夕焼けの教室(2)
「お前、もう下校時間を過ぎているのがわからないのか?」
笹山は窓際の席に座して沈み行く夕日を眺めている女子生徒に向けて怒鳴った
無論、その女子生徒は宇都宮天音だ
「もうチャイムが鳴って何分経過したと思っているんだ!」
笹山が生徒を怒鳴りつけるが、天音は彼の声などまったく聞こえていないかのようだった
腰まで伸ばした長い黒髪を時折弄ぶかのように触れる以外は窓の向こうの赤い光景に視線を注いでおり
怒りに震える教師がいくら大声を出そうとも、天音の心には全く聞こえないようにも見える
否。実際は聞こえているのだろうが、少しも彼女が視線を微動させずに笹山とは全く物の方向を見てそこに心を奪われるために物理的に何かしない限り
今の天音に干渉することは出来ないようだった
とどのつまり、それは無視といった行為ではあるのだが
「お前、私を舐めているのかッ!」
笹山が天音そばによって大声で怒鳴りつける、ようやく彼女は視線を彼に向ける
だが、汚物を見るような蔑んだ眼光と共に吐き出された言葉は辛辣そのものだった
「臭いから近寄らないでくれる?」
笹山は豆鉄砲を食らったかのように面食らった。精巧な日本人形のように清楚な雰囲気を纏う天音から毒舌を浴びせられたのが、意外にショックだったようだ
「臭い?私が?君は何を言っているのか」
「あなた独身?部屋を片付けたらどう?キツイ臭いの香水をつけるか服を毎日洗わないといらぬ噂を立てられるわよ」
「宇都宮、貴様・・・」
クスクスと鈴のような声を上げ口元に手を当て笑う天音。一方の笹山は指導対象の女子生徒に舐められ嘲笑を浴びせかけられたことが顔が屈辱と憤怒に染めているようだった
これが十人前の容姿を持つ普通の女子ならさしもの笹山もここまで憤怒を表さなかったかもしれない。しかし相手は美少女と呼んでも差し支えない天音だからこそ
独身の中年男性特有のコンプレックスを持つ彼のプライドはずたずたに引き裂かれてしまった
そして、燃え上がった怒りは火に油を注いだかのごとく苛烈なものとなり笹山の醜いプライドを焦がした
それ故に生意気な生徒の存在など絶対に許してなどおけなかった。彼の本音の混じった醜い性根が言葉となって吐き出される
「オイ!お前。なんていう態度だ?生徒の分際で!!」
いきなり顔を憤怒で真っ赤に染め、大声で喚き始めた笹山の剣幕に意外にも天音は圧倒され縮まってしまう。彼女も当然ながらまだ十代の少女なのだ
当然なことに大の大人がいきなり激怒してしまえば萎縮せざるを得ない
黙ってしまった天音を、更に追い詰めるように中年の社会科教師が彼女に手を伸ばした
「お前の生意気な口が利けないようにこの俺が指導してやろうかぁ!?」
笹山は彼なりに貞淑に取り繕っていたであろう仮面を投げ捨て、天音の長い髪を引っ張った
長くて艶の有る黒髪が強引に力を加えられた事により何本かぶちぶちと音を立て頭皮から引き剥がされる
あまりの激痛に天音は苦痛の呻きを漏らした
「うるさいぞ、ガキが!」
笹山が天音の頬を張り飛ばす。白い頬に赤い痣が出来て林檎のように腫れ上がる
天音が憎しみの篭もった瞳で笹山を睨み付け呪詛の言葉を吐こうとしたが、彼の顔を見て言葉が凍り付いてしまう
笹山は小娘に侮辱された怒りと憎しみで真っ赤に染まっていたが、細くて陰険そうなまなざしは欲望に濡れている
口元はこれからする事に露骨な笑みを湛え尖った頬骨がその歪んだ表情を強調しており、これから何が起こるのかはもはや誰でも予想で来る流れだった
「今の時間はね、私以外の人間は職員会議で二棟の会議室に集まっているんだ。つまりここには誰も来ない」
笹山が愉悦とともにスーツの上着を脱ぎ捨て、天音の両腕を封じる。ちょうど押し倒す体勢だ
天音は悪態すらも言わない。たださせるがままに体の動きそのものが弛緩し等身大の美しい人形のようだった
瞳には先ほど見せた挑発的な感情すらも浮かばない、恐怖で表情が凍ってしまったようだった
「大声を出しても良いが組合は私を庇ってくれるよ。証拠さえ無ければね、これだから公務員という職業は辞められないんだ。
前にこうしたときも似たような女子生徒を同じ目に遭わせてやったんだ。もっとも彼女は君ほど綺麗じゃなかったがね」
ひっ。と天音の喉から声が鳴る。笹山は前の学校でも『こうして』いたのだ
教師という権限と背後の日教組という巨大な組織の力を利用して学校をくびになりながら渡り歩いてきたのだ
彼女を絶望が包もうとしたときに声が聞こえた。それは彼女にとって救いの言葉に聞こえた
「ああ、綺麗な肌だ・・・思いっきり嘗め回してやりたいよ」
「け・・・けだもの!」
「そうさ、人間誰だってけだものだよ。欲望に忠実に生きているんだ
一応、君にも忠告しておくが大人しくしたほうがいい。痛い目に遭いたくなければね・・・なあに、直に気持ち良くしてあげるよ」
笹山がセーラー服のボタンを一つ一つ外していく、天音は恐怖で動けない
彼女はせめて、心だけは屈しないように猿の様に欲望を晒した笹山に怨念を籠めた眼光を突き刺したその時だった
「なら、証拠があればいいんですよね?」
「何!」
笹山は天音の顔に視線を向ける。当然ながら彼女の顔は相変わらず笹山の方に向けられておらず、彼女が出したものとは思えない
そして、教室の黒板付近―――その右側、つまり入り口の近くに立つシルエットに目を向けるが顔の部分だけが夕日によって発生した影で覆い隠され見えていない
「誰だッ!」
笹山は自分の恐れの混じった感情を覆い隠すかのようにそのシルエットに向かって怒鳴りつける
それに応じたように人影が前方―――笹山と天音の方向に歩み寄ってくる人物の顔が次第に影のヴェールを脱ぎ捨てるように素顔が露わになる
まるで一連の舞台の演出のように現れた人影が告げる
「バッチリ撮らせて戴きましたよ。女子生徒にのしかかり服を脱ぎかけた問題教師・・・これを第三者に公開したらどう思うでしょうね?」
「貴様・・・。」
歯軋りしながら目を剥き、親の敵のごとく目の前の人物を睨み付ける笹山の前に印籠のように携帯電話を突き出し、余裕の笑みを浮かべた神城戒の姿があった