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先輩のクッキー

部屋に入ってきた戒を出迎えたのは、窓側の椅子に座り片手に文庫本を手にし心配そうな顔をした飛鳥だった


「どうしたの?神城君。なんか浮かない顔をしてるけど」


戒に文庫本を片手に椅子に座っていた飛鳥が戒に話しかけてくる

彼女の瞳はやや幼さを感じさせるほどに純真そのものに見え、つい視線を逸らしてしまう

彼は天音のことを見透かされたのかと少し心臓が高鳴るのを覚えたが、幸いにも言葉はいつもどおり舌から滑り降りてくれた


「・・・いつものことです先輩。さて、今日は何をしますか?」


言われて飛鳥は少し面食らったような顔をしたがすぐに表情を取り直したのを見て、なんとか見透かされていなかったと戒も安心感を覚える


「何って言ってもねえ。学園祭まではまだ何ヶ月も有るけど出し物とか考えておいてもいいかも

ほら、文芸部の存在をアピールすれば部員とか入ってくるかもしれないし」


「俺は今のままでもいいと思いますよ」


やや無愛想に答える。いつもなら聞こえるように声の量は大きくするのだが今日はあまり気分が向かない

飛鳥の言葉にもやや気持ちが入らない答えを返してしまう。それは今の彼の関心が天音に向いているからなのかはわからなかった


「なんかそう言ってくれると私、嬉しいな。神城君と一緒に居るのってなんか楽しいし」


そんな風に褒められると嬉しく舞い上がってしまうのが男の性だが、戒は否定するように大仰に首を振って見せた


「そう思いますか?つまらない人間だと自負しているつもりなんですが・・・」


「自分を低く見積もるのは良くないよ。何も出来なくなっちゃうから」


意外なことを言われ、疑問に思った戒が質問系で飛鳥に返すが彼女は微かに焼けた肌を綻ばせて言う


「だって陸上部じゃ足を怪我しちゃって、暇つぶしに部活作ったけど入ってくれる人が来るなんて感動しちゃったし」


「先輩は陸上部だったんですか?」


飛鳥は頷き再び笑みを浮かべたが、それは先程の喜びを湛えたものとは違う種類のように戒は思えた


「うん。県大会で結構いいとこまで行ったよ」


そう言って右足の太ももを擦る飛鳥。戒はやや躊躇うがそこに目が行ってしまう

すらりとしたスマートな足のライン。ややむくんで見えるが太腿は筋肉と曲線の美しいラインが見事な調和を果たしていた

この足で飛鳥がグラウンドを走り回っていたことを思うと、戒は妙な感慨に囚われそうになる

天真爛漫で明るい性格の彼女にも辛い事があったのだと、悩みがあったことを実感させられた

それに比べ、自分の悩みの何たる小さなことか?


「神城君。あまり人の足をじろじろ見られたら変に思われるよ」


「あ、すいません」


戒は自分が無礼を働いていたことにようやく気付き、飛鳥に謝った

それでも飛鳥は悪戯っぽい笑顔を崩すことなく言う、先ほどのことはあまり気にしていないようだった

むしろこれからが本題というように、彼女は鞄の中から何かを取り出しながら聞く


「今日はお菓子持ってきたから一緒に食べない?」


彼女は紙製の包みを戒の目の前にぶら下げた。これには流石に戒も戸惑ってしまう


「いいんですか?学校にそんなもの持ち込んで」


机の上に広げられた菓子の袋を見て戒が言う。戒はあまり菓子などは食べない


「包み紙とかをちゃんと処理すれば大丈夫なんじゃないかな?菓子くずは掃除すれば大丈夫だし」


包みを開くと中にはクッキーが収まっていた

さらにそれらはやや形が不揃いで市販している物とは違う、程よい焦げ具合が手作り感を匂わせていることに気付き聞いてみた


「先輩が作ったんですか?」


心なしか声が不安な色を帯びていたが飛鳥は彼の心配に答えるようにいった


「うん、これ形が岩みたいにごつごつしてるからロッククッキーって言うんだよ

久しぶりに作ったけどお菓子作りってシビアだよねえ。材料の分量を間違えただけでも味がぜんぜん変わっちゃうしさ。でも、味は悪くないと思うよ。味見してみる?」


「あまり食べると太りますよ?」


「大丈夫。ちゃんとカロリーは計算してるし、私はあまり市販のものは食べないから。それに戒君に味見してもらう為に持ってきたんだけどな

あ、砕いたピーナッツとか入ってるからアレルギーとか大丈夫?」


「特にそんなことは無いはずですけど」


「良かったら味見して」


「・・・ならお言葉に甘えて頂きます」


戒は遠慮がちに差し出された包みの中の少し小ぶりなものを選ぶと一つつまみ口の中に入れた

噛み砕いてみると想像していたものよりも味は悪くないが、やや強めの甘さが目立ち絶賛するほどのものでもない

それでも市販のものと比べるとその大雑把な味付けがなんとも言えない味わいを感じさせる。手作りにしては間違いなく悪くない出来である


(宇都宮とかもお菓子作ったりするんだろうか?)


あの綺麗だが無愛想な少女の顔が浮かんでくる。口は達者だがあまり手先が器用なタイプには見えないのだが・・・


「戒君。どう?」


感想を求める飛鳥の声に空想にふけっていた戒は驚いてしまう


「え?ああ・・・そうですね。少し砂糖が多すぎるんじゃないでしょうか、固さとかは悪くないんですが」


やや批評に過ぎるかもしれないが、戒は率直に感想を告げる。これはもっと上手くなると信じてのアドバイスだった


「神城君はあまりお世辞とか言わないけど、はっきり言ってくれるから参考にしやすいよ。わかった、今度はもっとおいしく焼いてくるね」


朗らかに笑う飛鳥の表情に戒はほっとする。やはりちゃんと味の感想を告げてよかったと思った

彼女には康生と違ってある程度本音を打ち明けられる。飛鳥と過ごす時間が楽しいからこそ戒はこの部に居続けるのだ

自分は先輩が好きなのだ、と胸を張って言える。友達という意味ではそれは間違っていない


「はい、楽しみにしときます」


戒も控えめに笑みを返した。あまり甘いものを食べない彼だったが飛鳥のお菓子作りの手伝いになれるのならば、それはそれで良かったからだ

彼と飛鳥はそれぞれ棚にあった本を読みつつ談笑しながらいくつかのクッキーを頬張った

そんな風に穏やかな時間を過ごして行くと時はあっという間に過ぎて、放課後のチャイムが鳴ったのである


「それじゃ、帰ろうか」


「はい」


答えつつも何故か、自分の声も弾んでいるような気がする

飛鳥が次にクッキーを持ってくるときはもっとおいしく焼き上げるだろうと、密かなに楽しみを胸のうちに秘める戒

今の彼は天音のことをすっかり忘れていたのだった


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