダリウスが氷塊の上に立っている。
その氷塊は考えるまでも無く、ダリウスが生み出したものだろう。
先ほどセシリアが唱えた古代魔法と同じ詠唱の、同じ古代魔法だ。
しかし今のダリウスの生み出した氷塊は、セシリアの生み出したそれとは比べ物にならない。
(これが、魔法のイメージの差……)
セシリアは改めてその技術の重要さを認識させられる。
ダリウスの生み出した巨大な氷塊は、すぐ一瞬前までセシリアを殺そうとしていたブラックベアの身体をいともたやすく貫通している。
人一人が乗れるほど巨大な氷塊は、ブラックベアの鮮血で赤く染まり始めている。
「……全く、心配させやがって」
「し、心配してくれたんですか?」
セシリアはダリウスの言葉に驚く。
確かに言われてみれば、ダリウスは珍しく息が乱れている。
もしかしたら無茶しようとする自分を必死に探しに来てくれたのかもしれない。
セシリアはそう思うと、思わず胸と頬が熱くなるのを感じた。
「お前には確かに実力があるが、ブラックベアを倒すのはもう少し練習してからの方がいいな。リュエルも心配してるぞ」
「ご、ごめんなさい」
ダリウスの注意にセシリアは顔を俯かせながら頷く。
「ほら、早く帰るぞ」
「は、はい」
セシリアは前を歩きだしたダリウスの背中を追って、薄暗い森の中を歩いた。




